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『明治維新という過ち』を読む ―― 根底的安倍批判 [政治]

明治維新という過ち.jpg

原田伊織著『明治維新という過ちー日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト(毎日ワンズ 2015)、アマゾンにレビューしてきました。


*   *   *   *   *

 

実は、軽い気持ちで読み始めた。司馬史観からは自由であるつもりだったから。しかし読み終えたいま、気持ちは重い。ぐさりとくるものがある。読み進むにつれて深く刺さってくるものがあったのだが、なんと言っても「第五章 二本松・会津の慟哭」がきつかった。ここ数年来逐いつづけてきた落合莞爾史観が絵空事、砂上の楼閣に思えてきた。歴史の「事実」として、言い換えれば「実存」として、こっちの方がずっとよくわかると思ってしまうのはどうしようもない。

《京の御所の塀が何故あのように低いかということに触れた。この一事が、この島国における天皇の存在を政治的にも精神文化的にも如実に表わしているのである,大和人であるならば、天皇のおわす御所に現実に弓を引くなどという発想は、まず出てこない。この点からも、口先で「尊皇」を唱える彼らが、その実、「尊皇」という真意など全くなく、単なる政治的テロリストとしてテロ目的達成のために天皇という存在を利用しようとしていたことは明白である。》(95P)
「口先『尊皇』」に思わず安倍首相が思いうかんだ。

《長州のテロリストたちが拠り所としたものは「水戸学」であり、そのリーダーたちはこれをうまく利用した。「尊皇攘夷」を呼吸するのと同じような頻度で喚きながら天皇と同義ともいえる御所を砲撃するという暴挙について、「形は足利尊氏でも心が楠木正成なら許される」といい放つ詭弁と傲慢さは、気狂い状態に達してしまった当時の長州人ならではのものであろう。そして、政権簒奪に成功するや否や、目を疑うような豹変を平然と行った。欧米を神のように尊崇したのだ。見事というほかはない。》(140P)
アメリカのジャパンハンドラーの手の内で詭弁を弄する「日本会議」に重なる。(菅野完著『日本会議の研究』のアマゾンレビューに「伊藤哲夫氏への異和」と題して書いた通り。)

《この水戸学精神が「昭和維新」の名のもとに昭和に入ってがら再び燃え上がった。具体的には、第一次世界大戦後から昭和前期にかけての軍部急進派と右翼団体による天皇親政による明治精神への回帰運動である。》(141P)
この時代を志向するかにみえる、今の「憲法改正」の動き。

しかし、
《この、明治精神への回帰運動の背景には、深刻な戦後不況と国際摩擦があった。》
(141P)
対して今の「維新称揚」「戦前回帰」は、軍事に結びつくことがいちばん金になる、要するに「経済第一」の行きつくところであることはあまりに見え見えである。拡大の一途をたどる「格差」
是正に目を向けることで 多くの問題は解決できるのに。

次の言葉で結ばれる。
《私たちは、長州を核とする勝者の言に従いその後の時代を「近代」と呼び、今日の行き詰まりを迎えているのである。》
(313P)

