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『日本会議の研究』に販売差し止め命令ということなので [政治]

昨日から『日本会議の研究』に販売差し止め命令が話題になっています。産經新聞がその理由の中味にまで触れています。

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「日本会議の研究」販売差し止め 東京地裁が仮処分決定
http://www.sankei.com/affairs/news/170106/afr1701060025-n1.html

 ベストセラーの新書「日本会議の研究」(菅野完(たもつ)氏著)で名誉を傷つけられたとして、同書で言及された男性が出版元の扶桑社に販売差し止めを求めて申し立てた仮処分で、東京地裁は6日、差し止めを認める決定をした。ベストセラー書籍の販売差し止めは異例。/ 決定によると、同書は平成28年5月発行。男性が所属する宗教法人の機関誌の発行部数を拡大する運動を進めた結果、「自殺者も出た」などと指摘していた。/ 関述之裁判長は決定で、記述が「男性の社会的評価を低下させる」と判断。自殺者が出たという部分については、菅野氏の説明以外に客観的な資料がなく、男性に取材していないことを菅野氏が認めたことなどから、「真実でない可能性がある」とした。/ その上で、該当部分を削除しない限り、販売などを差し止めるとともに、扶桑社にある在庫を地裁の執行官に引き渡すよう命じた。/ 扶桑社は「一部削除を求められたことは誠に遺憾」とコメントしている。

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この記事から、問題があるとされたのは289pの次の箇所であることがわかります。「第6章 淵源」の「宗教と政治の交わるところ」の冒頭部分です。

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「『理想世界』100万部運動]の達成で、安東の権威は揺るぎないものとなった。学生時代には、「民族派の全学連」と評された全国学協を立ち上げ、社会人となってからは、[生長の家」青年会を拡大させ、教団の屋台骨とした。もう誰も彼の権威に逆らえない。
 土台無理がある100万部達成のために、青年会に所属する学生や社会人1年生は消費者金融に手を出してまで「理想世界」を買うことを余儀なくされた。当時、消費者金融の取り立ては社会問題化していたほど苛烈を極めていた。結果、自殺者も出たという。しかし、そんなことは安東には馬耳東風であった。安東は、「谷口雅春尊師のお教えを、日本の青年に広めるのだ。そのためには諸君らの「允の弾丸』が必要だ」と演説し、周囲はそれに心酔し、熱狂が集団を支配していた。

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この本のいちばんすごいところが第6章の安東巌氏についての記述でした。少なからず日本会議と関わり合ったことのある私も全く知りませんでした。その安東氏からの訴えであったと思われます。今回の命令に対して「言論弾圧」の声もありますが、本屋にはまだ平積みになっていて昨日から一挙にベストセラー1位ということなので、サンケイ系列の扶桑社は大喜びしているのではないでしょうか。

それはそれとして、この本を読んで私はどうしても言っておきたいことを書いてアマゾンにレビューしました。そのことはここにも記事として載せたところでした。書いてしばらくは「このレビューが参考になった」がどんどん増えて81人までになったのですが、その後何ヶ月もそのままでした。300件もあるレビューの山に埋もれてしまったのかもしれません。(今見たら82人になっていました。)
私も覚悟をもって書いた文章なので、『日本会議の研究』が注目されることになった今、あらためてここに載せておきます。安倍政権の怖ろしさの根底に触れたつもりです。

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伊藤哲夫様

すっかりご無沙汰しております。伊藤さんが「安倍首相の筆頭ブレーン」として詳しく紹介されている『日本会議の研究』を読み、いろいろ懐かしく思い起こしております。15年ぐらい前のことですが、日本会議山形県支部発足の会で司会を務めさせていただいたこともありました。伊藤さんと最後にお会いしたのはちょうど10年前、平成183月の「立ち上がれ!日本」ネットワーク山形支部の設立の会合でした。あの時、伊藤さんのお話に異和を感じて質問させていただきました。「日本本来の保守の立場」とは何なのかを考えるきっかけになったものでした。その後の第一次、第二次安倍政権成立、伊藤さんの陰ながらの御尽力を思いました。とりわけ第二次安倍政権において繰り出される施策の数々に伊藤さんの熱い思いを感じ取っていました。しかし正直申し上げ、最後にお会いした時の「異和」の感じは膨れ上がる一方でした。


