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『田中角栄を葬ったのは誰だ』を読む  [政治]

田中角栄を葬ったのは誰だ.jpg「事実が語る『政治の究極』ドラマ」と題してアマゾンにレビューしました。

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『田中角栄を葬ったのは誰だ』は先ず以て、劣化しつづける日本の政治への警鐘である。ロッキード事件によって、民の暮らしに目線をおく田中角栄は葬られ、権謀の極み中曽根康弘は生き延びた。その結果するところ、日本のまっとうな自立の機会はいよいよ遠ざかり、アメリカにすり寄る功利の感覚の跋扈だった。著者の中曽根へのいらだちは激しい。
《確かに政治には綺麗事では済まされない面もあり、いちがいに非難するつもりはない。要は品性の問題なのだ。裏工作をしたことを平然と自慢し、人を編し出し抜いたことを、「凄いだろう」といって堂々と胸を張る中曽根康弘という人間の卑しさに、はっきりいって吐き気を催した。》(158p)
政治の世界において「品性」はいよいよ希少化しつつある。この著の意図を記したプロローグは《混迷する日本政治の腐食を剔挟する。それによって、健全な議会政治の復権を実現すること、これが私の願いである。》(10p)の言葉で締められる。

この著にはもうひとつ、著者が秘書として仕えた前尾繁三郎衆院議長の遺言に拠る主意がある。。
《「ロッキード国会で僕がどれほど悩んだか。平野君、君が知った事実や必要な事柄などを記録に残しておいてくれ。それが、田中角栄君に迷惑をかけた、せめてもの僕の思いだ」
 私が今回、『田中角栄を葬ったのは誰だ』を上梓した最大の理由は、この前尾さんの遺言であった。》
(10p)
政敵角栄抹殺の執念に燃える三木総理、自らに降りかかる火の粉を払わねばならぬ中曽根自民党幹事長、陰謀・謀略渦巻き混乱を極めた昭和51年の「ロッキード国会」。前尾議長は政治生命を賭けて国会正常化を実現する。前尾は田中の無実を信じていた。しかし非情にも、前尾議長が果した国会正常化が田中逮捕への道を開く。

実は前尾議長の国会正常化へのこだわりの背景には、昭和天皇から直々の「核拡散防止条約」国会承認要請があった。国政に関わることのできない象徴天皇が前尾議長に寄せる絶大な信頼あってのことだった。著者はそのことを、前尾が亡くなる2週間前に明かされる。
《「解散をせず、両院議長裁定までやってロッキード国会を正常化したのは、実は核拡散防止条約のためだったんだ。そしてあれには、誰にも旨えない背景があったんだ……天皇陛下の”ご意志”を活かすためだった」
 大抵なことには驚かない私だが、これにはびっくりした。・・・・・
 「いまでも覚えているよ。昭和五十年七月、第七十五回通常国会が終わって天皇陛下への奏上の時、核防条約の国会審議の見通しなどについて質問を受けたんだ。陛下は、核兵器に厳しいお考えをお持ちだった。
 お言葉の中には、原爆を投下されたという悲劇が、ご自分の責任であるという後悔や、核兵器を廃棄することが人類のため必要であるとの信念があった。僕には、陛下のお気持ちが痛いほどわかった」・・・・・
 「陛下は核防条約の不平等な問題点もご承知だった。それでも『承認と批准を長年放置するなど、被曝国のやることか」とおっしゃっていた。憲法上の天皇の立場もわかっていたが、政府・政党がどうにもならん時、僕はあえて、陛下の”ご意志”を実行すると腹を固めたんだよ」
 前尾さんの話に、私は政治の究極を見た。》
(221-222p)

先般8月8日、国民に向けて”天皇のお言葉”が語られた。
慎重に選ばれた陛下のお言葉から伝わる「国体」と「政体」のせめぎ合い。今また「政治の究極」ドラマの最中にある。日本の政治が本来進むべきまっとうな道を見出すことができるのだろうか。この著はその指針となる。