私には安倍首相に対する根底的批判の書として読めた。


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コメント 3

めい

1月8日、山形新聞の日曜随想は「誰のための『明治の日』」でした。「文化の日」を「明治の日」に改変の動きがあるとか。とんでもないことです。

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誰のための「明治の日」  
元県職員 野口千明

 昨年の5月、戊辰戦争のときの天童織田藩を描いた小説「養正館のひぐらし」を刊行した。戊辰戦争は1868(慶応4)年に起きたわが国を二分する内戦で、明治維新という大きな変革をもたらしている。その2年前、村山地方では「兵蔵騒動」という名の打ち毀しが発生して、戦の展開にも大きな影を落としている。小説の主人公は、藩校養正館に学ぶ少年たちで、彼らが否応なしに時代の流れに巻きこまれていくストーリー。話はこの打ち毀しから始まっていく。だから、打ち毀しの起きた66(慶応2)年のちょうど150年後に合わせて刊行した。
 幸いメディアにも取りあげられ「記事を見たよ」とか「買ったよ」と、多くの方が声をかけてくれた。友人知人をはじめ、地元が舞台となっていたためか多くの天童市民の方々からも購入いただいた。ありがたいことで、深く感謝しなければならない。
 そんないろんな反響のなかで、発売後ほどなくYさんとおっしやる方が「読みました」というお電話をくださった。ご先祖が天童藩士で戊辰戦争の折に戦死されたという。資料をみると、たしかにYという名の藩士が最上川縁で戦死したことが記されていた。いろんな資料を読みこみ、想像力を駆使しながら作品をつくりあげたのだが、モデルにした人物のご子孫と連絡がとれて驚いている。
 後日、Yさんに直接お会いする機会に恵まれ、Y家の由緒書や剣術・砲術の免状、ガラス乾板の写真など、責重な品々を拝見することができた。写真には、刀を手に椅子に腰をおろした侍の姿が写し撮られている。想像にすぎなかった人物が、その後の運命も知らないままじっと前方を見つめて、そこにたしかに存在していた。
 約1年に及ぶ戦いで、薩摩、長州などの新政府側はもちろんのこと、幕府側や会津藩、東北、北陸の諸藩に多くの犠牲者がでた。死者の数は、双方で1万3千人を超えるという。天童藩士の彼もその一人であった。
 来年、戊辰戦争=明治維新から150年を迎えることで、政府でも推進室を設置して記念事業の内容を検討している。IOO年だった1968(昭和43)年にも大きな記念式典を開催しているから、当然のことかもしれない。同時に、明治天皇の誕生日の11月3日を「明治の日」にしようと、国会議員を巻きこんだ動きも活発化しているとか。その請願書には「日本国が近代化するにあたり、わが民族が示した力強い歩みを後世に伝え、明治天皇と一体となり国つくりを進めた、明治の時代を追憶するための祝日」という趣旨が述べてある。
 明治天皇の誕生日はかつて「明治節」と呼ばれていたが、現在は「文化の日」となっている。46(昭和21)年11月3日に憲法が公布され、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」と定められたのである。だから、この日を「明治の日」にするということは、祝日の名称を変更するということだ。そうなれば、例年この日に親授式がある文化勲章は「文化の日」と一緒に消滅してしまうのだろうか。
 一連の動きは、旧長州藩である山□県出身の安倍音三首相のこだわりを反映したものらしい。それゆえか、首相の地元山□県をはじめとして、維新で大きな役割を果たした鹿児島、高知、佐賀の各県が「平成の薩長土肥連合」を結成し、観光地巡りのスタンプラリーなど、連携事業を展開しようとしているとか。Yさんのご先祖をはじめとする1万数千人の犠牲者のことを考えれば、性質の悪い冗談としか思えない。とかく勝者は敗者の痛みを忘れがちである。「明治の日」は誰のために制定するのか、もう一度立ち止まって考えてみてはどうか。(天童市)

by めい (2017-01-09 21:27) 

めい

安倍晋三が高杉晋作と重なることで見えてくる安倍晋三に対する肯定的評価。「放知技」板が教えてくれています。《晋作が死なずに維新後も生き残っていたら…/・・アジア人同士が戦うという愚はなかっただろう…》

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827:ビビリバビリブー : 2017/08/28 (Mon) 19:10:59 host:*.plala.or.jp
なぜ安倍首相は「12月15日・山口」で日露首脳会談を開催するのか? 幕末・高杉晋作が起こした奇跡 ( 日本史 ) - 夢の風ノート - Yahoo!ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/n09210422gane/35497882.html?__ysp=5bmV5pyr44O76auY5p2J5pmL5L2c44GM6LW344GT44GX44Gf5aWH6Leh
新説 明治維新
http://www.prideandhistory.jp/lp/nikoumj/lp2/ydn1.html?utm_expid=100515922-152.TYDShZJ6TyqRepWuSwHT5g.0
西先生の新説 明治維新怪しさ満載ですが
飯山先生、飯山一郎ブランド歴史スコープ 親切明治維新 お願いします。