私たち世代はいろんな場で言いあい、議論をしたものでした。はじめっから丸く収めようなどとは決して思いませんでした。みんな言うだけ言いあえば、そこからおのずとひとつの道筋が見えてくる、けんか腰もありましたが、最後はちがいはちがい一致は一致でそれはそれ、たしかな魂のふれあいがありました。そうした言いあいの蓄積がひとりひとりの活力にも世の中全体の活力にもつながっていったのだと思います。

実はそうした思いからすると、施策のどうこう以前に、安倍首相の姿勢ががまんなりません。議論にならないというより前に議論しようとはしないのです。言いくるめる、はぐらかす、その場を切り抜けることしか考えていない。魂の在処がみえません。フクイチの現状を「アンダーコントロール」と言いくるめ、「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない」はずが、そんなことは忘れた振りでむしろTPP実現推進に様変わり、「経済第一」の行きつくところの軍事力増強、そのための安保法制、九条破棄、その先にあるのはいよいよ宗主国アメリカ様言いなりの「戦争のできる国」。「アベノミクス」「三本の矢」も所詮お題目、暮らしはさっぱり豊かにならず貧しさに向っているのが正直な実感、ごく一部の富裕層と残りの貧困層、中間層がぬけ落ちて二極化の進行です。伊藤さん、どっかで間違ったんじゃあないですか。かねて伊藤さんたちが唱えられ、私も共感していた「日本再生」どころか、大切な日本が足もとから壊れているんじゃあないですか。


伊藤さんを思い起こしながら2年前に書いた文章があります。


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政治が民からどんどん遊離させられている。昔はそうではなかった。地域を思う、国を思うことにみんなもっとエネルギーを注いでいた。いつのまにかみんな個のタコツボに入ってしまっているのがあたりまえになり、政治は特別な人のものになってしまっている。権力をにぎる側にとっては好都合なことだ。いろんな面での二極化と軌を一にしています。

「国民の生活が第一」、政党名にもなった。遠い昔のことのように思えるが、2年前のことだった。政党名になる前、鳩山さんや小沢さんが民主党の実権を握っていたわずかな時代、この言葉をかかげたポスターがあちこちに貼られていたものだった。平成22914、民主党代表選で小沢さんが敗れた日、この日が日本の分水嶺だった。あの日まっとうに小沢さんが選ばれていれば東北大震災もなかった、そう思えてしょうがない。なぜ今更「集団的自衛権」なのか。自民党のなかにも「アンタらより若い人たちが戦場に行き殺されるかも知れないんだよ?そんな大事なことを・・閣議決定で簡単に決めて良いのか?」(村上誠一郎衆院議員)と正論を吐く人もいるにはいる。しかしそんな声は掻き消されてしまう。公明党も政権与党であり続けるために「平和の党」の大原則を脱ぎ捨てた。

安倍首相の陰にいつも思い浮かべる人がいます。日本政策研究センター所長の伊藤哲夫さんです。懐かしい人です。「新しい歴史教科書をつくる会」運動に関わる以前からの付き合いでした。私とは同年代、新潟大学の出身です。学生時代から「生長の家」に属し、大学紛争の時代右翼側で当時の全共闘と対峙したと聞いたことがあります。その後、「生長の家」の内部で政治に対する考え方の対立が生じ、「生長の家」から出て新たなグループ(ビジョンの会)を立ち上げました。私が市議をやっていた頃、その山形のグループ、山形ビジョンの会の方々と出会ったのでした。その会のK会長さんによって、「新しい歴史教科書をつくる会」運動の渦中に入り込むことになりました。山形県支部の活動は全国でもトップレベルだったと今も自負します。ほんとうに本気でした。それだけに当時の仲間は「同志」というのがぴったりで、今でもひとりひとりが懐かしい。

