SSブログ

平成二十六年東北神咒奉唱大会報告記事 [神道天行居]

6月15日の務めをようやく果たすことができました。「今年は早く書くようにします」と言って引き受けたのですが、全く思いがけないことに、選挙にのめり込むことになって予定が狂ってしまいました。私にとっていちばん力をいれて書かねばならない原稿です。心の準備を整えて、と思っているうちについつい遅れ遅れになってしまうのです。年齢(とし)のせいと言ってしまえばそれまでですが、たしかに同時にあれもこれもというのができなくなってしまっています。毎日のように、書かねば書かねばと思いながら書き上げたのが10月半ばで11月号にも間に合わず、昨日届いた「古道」12月号に掲載されました。最後に「報告が遅れましたこと、深くお詫び申し上げます。」と書き添えていたのでしたが、それは削除なっていました。

 

   *   *   *   *   *

2-DSCF1561.JPG

 

      平成二十六年東北神咒奉唱大会

 六月十五日、仙台青葉神社での東北神咒奉唱大会が行われました。

 私事に渉りますが、私が神道天行居を知って今年でちょうど三十年になります。この間天行居道士としてなすべきいかほどのことをやってきたか、顧みればはなはだ心もとないわけで、お山に在っての感覚と家に在っての感覚との歴然たるギャップ、当初は家に在ってあった「これではダメだ」の思いも、いつしかその「ダメ」レベルで定着日常化して現在に至るわけですが、とはいえ三十年の歳月の経過にはそれなりの歴史があって、いつしか「天行居的感覚」らしきものが、どれだけ身についたかはともかく、自分なりに理解できるようになってきたようで、そんな折、先の「古道」六月号に掲載された鴨居正恒先生の「神楽」(昭和三十三年一月号からの転載)の記事になぜかたまらなく心惹かれ、たまたま手元に先生の遺文集『清雲遺蹤』(正・続)があり、そこにある東北所縁の小野浩先生「故鴨居正恒大人命霊位献詠」の中「君こそは同志(まめひと)のなかの同志と 先師(さきつみおや)も洩らしたまひぬ」によって、なるほど「天行居的感覚」といえば鴨居先生、ということで東北神咒奉唱大会に臨んだのでした。

 

天照皇太神 梧竹.jpg

 実は、鴨居先生の文章が機縁となったシンクロニシティ(偶然的共時)体験がありました。『清雲遺蹤』の題字を書いておられる日野俊顕という方からたどって書聖中林梧竹にたどりついたその翌日、私の家とはほとんど背中合わせの、私にとって最初の歯医者さんでもある斎藤茂吉研究家黒江太郎先生著『窿應の生涯と茂吉』をたまたま開き、茂吉が上京して間もない明治二十九年秋、茂吉幼少期以来の師佐原窿應和尚と共に中林梧竹を訪ねていたことを知ったのです。そのとき揮毫してもらった「大聖文殊菩薩」の書は、茂吉が生涯大切に捧持した書でした。茂吉が何度か訪れて宿泊した黒江家の蔵は私の家からすぐ裏に見えます。さらに日野俊顕著『中林梧竹の書』冒頭にあった梧竹八十五歳「天照皇太神」の書が、晩年の友清磐山先生がその写真を机上に飾られ、また鴨居先生がその現品をなんとか天行居所蔵とすべく腐心して叶わなかったことを知り、その書を布に染め上げて大会に持参したことで、初めてお会いした愛知の清さんから、梧竹研究の第一人者であり黒江先生とも交流のあった日野俊顯という方が天行居同志であったこと、本部神殿西に掲げられている額が他ならぬ梧竹の書であることを知らされ、驚きは一層増幅されることになりました。思いがけなく身近にまで張り巡らされた天行居ネットワークを実感させられた一連の体験でした。

 付け加えさせていただけば、直会の席で東北最長老大堀忠潔先生から、また、御一緒した車中で梅原禮子支部長から、鴨居先生と身近に接せられた貴重な御体験の数々をお聞きできたことは、ほんとうにありがたいことでした。

 

 大会の次第、先ずは胸に響く朗たる太鼓の音を合図に片倉青葉神社宮司による正式参拝執行の後、友清鈴世宗主よりの祝電が披露され、直ちに皇室の御安泰・天関打開促進・霊的国防・万有和合・世界霊化を祈願する修法式が次の通り執り行われました。

(略)

 このたびとりわけ高らかな十言神咒、熱気溢れる修法式となりました。外に出て神社大前にて記念写真撮影後、直会です。

 先ず帰幽者への黙祷、そして阿部滋前総務の御発声で献杯。梅原禮子仙台支部長からの御礼のご挨拶の後、恒例になっている片倉宮司による御講話をいただきました。

5-DSCF1568.JPG

 仙台藩祖伊達政宗公を祀る青葉神社片倉重信宮司は、政宗公幼少時は近侍としてそして後には重臣として、生涯を通して政宗公を輔佐し続けた片倉小十郎景綱直系子孫です。青葉神社を会場にさせていただくようになって二十年を越えますが、参加者にとって片倉宮司からの御講話をお聴きすることがこの会の大きな意義のひとつになっています。そしてこのたびはお話の冒頭で、青葉神社での最初の大会における忘れがたい高校時代の恩師和泉常夫先生との出会いが語られ、「和泉先生がこうした会に所属して活動しておられたことを知り、この会には何か大事なものが隠されているような気がして、私の修業の場としてこの会があったような気がする。」との言葉をいただいたことは、ありがたくまたうれしく、この大会への参加が着実に魂の体験の蓄積となって、私どもをも成長させてくれていると思わされたことでした。 

6-DSCF1569.JPG

 片倉宮司は、今まさに”よのかはりめ”(「山上の天啓」)であることを強調されました。「去年、二十年に一度の伊勢神宮の御遷宮がございました。平成になって二度目の御遷宮。今回の御遷宮は二十一世紀になってはじめての御遷宮。出雲大社の御遷宮とも重なった今回の生まれ変わりは特に大きな意味があるような気がする。要するに、天と地が同時に生まれ変わったということ。二十世紀から二十一世紀への生まれ変わりの意味をもっている。二十世紀の生き方によってもたらされた今日の世界、これでいいのかと考えさせられます。これからの二十一世紀というのは、これまでとはちがった生き方をしてゆかないと、世の中は変らない。生まれ変わらなければいけない。」

 三年前の東日本大震災において青葉神社の大鳥居が倒壊しました。このことは、町と神域を区切る結界が外されたことを意味したのです。「 鳥居が倒れた時に、町中に神の気というもの

7-DSCF1571.JPG

がどーんと流れ出たんですね。それを感じた人達が、町の中にたくさんおられました・・・結界が外されてすべてが聖地になったわけです。そこへ、天から降りてきた神の気というものが、どんどんと町中に、そして大地に、地球を取り巻くように降りてきているというふうに思っていただいてよろしいと存じます。」

 少子高齢化の進展とも相俟って、「より遠くへ、より速く」ただひたすらなる成長を目指す精神エネルギー枯渇の傾向が、むしろ若い世代から広がって、資本主義の終焉もいよいよ目前に見えてきたような気がします。しかし経済至上の感覚で未来を見れば暗くとも、私どもが涵養しつつある天行居的感覚を以てすれば、まさに求めんとする世の中の到来なることを示唆する貴重なお話でした。


(以下略)

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。