828:飯山一郎 : 2017/08/28 (Mon) 21:08:44 host:*.dion.ne.jp
>>827
ビビリバビリブーさんの御下命により,小生,『飯山一郎の“真説・明治維新”』を書きます.
先ず…,序論として「日本歴史原論」.日本の歴史は,外圧と占領により大変化します.その「外圧と占領」は,今までに7回半ありました.
第1回目は,紀元前1万5千年前頃.コロポックル小人族や石器文化人が住む日本列島に土器文化人が侵入.縄文文化が始まる.
第2回目は,紀元前5千年頃.定住稲作民族が移住してきて,移動型の縄文人に代わり農作定住民族が主流になる.いわゆる「弥生時代」.
第3回目は,西暦紀元前後,古墳文化をもつ豪族たちが侵入してきて,日本は豪族・古墳文化の時代になる.
第4回目は,7世紀.豪族・古墳文化の日本列島に,百済国が侵入してきて,天皇制国家「日本」を建国する.
第5回目は,9世紀.奥羽地方に獰猛なアテルイ族や突厥族が侵入(外圧),京の征夷大将軍が征伐するも,日本は貴族社会から武家国家に変容.
第6回目は,19世紀.英国が「カラー革命」を策謀し,坂本竜馬,高杉晋作らの「尊王派」や「倒幕派」を扇動して,幕藩体制の徳川国を倒し,西欧文化万歳!の明治新国家を建国させ,英国による間接支配が始まる.
ただし,高杉晋作は上海から帰国後,西欧列強の「カラー革命」を見抜いていたが…,明治維新の前年,29才で死去.
この高杉晋作の「無念と残念」を,安倍晋三は熟知している.
第7回目は,20世紀.大東亜戦争に敗北した日本は,米国の占領下に入り,以後70年間,米国の植民地・属国となる.
第8回目は,現在進行中だが,日本は,米国の支配下から脱するため,ロシアとの同盟関係に入る.← いまココ.

以上,1万7千年間の日本の歴史と,その特色を,一気に短文で書きました.

『飯山一郎の“真説・明治維新”』,本日の結論は,以下の三つ.
① 日本の歴史の変動要因は一つしかない.それは『外圧と占領』.
② 明治維新は,『英国による“カラー革命”であった!』
③ ただし安倍政権だけは,外圧をはねのけて,自力で日本国を変えよう!としている.これは,日本の歴史上,初!

829:ビビリバビリブー : 2017/08/28 (Mon) 21:47:56 host:*.plala.or.jp
飯山先生、ありがとうございます。
もやもや観が、
http://4travel.jp/travelogue/10557095
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/21/77/46/src_21774664.jpg?1302113675

830:堺のおっさん : 2017/08/28 (Mon) 22:16:05 host:*.ocn.ne.jp
おもしろき
こともなき世を
おもしろく
すみなすものは
こころなりけり

831:飯山一郎 : 2017/08/28 (Mon) 23:15:20 host:*.dion.ne.jp
>>830
高杉晋作の辞世の句ですな.
病に倒れた晋作の最期を看取ったのは,幕末の女性闘士・野村望東尼.
最期のとき,晋作が「おもしろき 事もなき世を おもしろく」と詠むと…
野村望東尼が続けて,「住みなすものは 心なりけり」と詠んだという逸話.
じん!ときますな.

832:飯山一郎 : 2017/08/28 (Mon) 23:16:08 host:*.dion.ne.jp
>>827 >>828
西鋭夫氏の『新説・明治維新』は,『明治維新は英国による“カラー革命”だった』といったコトが書かれていて…
「(日本人の)品性の黄金時代が,間もなく花開く…」という章が終章になってますが…,感動的な文章でした.
それにしても…,英国・米国という白人の国家の品性は,悪魔のソレに等しい.

836:堺のおっさん : 2017/08/29 (Tue) 00:00:32 host:*.ocn.ne.jp
>>831 >>832
歴史に「もし」は禁句ですが、あえてその禁を犯せば…
晋作が死なずに維新後も生き残っていたら…
私は、アジア人同士が戦うという愚はなかっただろう…
別の発展を進んでいったのではないかと思います。
晋作の弟子でもあった伊藤博文も暗殺されずに済んだのではないかと。
そんなことを昔長州の功山寺で晋作の像を前に考えたことがあります。

日本史には不思議がいくつもありますが、その一つが薩摩と長州。
徳川幕府は鎖国政策を国是とする世界ローカル政権が基本。
薩摩の志布志が密貿易の拠点であり、下関は廻船の国内最重要港。
このような地政学的に重要な知行の意味が理解できなかった徳川幕府。
英国が下関の彦島割譲を迫ったとき、たった一人ではねつけた晋作。
晋作の「無念、残念」とは、上海で見聞してきた欧米列強のアジア支配の実態と
それを攘夷ではなく、開国によって跳ね返そうとの志が路半ばで
なしえなかったものと推察。まさしく、安倍総理の心象風景と重なります。
司馬史観ではこの点がすっぽりと抜けています。

