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大井魁先生の「ナショナリズム論」、その現在的意義(5) [思想]

6 日本歴史における誇りと汚辱


 百年前、日本はヨーロでハ文明に接して驚きの目を見張り、封建日本の弱体を痛感し、そして先覚者は日本の国民的独立の課題に直面していた。日本はその独自な文化と生活様式において高度に熟していたとはいえ、それらは諸国家の対立と闘争の場に耐えて生きぬいてゆくのにふさわしい性質のものではなかった。明治維新の変革を通じて、われわれは近代国家の体制をあわただしく整えてゆく。そして急速に”近代化”と”西洋化”の過程を歩む。それが当時において日本の国家的独立維持の唯一の道であったことに、疑いはさしはさみ得ない。

 階級の歴史という枠に視野を限定すれば、明治日本は絶対主義体制であり、上からの資本主義は、社会の前近代的な要素を利用しつつ人民の犠牲の上に資本を蓄積してゆくことになる。維新の変革によっても解放されなかった小作農の呻吟があり、近代産業の下には前近代的労働関係が根づよく残った。自由民権運動の挫折があり、ようやくはじまった社会主義運動に対する苛酷で直接的な抑圧があった。そこに暗い日本の姿があったのは事実である。しかし同時に、その日本が諸国対立の世界のなかでは輝かしい前進を遂げた日本でもあることを認めねばなるまい。そして、その輝かしい日本をもちきたった原動力が明治ナショナリズムであった。日清戦争、日露戦争を経て、日本経済は飛躍的に発展し、ナショナリズムも成長してゆく。日露戦争には帝国主義的侵略戦争という性格があったのは事実であろう。しかし、当時の国際社会を前提として、強大な帝政ロシヤの、中国、朝鮮への進出に対抗して、日本はほかにどんな方途をとり得たか、という問いに対して、納得のゆく回答が与えられないとすれば、この両戦争を行なった当時の日本人を非難することができるであろうか。

 徴細に見れば、無理があり、歪みがあった。しかし明治ナショナリズムが、近代日本の建設の原動力であったことは否定できない。今の日本国が、ともかくも高度工業国として、経済と産業とにおいて次第に独自の地位を世界に占めようとしているのは、戦後の日本人の努力だけに負うものではなく、明治以来の日本人が築きあげた成果を、日本帝国の崩壊と被占領の時代を超えて継承したのにほかならない。

 明治日本は、ヨーロッパおよびヨーロッパ系統の国々を除けば、ほとんど唯一の独立国であった。現在、アジア、アフリカ諸国民が独立と近代化への道を歩みつつある。その先蹤が日本帝国であったことに、われわれははばからず大らかな誇りと自信とをいだきたいと思う。中国革命の父と呼ばれる孫文が、その死の前年である一九ニ四年の講演に、中国革命の基本思想を説いたなかで、明治日本のナショナリズムを評価していることは周知のとおりである。

 日本は、「ヨーロッパ文明の東方への到来に乗じ、ヨーロッパ、アメリカの風雨のなかに身をひたして、新しい科学の方法を利用し、国家を発展させ、維新後五十年にしていまやアジアでもっとも強大な国家となった。・・・この日本が富強になり得たということは、アジアの各国に限りない希望を生みだした。・・・以前にはヨーロッパ人にできることでも、われわれにはできぬものと思われていたものだ。それが今日本人がヨーロッパに学び得たことから、われわれが日本にまなび得るこことがわかったわけだ」

 右のように述べて、孫文は、日本が衰えた国から強大な国家に変ったのは、”民族主義”の精神があったからだと論じている。アジアにおける明治日本に対する右のような評価は、今日においても変更を加える必要はあるまい。 

 しかし、その後の日本の対外行動は質的にちがってくるように思われる。朝鮮の併合を機として、日本のナショナリズムは、他国と他民族の犠牲において自国の発展をはかる我欲的ナショナリズムに転換する。古い歴史をもつ朝鮮を陰謀的手段によって併合したのは、日本のその後の罪悪史のはじまりのように思われる。ここで、”歴史の必然”ということで議論を展開する気持はない。しかしただ、帝政ロシヤが志向をアジアから転じたのちにおいて、朝鮮の併合なしでも日本は生存と発展を維持し得たのではなかったか。その後、朝鮮人の間では、三十五年後の一九四五年の日本帝国崩壊の日に至るまで、独立運動がつづく。そして、他方、朝鮮の軍政支配、日本資本の進出、朝鮮人の経済的転落、困窮朝鮮人の内地流入と道徳的類廃、その朝鮮人に対する差別待遇と蔑視。さらには関東大震災のときの朝鮮人虐殺、”大東亜戦争”期の強制徴用労働。しかも、朝鮮人に対する日本帝国の植民地支配の実情も、朝鮮人の独立運動の存在すらも、普通の日本人はほとんど認識しなかったという事実。”一視同仁”とか”同胞”とかの言葉で何となく朝鮮を知っているかのように錯覚していたことを、戦後に知らされた日本人としての汚辱感。日本帝国は、朝鮮の併合から道徳的に汚れはじめた、といっても過言ではない。