その伊藤さんの講演の中でだったと思います。「アメリカに一週間ほど滞在して、その間何人ものアメリカの要人と会ってきた。」と多少自慢げに話されたことがありました。その後あらためて「ジャパンハンドラーズ」の存在を知るに及んで、その時の「アメリカ要人」とは誰だったのか聞いておくべきだったと思ったのですが、もうお会いする機会もありませんでした。2006-03-21 に書いたこんな記事があります。

19日に伊藤哲夫日本政策研究センター所長が来られるとのことで、久しぶりにビジョンの会例会に参加してきた。会場で「立ち上がれ!日本」ネットワーク山形支部の設立の会合であることを知った。地方支部としては第一号とのことだった。はじめての顔ぶれも多かった。

伊藤所長の話の中で、中国、北朝鮮を批判するに「自由と人権」を持ち出されることに違和を感じて質問した。「もっと別の言葉はないのだろうか」と。伊藤氏も自覚しておられるようで、「しかし、『自由』と『人権』という言葉は国際的には力を持つ」と答えられた。私には、アメリカによる占領下の「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」を批判し、その流れでサヨクの持ち出す「人権」に異議を唱えつつ、中国、北朝鮮を「自由と人権」の視点で批判するというダブルスタンダード、結局アメリカの言い分に巻き込まれている今の日本の「保守」の姿が見えてくる。日本本来の保守の立場とは、そうではないはずなのだ。としたら、「日本本来の保守の立場」とは何なのか。「もっと別の言葉」を本気で探したいと思った。

このときがお会いした最後でした。ジャパンハンドラーズとのつながりを思わされます。本来あるべき「スジ」が失われています。「スジを通す」の「スジ」です。その場その場都合のいい論理をつなぎあわせるようになったら理論家(思想家)としてはおしまいです。伊藤さんは「理論家(思想家)」というより「オルガナイザー」だったかもしれません。

安倍首相が世の注目を集めるようになったのは、平成14年、副官房長官として小泉首相と共に訪朝し、拉致問題について強硬路線を主張したことからですが、伊藤さんと安倍首相とのつきあいはずっとそれ以前からです。安倍さんの初当選が平成5年、保守系議員のシンクタンク的役割を果たす日本政策研究センターの設立が昭和59年ですから、議員当選当初から伊藤さんは良きアドバイザー、あるいは指南役だったと思います。そうしたことから教科書問題に取組む私たちにとって、安倍さんは中川昭一さん等と共に最も信頼に足る国会議員と思っていたものでした。安倍さんの兄貴分といわれる衛藤晟一議員は、伊藤さんとは「生長の家」以来のいわば身内です。

私は、平成13年の9.11をきっかけに始まるアメリカによるイラク侵攻、小泉政権下の自衛隊派遣という流れの中で、少しずつ「つくる会」の運動から距離を置くようになります。並行して副島さんの文章をよく読むようになりました。西尾幹二先生に副島さんとの対談を提案したら、すごい剣幕で「あんな奴はわれわれの間では信用ない」と言われて驚いたことがありました。しかし私は、副島隆彦さんの説く「アジア人同士戦わず」に深く共感しました。副島さんの文章は「正論」では読んでいましたが、最初に買った本は『堕ちよ!日本経済ーアメリカの軛から脱するために』です。この本の発行が平成128月ですから、翌年9.11が起きたときにはかなり副島さんの愛読者になっていたと思います。『副島隆彦の学問道場』はいちばん先にチェックするサイトになっていました。一時は一年1万円の会員にもなっていました。今でも副島さんは良き水先案内人です。いま『ダヴィンチ・コード』をおもしろく読んでいますが、もとをたどると副島さんの『隠された歴史:そもそも仏教とは何ものか?』でマグダラのマリアについて教えられたことからです。