奇兵隊の写真を見るに、武器の優位性だけではない野心的な面構えに驚きます。
維新の果実を盗み取った山縣有朋。奇兵隊員は彼によってすべて処分されます。
カラー革命の手先に成り下がった山縣の目から見れば、こんな隊員どもは
いずれ晋作の意思を継いで英国の手先を粛清し始めるに違いないだろうと。
かくして富国強兵の果て、ハートランド簒奪の東からの尖兵として利用される。
更に、用済みになったアジアの強国日本は再占領によって解体。

晋作にとってのおもしろき世とは…
最終的に、アジアから欧米列強を放逐することだったと。
誰しもが感じる、晋作が維新の中でも異彩を放つ所以です。

by めい (2017-08-29 05:06) 

めい

この本を「安倍批判から安倍評価へhttps://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2017-11-10」以前の時代に読んだ。そして《私には安倍首相に対する根底的批判の書として読めた。》と書いた。先日『日本思想史新論』(中野剛志 ちくま新書2012)を読みつつ、自分自身の水戸学への偏見がどこに由来するかを思っていてこの本に行きあたった。今は、東海防人氏のひとつ星アマゾンレビューがよくわかる。

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カスタマーレビュー
東海防人
5つ星のうち1.0最近の情報戦は明治維新否定論
2015年2月7日

最近この手の明治維新否定論が増えている。しかも「ベストセラー」のキャプション入り。要するに長州や吉田松陰をテロリスト呼ばわりし、明治維新を否定することで、現政権批判を暗にお膳立てすることが企図するところの一つでしょう。彦根城下に幼少期を過ごしたという著者は、地元の「赤鬼」井伊直弼が桜田門外の変で討たれたことを、反日左翼知識人(進歩的文化人・リベラル教徒とも言う。井伊が戦後「復権」したのもこれによる)がよくやるように、水戸と薩摩のテロリストという文脈で批判し、その系譜にある吉田松陰をテロリストと断定して、尊皇志士そのものを否定しているわけです(怨念すら感じられる)。その結果である明治維新など「過ち」に過ぎず、しかも「日本を滅ぼした」のだという、コピーライターらしい耳目を誘うタイトルで、更に大河ドラマの「花燃ゆ」に合わせて増刷するという、マーケティングプランナーらしい宣伝戦略。維新の原動力となった水戸学批判も、これまた反日左翼がよくやるような手法の範疇を出ていない。いわゆる司馬史観や薩長史観にも大きな問題はあります。例えば司馬史観の問題は主に昭和日本批判であり、それが東京裁判史観など戦後反日史観と結びついて広まったことですが、暗殺嫌いの司馬が桜田門外の変だけは評価していることを彦根贔屓の著者は我慢ならないらしく、それを司馬史観と言って批判しています。司馬が桜田門外の変を評価していることは、司馬が戦後史観に染まらなかった真っ当な部分の一つです。司馬が昭和はダメだが明治は一定の評価をするという一方で、著者は明治維新を罵倒する如く否定する。勝者の歴史に異議申し立てすると言いながら、戦後の「勝者」である反日左翼史観に媚びるレトリック。この著者が日本人か否かは分かりませんが、「怨念」ゆえか、或いは確信的反日でしょう。明治維新が綺麗事で万事成ったはずもありませんが、しかし幕末、世界が白人に支配される最後のところで日本のみがそれに立ち向かったことが、日本を救ったのみならず現在まで続く世界秩序にどれほど大きな意義があったかを否定することは出来ません。その意義ゆえに、日本という最古の国の歴史の受け継ぎをズタズタにしたい勢力は、国内外に在り、「歴史戦」と言われる現代情報戦は仕掛けられ続けているのです。

追記1
「倫理」を言うのなら、桜田門の仕返しとばかり、彦根が水戸天狗党浪士に対して行った武士にあるまじき残虐な処刑を説明してもらいたいものです。水戸学による尊皇の慶喜公が皇室に弓を引かず、徹底して恭順を示したことによって、内戦(英仏の傀儡戦争)を避けたことが日本にとって如何に重要だったか。著者は慶喜公を論外としているようですが、当時の井伊や幕府と同じ日本より幕府大事の亡国の思考そのものです。
追記2
他の方も書かれているステマ臭ですが、☆5のレビュアーはこのレビューのみであったり、投稿名が「Amazonカスタマー」であったり、歯の浮いたような高評価、或いは当初の高評価に対する賛同票の入り方(その逆も然り)など、ある意味分かりやすいようです。また、倫理的に歴史を解釈すると言っても、現代人の特に人権左翼イデオロギー的「倫理」で幕末を解釈するのは滑稽ですらあります。

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by めい (2019-02-23 06:23) 

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