 大正期以降の日本の行動のうち、われわれ自身の汚辱として認識しなければならない行動を列挙すれば、対華二十一ヵ条要求、米・英・仏との対ソ共同出兵、そしてのちには単独でつづけるシベリヤの無名戦争、田中内閣の山東出兵、”満州某重大事件”と呼ばれた張作霖爆殺、”満州事変””日支事変”、そしてそれからあとは”大東亜戦争“までの一直線コースである。満州と中国に進出したのは、軍部の主動によるものであったか、独占資本の要求であったかを論ずるのは社会科学の仕事である。ここでは、それが日本人によって日本国家の行為として行なわれたことを確認すればよい。日本の国家は、中国人をはじめとする諸国民を無意味に殺害し、またそれによって、当時の国家に忠誠な無数の日本人を殺した。”大東亜戦争”に突入することで、日本帝国は精神的にも自滅した。侵略的なナショナリズムは、ナショナリズム本来の任務である自己保存の機能さえも果さなかった。

 大正の中期から帝国の終末の日まで、日本帝国の行動は道義的な汚れに充ちていた。しかし後世の今、われわれはこれを道徳的に裁くだけで済ましてはならない。

 一九二〇年からはじまり慢性化した不景気、さらに一九ニ九年にはじまる世界恐慌は、国民の生活から健康な希望を奪ってしまった。倒産と失業とが続出し、米をつくる農家が米を食うことができず、”欠食児童”が社会問題となり、”壮丁の体位低下”が軍事的見地からとはいえ、国家問題となった苦しみの日々であった。満州の戦争に国民の暗い支持が送られた背後には、このような生活の苦しみと平和の価値を認識し得なかった不幸があったことを、今のわれわれは噛みしめて知らなければならない。

 日本人の過去、日本帝国の誇りを誇りとして身につけ、恥辱を心の痛みとして保持することによって、日本国のナショナルな視点からする日本帝国の認識が成立する。日本帝国と日本国とを一貫するナショナリズムの心情を培うことができる。そして、そういう精神の作業を経てのみ、われわれは、日本国と自己とのつながりに切実な関心を回復することができる。日本帝国との断絶においてでなく、その否定と肯定との両契機における連続のうちに、ロ本国ナショナリズムの形成を期待することが可能となる。(つづく)

 

   *   *   *   *   * 

 

明治になって諸国対立の中で輝かしい前進を遂げた日本のナショナリズムは、明治43年(1910)朝鮮併合を機として、他国と他民族の犠牲において自国の発展をはかる我欲的ナショナリズムに転換する。古い歴史をもつ朝鮮を陰謀的手段によって併合したのは、日本のその後の罪悪史のはじまりであった。日本帝国は、朝鮮の併合から道徳的に汚れはじめたのである。そして結局、大東亜戦争に突入することで、日本帝国は精神的にも自滅した。侵略的なナショナリズムは、ナショナリズム本来の任務である自己保存の機能さえも果さなかったのである。


朝鮮併合がKの法則」を発動させてしまったのだ。「Kの法則」は「我欲」とリンクしている。そこから生ずる「視野の狭窄」。みすみす罠に嵌ってゆく。真珠湾に始まる大東亜戦争がまさにそれであったろう。最近読んだ本から記す。


フランスに留学した東久邇宮稔彦王がクレマンソーに、「アメリカが日本を軍事攻撃するという欧州での噂話は本当か」と問うた。それに対しクレマンソーは「当たり前だ」と吠え、続けて「アメリカ政府は日本政府に無理難題を吹さかけ、日本側から対米戦争に踏み切る方向に外交政策を取らざるをえないように仕向ける。戦争に訴えたら、日本は必ず負ける。短気を起こさず、辛抱強く我慢すべきだ。絶対に戦争はするな」と答えた。「虎」と呼ばれた気性の政治家クレマンソーが、「はやるな、押さえろ」とひたすらの忍耐を説いたのだという。帰国後、複数の陸軍首脳にこの話を伝えたが日本の首脳は誰も信用しなかった、と稔彦王は記している。(東久邇稔彦著『やんちゃ孤独」読売新聞社 1955