「日本をアメリカの属国にしておくための対日操作班ジャパンハンドラーズが存在する」。今ではもう「常識」と言っていいかもしれませんが、副島さんグループが最初に言い出したことでした。このことでハッと思い起こしたのが、伊藤さんの「アメリカの要人と会ってきた」という話でした。いつのまにか、伊藤さん、アメリカの操り人形にさせられているのではないだろうか。

平成189月、第一次安倍内閣誕生。「美しい国」「戦後レジームからの脱却」というテーマ設定に、

安倍さんらしいな、伊藤さん張り切っているんだろうな、と思っていました。しかし翌年9月、1年そこそこで体調不良を主な理由に突然の辞任、だれもがもう再起不能と思ったものでした。ところがどっこいそうではありませんでした。平成249月の自民党総裁選挙で石破氏に逆転勝利、12月の衆院選で294議席を獲得して圧勝、そして二度目の安倍内閣誕生。第一次安倍内閣の失敗からの学習効果は大きかったようで、たくましく変身を遂げていました。本来の安倍カラー満載、それは私がかつてその中にいた世界そのままでした。安倍さんがそうしたカラーを打ち出す度、伊藤さんの影を感ぜずにおれませんでした。

教科書運動に躍起になっていた頃のことですが、伊藤さんと話していて心配になったことがありました。米沢で教科書問題について講演していただいた時のことです。「われわれの歴史教科書が採用されたとして、現場の混乱が心配だけどどう思いますか。」と言ったとき、いとも簡単に「それは心配ない。」の言葉でとりつくしまもなかったのです。どういうふうに心配ないのか、いま安倍さんのやり方を見ていて、「反対するやつなんか無視してどんどん進めるから、心配ない」ということだったのかと理解できたように思うのです。「自分たちは絶対正しい、まちがいない」のです。

伊藤さんも安倍さんも善意の人です。いい人です。だから「たくらみ」に屈するのです。どうすれば気づくことができるのでしょうか。どうにも抜き差しならぬところまで行かねば気づけないのかもしれません。としたら国民にとって実に不幸なことです。

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以上、2年前に書いた文章ですが、いま安倍さんのやり方を見ていて、「反対するやつなんか無視してどんどん進めるから、心配ない」ということだったのかと理解できたように思うのです。「自分たちは絶対正しい、まちがいない」のです。》と、安倍政権の危うさを指摘したつもりでした。あれから2年、多くの心ある国民はこのことに気づき心配しています。「心ある国民」とは、新聞テレビのマスコミ報道や日々の人間関係のみにどっぷり浸かることなく、ネット情報や書籍に拠る情報をもとに自分なりに「考える」ことのできる国民です。「考える」結果、目先のことだけに惑わされずに「自分の立ち位置が見える」ようになります。自己の相対化です。「知識」ではなく「知恵」の問題です。伊藤さん、やっとの思いで実現させた安倍政権の維持に汲々とするあまり、自らの立ち位置が見えなくなってしまっているのではないですか。

どうしてもお聞きしておかねばならないことがあります。伊藤さんが会って来られたという「アメリカの要人」とはどなたですか。


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ただトランプさんの登場によって、世界の流れは急転換しつつあるように思えます。かつての「アメリカの要人」の存在感はどんどん薄くなってゆくはずです。それにつれて、安倍政権の根底にある「伊藤さん的感覚」もフェードアウトになればいいのですが。悪あがきは避けて欲しいです。世の中は、「もう戦争なんてやめようや」の明るい方向に変わりつつあります。



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戦争とはこういう物

 核酸の必要ありと思い、記事の一部を引用させていただきました。不備があればご通報下さい。
by 戦争とはこういう物 (2017-01-08 11:19) 

めい

> 戦争とはこういう物さん

訴えたのは安東氏ではなくて、日本会議事務総長の椛島有三氏だったようで納得です。安東氏はそうした問題からは超然としておられる方のように思われます。
http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/682.html#c46

by めい (2017-01-09 19:48) 

