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森絵都『みかづき』を読む [教育]

2016年12月12日
みかづき.jpgあるネット記事での「今年あと1冊だけ読むならこの小説」という紹介(松本大介)に引かれて読み始めた。自分自身の「教育」への関わりと重ね合わせながら、登場人物と共に生きたような気分で読み終えた。

それぞれ同じ「教育」という任務を担いつつ、相容れるには互いにためらい合うかのような「塾」と「学校」、最終章にあった言葉がこの小説全体が含む課題を象徴している。
《私は、この教育現場における官民連携の動きに賛同する者です。学校教員への負荷がここへ来てその限度をこえているのは無論のこと、この連携は塾側にとっても大いに益するものであると考えます。期待するのはかならずしも経営上の利益だけではありません。業界の皆さんには言わずもがなでしょうが、我々塾の人間というのは、すべての子どもに等しく勉強を教えられない現実に、絶えずある種の鬱屈を抱いているものです。商売であることの限界が、喉に剌さった小骨……いや、ナイフのようにつきまとう。故に、塾の看板を負ったまますべての子どもと等しくむきあう場を与えてくれる官民連携のとりくみに、私は新たな可能性を見る思いがするのです。》(462p)

教育機会の均等が基盤の「学校」と金を払ってくれる人のみを対象にひとつの商売として存在する「塾」、しかしそのスタートにおいて、「塾」は商売ではなかった。本書において「塾」は「学校』から漏れ落ちるところを補完する役割を担ったものとしてスタートした。「学校」においても「塾」においても、「教育」という営みにおいて、「教える者」と「教えられる者」の関係はあくまでピュアであるはずであって、そこにおいて「商売(カネ)」の介在は不純である。「 喉に剌さった小骨」のゆえんである。その小骨を抜き去っての大団円、読み終えてすがすがしい。

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