この挿話は『天皇奇譚』(高橋五郎 Gakken 2012)に紹介されているのだが、次の文がつづく。


《悪化に向かうアメリカの対日姿勢に、日本政府も軍部も反応しない。アメリカが日本に戦争を仕掛けるハズがない。つまり想定外のことやまだ何も起きていない事案に興味を持たないのが日本政府。政府の価値観や世界観であり、何よりも一文にもならない得にもならない事案には反応しないから当然だ。一方の欧米の金融陰謀団は、四百年も前から念入りに準備してきた日本支配は眼前。日本側に野心を察知される前に片づけなくてはならない。ヒトラー総統と戦争中の英国を支援する参戦口実を探していたアメリカ政府が選んだのが真珠湾だった。離島での開戦は情報管理上も理にかなう環境である。》(『天皇奇譚』325p


大井先生に戻る。次の言葉は、ナショナリズムを考える上で重要である。家族や地域を思うことが「我がこと」であるように、国を思うことも「我がこと」なのである。

 

《満州と中国に進出したのは、軍部の主動によるものであったか、独占資本の要求であったかを論ずるのは社会科学の仕事である。ここでは、それが日本人によって日本国家の行為として行なわれたことを確認すればよい。》


なお、柳宗悦の「朝鮮の友に贈る書」に「Kの法則」を超えるヒントがありそうな気がする。

http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2014-12-30


 


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めい

透徹せる天皇の御存在をほんとうにありがたいことだと思わされます。

   *   *   *   *   *

新ベンチャー革命2015年4月10日 No.1101
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/34819751.html

タイトル:とんでもない自家撞着に陥っている安倍首相:戦前回帰志向の安倍氏は今上天皇の御意思である“平和憲法順守”を踏みにじることはできない

1.天皇ご一家の安倍政権・日本政府への危惧と反戦平和への強い祈念を国民は察するべき

 このところ、天皇ご夫妻のパラオ訪問がマスコミで報じられてきました(注1)。これに関連して、最近、天皇ご一家の国民に向けてのご発言は、日本は二度と戦争するなという強いメッセージで一貫しています。日本のこと、日本国民のことを真剣に考えている指導者は今では天皇ご一家のみではないかと思えるほどです。

 以上より、今の天皇ご一家は、安倍政権および日本政府が、日本を属国支配する米国戦争屋の要求に従って、自衛隊の海外派兵のための法改正、そして、自衛隊の軍隊化を認めない平和憲法の廃棄に血道を上げている現実に強い危機感をもっておられることが明白です。

なお、上記、米国戦争屋(世界的寡頭勢力の主要構成メンバー)およびそのロボット・悪徳ペンタゴンまたは悪徳ヘキサゴンを構成する日本人勢力の定義は本ブログNo.816の注記をご覧ください。

 今回、天皇ご夫妻が老骨に鞭打って、パラオまで出かけられたのはなぜか、われら国民は真剣に考えるべきでしょう。

2.今の安倍政権と日本政府は、天皇の御意思より米国戦争屋の要求を露骨に優先している

 あれだけ、天皇が平和憲法護持を訴えておられるのに、安倍政権も日本政府も馬耳東風を装っています。このことから、今の日本の指導層は、天皇の御意思を無視していると観て間違いないでしょう。天皇は本心では相当、怒っておられるような気がします。

 天皇のお言葉は重いので、そのメッセージはどうしても婉曲的であり間接的です、従って国民がどれだけ、その真意を理解しているのか、大変、疑問です。

 今上天皇は絶対に靖国神社参拝をされませんが、それは、昭和天皇の御意思を引き継いでいるからです。昭和天皇が靖国神社参拝を止められたのは、松岡洋右などA級戦犯を祀っていることがわかったからと言われています(注2)。この松岡洋右は戦前、日独伊三国同盟を結んでいます、すなわち、戦前日本をナチス・ドイツの同盟国にした張本人です。そして、今の安倍首相の家系は、この松岡家と親戚だったのです(注3)。

 要するに、松岡に代表される戦前日本の指導層は国民を戦争に引きずり込むため、天皇をさんざん利用してきましたが、本心では、天皇の御意思をまったく尊重していなかったわけです。そのことを知っておられた昭和天皇は松岡などA級戦犯に内心怒り心頭だったということです。彼ら戦前の指導層は、自分たちの都合が悪くなると、天皇にすべての責任を負わせてきました。彼らは自分たちの正体が国民に見破られないよう、巧みに、天皇を隠れ蓑に利用してきたのです。そのことをもっともわかっていたのが、昭和天皇でした。今上天皇も同じでしょう。