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昭和天皇の「極秘指令」.jpg

平野貞夫著『昭和天皇の「極秘指令』(講談社 2004)を読んだのは12年前だった。前尾繁三郎衆院議長の秘書であった著者が、前尾氏が亡くなる16日前に聞かされた昭和天皇に関する秘話を明らかにしたものであった。国政に関わることのできない象徴天皇として、日本の核武装をなんとか押しとどめるためにどう動かれたか。陛下の意を受けて政治家前尾繁三郎が、側近平野秘書にも知られることなくどう動いたか。その経緯が記されている。まっとうな政治家としての前尾繁三郎に強く心打たれた。その対極的存在として中曽根康弘があった。「中曽根感覚跋扈への警鐘」と題して、初めてアマゾンにレビューした。


著者の切迫した思いをひしひしと感じつつ、一気に読み終えた。とりわけ9.11以降、本来日本の保守の立脚点が忘れ去られ、アメリカに付くが得策の功利の感覚が保守の本流となったかにも見えるいま、それと対置される精神の在り処を日本の政治の中に確認できたことがうれしい。


   正しきに拠りて滅ぶる国あらば滅ぶともよしかならず滅びず 副島種臣》


副島種臣の歌は、その頃購読していた『明日への選択』で知った。岡田幹彦先生の文章だったように思う。『明日への選択』は、伊藤哲夫氏が主宰する日本政策研究センター発行の月刊誌。9.11以降、その論調についてゆけず購読をやめた。いまや伊藤氏は安倍首相の筆頭ブレーン」といわれている。当時、福島県いわき市にある東日本国際大学講師を務めておられた平野氏に上記感想を伝えて御礼の返信をいただいたのを思い出す。「あなたが読まれた通りです」という内容だったと思う。(現在の学長は先般の熊野大社例大祭においでいただいた吉村作治先生。「平野貞夫氏がおられた大学ですね」とお訊ねしたがご存じなかった。)


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めい

靖国問題の元凶も中曽根元総理にあったようです。そういえば原発問題の元凶も中曽根総理です。それはそれとして、田中良紹氏の↓の指摘は重要です。その通りです。
《野党もそして国民も明治維新から始まる近代日本の姿を今一度見直す必要があることを理解すべきである。/「維新後レジーム」を見直す中で「戦後レジーム」からの脱却、すなわち属国体制からの脱却を考える時なのだと思う。》

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靖国参拝に見る「姫君」と「下女」の役割分担ー(田中良紹氏)
http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/443.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 8 月 18 日 22:40:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
   
靖国参拝に見る「姫君」と「下女」の役割分担ー(田中良紹氏)
http://www.twitlonger.com/show/n_1sp0usc
18th Aug 2016  市村 悦延 · @hellotomhanks

戦後71年目の終戦記念日、安倍内閣で靖国神社を参拝したのは高市早苗、丸川珠代の女性2閣僚であった。萩生田官房副長官は衆議院議員の肩書で参拝したが、2人はいずれも大臣の肩書を記帳して参拝した。そして例年参拝を続けてきた稲田朋美防衛大臣は公務出張を理由に参拝を見送った。フーテンが組閣人事の際に予想した通り、安倍内閣における女性閣僚は靖国参拝をアピールする役割を負わされている。そしてそこには「姫君」と「下女」との役割分担があり、将来を嘱望される「姫君」は主君アメリカへの配慮から参拝を見送るが、代わりに「下女」が参拝することで露払いの役割を演じている。

安倍総理本人は第一次政権で中国に対する配慮から参拝を見送り、第二次政権になって13年12月にようやく念願の参拝を果たしたが、主君アメリカから「失望」を表明され、そこから一転してアメリカの「調教」に甘んずるようになった。日本人の多くは靖国問題を中国、韓国との関係だけで捉えるが、同盟国アメリカも主要閣僚の靖国参拝を望ましくないと考えている。そのため安倍総理は後継者に選んだ「姫君」を参拝させない仕組みに取り込み、一方で右派勢力の批判をかわすため「下女」に防波堤の役割を負わせた。だから改造人事は靖国参拝が女性閣僚起用の条件だったのである。

それにしても靖国参拝をこれほどまでにセンシティブにさせたのは1985年8月15日の中曽根総理による公式参拝である。それまで歴代総理は靖国参拝を恒例にしてきたが、どこからも批判の声は上がらず、A級戦犯合祀が公表された後でも大平、鈴木、中曽根と三代にわたり総理は参拝を続けてきた。

