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元陸軍中将・遠藤三郎(毎日新聞 山形版)(2) 11歳から80年間書き続けた日記 [遠藤三郎]

なんと言っても遠藤三郎元中将のいちばんのすごさ(特異性)は、80年間一日も休まず日記を書き続けたことです。ギネスものではないか。「書く」という行為によって培われる倫理性、たとえ発表を前提としないものであっても、「書く」という行為によって自ずから「あるべき自己」が顕現し、そのことによって行動も律せられてゆくという典型としての生き様を見るように思います。

遠藤三郎という人には、どんな時代にあっても、どんな環境にあっても動じない「視点の確かさ」を感じます。そこにおのずから在る一貫性。ほんとうに頭のいい人だったのだと思う。そして遠藤三郎について知るだれもがそのことを認めていた。しかし、戦後そのことをほんとうに理解したのが、日本人よりむしろ中国人だったのではなかったか。周恩来首相との通り一遍でない交流にそのことがうかがえます。

以下、毎日新聞ネット版(12月2日)、転載させていただきます。http://mainichi.jp/articles/20161202/ddl/k06/040/107000c

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 戦後71年・やまがた

元陸軍中将・遠藤三郎 11歳から80年間書き続けた日記 満州事変の体験談も /山形

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 川西町出身の元陸軍中将、遠藤三郎が80年間書き続けた93冊の日記が埼玉県狭山市立博物館にあり、昨年8月に閲覧した。合計約1万5000ページに及ぶ日記の1冊目は、日露戦争発生から半年後の1904(明治37)年8月1日に始まる。11歳の遠藤が、夏休みに書き始めた。

 寒暖計85度(華子)晴天、但(ただ)し午後2時より3時半まで曇り 朝5時35分に起き、かおをあらい、めしを食べ、裏の畑にて、かみきり虫を1匹取り、父上に上げ……

 これをスタートに84年9月9日まで1日も欠かすことなく、91歳で死去する1カ月前まで書き続けた。

 中には軍上層部に反発して上申した意見書や極秘文書も日記の間に挟んであった。日本陸軍が旧満州(現中国東北部)全土を占領した「満州事変」(31年)や、陸軍の青年将校らがクーデターを謀った「2・26事件」(36年)などの歴史的事件を体験談として刻んでいる。

 遠藤を取材した毎日新聞の先輩記者に宮武剛さん(73)=東京都杉並区=がいる。宮武さんは85年7月から毎日新聞夕刊に連載「将軍の遺言 遠藤三郎日記」を執筆した。

 「あの人の日記はすごいらしいよ」。84年10月、遠藤の訃報を知った当時の社会部デスクの言葉を聞いて、宮武さんは遺族宅を弔問した。許可を得て遠藤宅に隣接する6畳ほどのコンクリート造りの書庫で、遠藤の日記を読み始めたという。休日返上で約4カ月かけて通い、全冊に目を通した。「壮大なドラマを見た思いに、しばらくはぼうぜんとしていた」と、当時を思い返す。

 宮武さんは「遠藤の最大の貢献は日本最長の日記を残したこと」とする。そのうえでこう指摘する。「過去が分からないと未来は分からない。だから遠藤の日記は過去をさかのぼり、未来を切り開くタイムマシンなんです」【佐藤良一】=随時掲載

(つづく)



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