3.安倍氏と日本政府の暴走に待ったを掛けるのは、国民ではなく今上天皇かもしれない

 安倍氏も日本政府もいくら天皇が平和憲法順守を示唆されても、米戦争屋の要求(自衛隊の米軍傭兵化)を優先するはずです。このとき、天皇がどのような行動を取られるか、現時点では定かではありませんが、もう覚悟を決めておられるような気がします。

 本来、国民が待ったを掛けるべきですが、国民多数派は、安倍・日本政府の暴走を止める気概が弱いように感じます。

 それどころか、反戦平和や平和憲法順守を叫ぶ人間を反日とか、ブサヨとか、クソ左翼とののしる風潮すらあります。こういう輩は、米戦争屋の極東分断統治戦略(注4)に沿って、米戦争屋に言いなりの悪徳ペンタゴン日本人勢力によって洗脳された親・米戦争屋の似非右翼と思われます。

 そして、彼らは安倍氏の暴走を支持しています。つまり彼らは右翼を気取っているくせに天皇の御意思に逆らっています、戦前なら、まさに国賊そのものです。

4.安倍氏のとんでもない自家撞着に気付け

 今の安倍氏は、戦前日本の指導者であった安倍氏の祖父・岸信介や親戚の松岡洋右を尊敬しており、彼らの行動を肯定し、彼らの名誉を回復させたいのが本音です。ところが、安倍氏の尊敬するこれらの戦前指導者たちは、米国からA級戦犯にされています。安倍氏はその現実を到底、受け入れられないのです。だから、彼は尊敬する岸、松岡など戦前指導層の名誉回復のために、今の日本を戦前回帰させようとしています。

 ところが、安倍氏の尊敬する岸・松岡など戦前指導層は、天皇制を巧妙に利用してきた輩ですが、彼らは狡猾にも天皇をオモテムキ、神格化して、国民支配に利用してきたのです。そして、オモテムキ、彼らは天皇を尊敬するフリをしてきました。なぜなら、戦前日本は、建前上、天皇が絶対的存在とされていたからです。そして、戦前日本では天皇の御意思の背く日本人は国賊扱いされていたのです。ところが、戦前回帰志向の安倍氏は、今上天皇の御意思(平和憲法順守)にぬけぬけと背いています。

 このどうしようもない安倍氏の自家撞着に対して、同氏はどのように自己正当化するつもりなのでしょうか。

 上記のような安倍氏のどうしようもない自家撞着を、米国指導層はお見通しでしょう。米国指導層は正義漢を気取っていますから、安倍氏のような自家撞着のかたまりのような人間を内心、非常に軽蔑しています。

 にもかかわらず、米国政府はそのような安倍氏を神聖な(?)米議会で演説させることをしぶしぶ許しています。なぜでしょうか、その理由として、安倍氏にTPPを飲ませることだという説があります(注5)。

 ところで、米国会議事堂はフリーメイソンの神聖なる殿堂ですが(注6)、安倍氏をその神聖なる殿堂に引き入れるということは、フリーメイソン国家・米国を救うために、安倍氏率いる日本を生贄にしようとしているとみなせます。

注1:NHK Web“パラオで戦没者慰霊 両陛下が昨夜帰国”2015年4月10日
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150410/k10010043411000.html

注2:富田メモ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E3%83%A1%E3%83%A2

注3:本ブログNo.1058『安倍首相一家の親戚・松岡洋右とともに日独伊三国同盟に走った戦前の外交官・白鳥敏夫の誤謬を安倍首相と外務省は繰り返している:戦前日本の危機の再来と知れ!』2015年2月8日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/34633423.html

注4:本ブログNo.199『米国戦争屋の東アジア分断統治戦略を日本人は知っておくべき』2010年9月22日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/18808617.html

注5:田中宇“安倍訪米とTPP”2015年4月8日
http://tanakanews.com/150408japan.htm

注6:本ブログNo.1090『日本を乗っ取っている勢力は2015年3月3日に、フリーメイソンの殿堂・キャピトルヒルにて核戦争を宣言した:それに嬉々として隷従しようとしているのが安倍首相、なんと情けない!』2015年3月22日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/34759364.html

ベンチャー革命投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/melma.htm

テックベンチャー投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/8285/column-top.html

by めい (2015-04-11 23:53) 

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