めい

LITERAには《この高い評価を受けている日本会議批判本が、なんと“出版禁止”になってしまった。同書をめぐっては、宗教法人「生長の家」の元幹部である安東巖氏が同書の記述が名誉毀損に当たるとして出版差し止めの仮処分を申し立てていたのだが、6日、東京地裁が安東氏の申し立てを認めるかたちで、出版差し止めの仮処分命令を出したのだ。》とあります。
http://lite-ra.com/2017/01/post-2840.html
やはり安東氏が訴えたのでしょうか。
by めい (2017-01-10 20:21) 

めい

現役宮司が日本会議を批判 全体主義のこわさに警戒を〈AERA〉
http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/877.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 1 月 12 日 07:50:10: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU  

三輪隆裕(みわ・たかひろ)/1948年生まれ。神職三輪家56代目。名古屋大学文学部卒業。至学館大学客員研究員(撮影/編集部・作田裕史)

現役宮司が日本会議を批判 全体主義のこわさに警戒を〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170111-00000219-sasahi-soci
AERA 2017年1月16日号

 2016年の新語・流行語大賞は「神ってる」。“聖地巡礼”“パワースポット”がにぎわいを見せ、神様が身近にあふれる。3・11から6年、一人ひとりがそれぞれの形で宗教と向き合う時代。日本の宗教にいま、何が起きているのか。AERA 1月16日号では「宗教と日本人」を大特集。清洲山王宮日吉神社宮司の三輪隆裕氏に、伝統ある神社界が生む全体主義の怖さについて語っていただいた。

*  *  *
 まず申し上げたいのは、神社本庁の包括下にある神社で、政治活動に積極的にかかわっている神職は、全体の1%ほどしかいないということです。

 ほかは、神社本庁が改憲署名用紙を置いてほしいと言うから署名簿を置く。選挙で誰かを応援してほしいと言うから応援する。何となくやっているだけです。

 それはなぜか。神職になるには神道学科のある皇学館大学や国学院大学、または地方の神職専門学校で学び、神宮や有力神社で研修をするのが一般的です。このとき、上の方針に絶対逆らうなと徹底して教育されます。上の方針を批判したり、変更したりすることは一切してはならない。神社本庁が考える「伝統」のみが理想であるということ。機関紙の「神社新報」をはじめ、さまざまなルートでそうした「伝統」を刷り込まれるのです。いまの神社界にいる限り、そうした全体主義から抜けることはできないでしょう。

 神社本庁は、明治政府がつくった「国体」を日本の「伝統」と思い込み、天皇を頂点とした家族主義的国家の実現を目指しています。

 本来、多神教である神道には、一つの価値観や規律で国民を縛るという発想はありません。神道の伝統をはき違えています。

 これも理由があります。戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の「神道指令」で国家神道が解体されて、神社界は生き残るために宗教法人・神社本庁になりました。当時のリーダーたちは、明治時代に神職に就いた人々だったので、「国家神道」こそが神道の伝統だと勘違いしてしまったのです。

 その時代から、2代、3代と代替わりをして、ゴリゴリの皇国史観を持つ神職はほとんどいなくなった。考え方がリベラルな宮司もいますが、神社本庁の主導する「伝統」にはあらがえない。その「伝統」を外側からプッシュして先鋭化させているのが、民主主義を敵とする、日本会議の思想の核をつくっている人たちです。日本会議は神社本庁の「伝統」と1%の「真性右派」をうまく利用することで、動員力と資金源を手にしました。全国に8万もの拠点を持つ神社本庁を取り込むことで、小さな組織を大きくみせることに成功したのです。

 神社本庁の政治組織である「神道政治連盟」の政策委員の顔ぶれも、神職主体から、日本会議周辺の思想家中心に変わりました。その影響力が強くなっている証左でしょう。

 いつの時代も人々が従順であれば、一部の人間の意思でいつの間にか極端な社会になるのが、全体主義の怖さです。気をつけねばなりません。

(構成/編集部・作田裕史)
by めい (2017-01-14 07:28) 

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