ところが85年の終戦記念日に中曽根総理は公用車を使用し、内閣総理大臣の肩書を記帳し、玉串料を公費から支出する公式参拝に踏み切る。しかも後継と目される竹下、安倍の両大臣を左右に従えての堂々たる参拝であった。これに中国共産党が初めて非難の声をあげ、中曽根総理は翌年から靖国参拝を取りやめた。以来、小泉総理が参拝するまで靖国参拝はタブー視され、とりわけ公式参拝はその後一度も行われることがない。

85年の8月15日にフーテンは竹下大蔵大臣の河口湖の別荘に呼ばれていた。その日、竹下氏は「みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会」の会長として午前中に参拝を済ませていた。ところが中曽根総理の要望で午後に再び靖国神社を参拝させられたのである。夕刻、別荘に到着した竹下氏にフーテンが「1日に2回も参拝するのはおかしくないですか?」と質問すると、竹下氏は「マ・ン・ガだ!」と嫌な顔をし、そのまま黙り込んだ。中曽根総理の公式参拝は竹下氏にとって不愉快な出来事だったと感じ、それ以上の質問は憚れた。

総理大臣の靖国参拝を復活させたのは小泉純一郎氏だが、小泉氏はそれまで靖国神社に参拝したことなど全くなく、ただ圧倒的に優勢とみられる橋本龍太郎氏に対抗して自民党総裁選に立候補したことから、自民党総裁に当選すれば必ず靖国参拝を行うと公約して遺族会の票の獲得を狙った。選挙公約であるから総理在任中の小泉氏は靖国神社を参拝し続けた。しかし中曽根氏のように公式参拝を行ったことは一度もない。アメリカも小泉氏が右翼思想の持ち主でないことを知っているので大目に見たが、中国と韓国はそうはいかなかった。そのため対日関係はぎくしゃくし続けた。

第一次安倍政権はそのぎくしゃくからの脱却が最優先課題となり靖国参拝は見送られた。それは安倍総理周辺の右派勢力を落胆させる。そのため第二次政権の安倍総理は靖国参拝を必ず実行しなければならない立場にあった。ところが小泉総理と異なり安倍総理の右翼思想を警戒するアメリカは安倍総理の靖国参拝を強くけん制する。来日した米国務長官と米国防長官はわざわざ千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れて献花し、アメリカ政府の意思を見せつけて安倍総理に靖国参拝をしないよう促した。それでも安倍総理が靖国参拝を強行するとアメリカ政府は異例ともいえる「失望」の表明を行う。その時の経験から参拝を断念した安倍総理は、自分と最も思想的に近い稲田氏にそれを真似させたのである。安倍総理が長期政権を狙うのであれば、そうやってアメリカに迎合し、国内の右派勢力を逆に「調教」する必要がある。かつて森元総理が「視野の狭い右翼思想の持主」と看做した安倍総理は、今や靖国参拝をアピールする女性閣僚と参拝させない女性閣僚を手のひらに乗せ操る術を身に着けるところまできた。

しかし問題はそのような小手先の政治術だけでは済まないところにあるとフーテンは考える。

8月8日に天皇は「お言葉」を発し明治以来の皇室典範の改正を求めていることが分かった。また靖国神社でも戊辰戦争の官軍の戦死者だけを祀る神社として創建されたことに徳川家末裔の宮司から異論が出されている。
いずれも明治維新時の歴史観をそのままにして良いのかという問題提起である。

昨年は戦後70年という節目のため先の大戦や平和憲法を巡る議論に注目が集まったが、今年からはそのレンジをさらに延ばし、明治維新以来の日本の歴史を再検証して近代日本の戦争と平和を、天皇制や靖国問題を切り口に考えるべき時にきていると思う。

これは単に政権の座にあるものに求められた課題ではない。野党もそして国民も明治維新から始まる近代日本の姿を今一度見直す必要があることを理解すべきである。

「維新後レジーム」を見直す中で「戦後レジーム」からの脱却、すなわち属国体制からの脱却を考える時なのだと思う。
by めい (2016-08-19 06:13) 

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