東北神咒奉唱大会(2)片倉重信宮司のお話 [神道天行居]
いま自分が思いますに、この世の中大変に乱れて、地球も汚れに汚れてきてしまったという現実、それをいま、全てきれいにすべき時がきた。このたびの東日本大震災、今まで汚してきてしまった地球とこの社会というものを祓い浄めのための儀式があの時行われたんだという気持ちなんです。それから一年二年と時がたって、今年で三年目ということになるんですが、いよいよ、浄められたこの大地に新たな気持ちでほんとうの神の国を建設すべき、そういう時を迎えたようなそんな気持ちがいたしております。私は、震災によって被害を受けたというのではなくて、今まで自分たち人間が生活する中で、神の心を忘れて汚してきてしまったその社会を建替え建て直しをする、ようやく浄めの儀式を終えて、ここから始るというような、そういう思いでおります。これからは今までと違って、いろんな動きが、新しい国づくりの萌しが出てくると思います。現にそういうふうに動き始めたのではないかと感じられることがあります。
震災によって青葉神社の大きな鳥居が倒されました。その時に神からは、「結界が外されたぞ」という言葉を戴いております。結界として立てられた鳥居が「倒された」。倒したのは誰かというと、その結界を作った者の方が倒したんですよね。神はそう申された。「神が倒したぞ」とはおっしゃらなかった。「倒されたぞ」「結界が外されたぞ」とおっしゃった。だからこれは、結界を作った者が結界を外した。鳥居から内側は、神なる聖地として、清浄を保つべきところとして、大事にされてきたわけですけれども、その鳥居の外側というのは俗界と称して、それこそ人間が自由気ままに扱ってきたところだったわけです。その結果として、この地球というのが汚れてきてしまった。聖地といわれるところはきれいかもしれないけれども、そうでないわれわれの住んでいましたところが、どんどんと汚れてしまった。そしてまた、聖地といわれるところにも、だんだんとその汚れが押し寄せていっている。聖地におられる神が降りてこれないほどの汚れを持ってしまったところがたくさんあったような気がします。そこを皆さん方が、浄めて浄めて浄めてこられたんだろうと思います。そうしてようやくにして今日を迎えて、いよいよ清まったこの大地にほんとの神の国、地上天国をつくるために働いてくる、そのスタートの時を迎えたと考えております。
去年伊勢神宮の御遷宮がございました。伊勢神宮の御遷宮はご存知の通り、20年に一度という式年遷宮でございましたけれども、考えてみますと平成になってから2度目の御遷宮でした。最初の御遷宮は平成5年でした。その御遷宮は実は20世紀最後の御遷宮でした。そしてこの度の御遷宮は第62回の21世紀に入ってはじめての御遷宮でした。御遷宮は古いお社から新しいお社にお移りになられる、生れ変わりのくりかえしでずっときて、今回の生れ変わりはもっと大きな意味があるような気がしています。それは、出雲大社の御遷宮も行われた珍しい年であったということにも表れています。要するに、天と地が同時に生まれ変わったということです。そして20世紀から21世紀への生れ変わりという意味をもっていたという気がします。ですから、20世紀の生き方でずっと生きてきた結果として今日の世界があるわけですが、このままの世界でいいのかと言った時に、やっぱりちょっと考えさせられますよね。そしたらこれからの21世紀というものは、今までとはちがった生き方をしていかないと、世の中変わりませんよということではないでしょうか。生まれ変わらなければいけないということだと思います。
去年の伊勢神宮御遷宮が行われた10月2日、私はこのお社から遥かに遥拝をさせていただいたのですが、夜八時の遥拝式を終えたその後に、神からこういったことが伝わってきました。「いよいよ多くの神々が動かれるぞ。そして震災のことも、世の中全てのことが良き方向に向かって動くぞ。速やかに生まれ変われよ、速やかに生まれ変われよ」と何度も「 速やかに生まれ変われよ」と伝わってきたのです。やっぱり私ども、今までとはちがった新しい気持ちをもって、生まれ変わってゆく。そしてこの世の中自体を、20世紀のあの生き方でない、21世紀の新しい生き方を考えて、新しい地球を築いてゆく、そういう方向に向かわなければいけないんではないかということを感じたわけです。いよいよ神々がその方向に向かって動かれるぞと、だからお前たちも速やかに生まれ変われと、そういう風に言われたのです。
実は先だっての青葉神社のお祭りの前に。倒れた鳥居を新たに作り直して完成したのですけれども、結界が外されたということで伝わってきておりながらなぜ同じものを作ったのかとの疑問をもたれる方がたくさん居られて、私としては、倒された時点から「鳥居はいらないぞ」「結界は張らないぞ」と考えておりましたけれども、皆さん方にこれまでのような鳥居が欲しいという思いがあって、同じ大きさの石造りの鳥居を完成させたわけですけれども、私としては、結界としての鳥居は立てておりません。今の鳥居は以前の鳥居と同じに見えますけれども、もう結界としての鳥居ではありませんよ、ということです。
皆さんにはお分かりになるかと思いますけれども、あの鳥居を立てる時に神から伝わってきたことがございます。「鳥居は必要ないぞ。どうしても立てるのであれば、宇宙的な規模の大きなものでなければならん。」ということが伝わってきておりまして、ところが、できたものは、この世においてはあのように大きなものと言えますが、しかし「そんなものではならんぞ」と伝わっておりまして、「どうしたらいいんですか」とお訊ねしましたら、両の柱にある紋を刻ませていただくことになりました。右の柱には○、真ん中にひとつ・、そして左の柱には月の形を刻ませていただきました。これは太陽と地球と月なんですね。そしてそれを合体した新しい社紋のようなもので、火水土(かみど)の紋というような名前で呼べと伝わってきているんですけれども、火は太陽、水は月、土は地球、それこそ宇宙の星です。それの三つを合体した紋を正面の額の納まるところに刻んだのです。
いよいよそういうことによって、浄めの儀式が行われて以降、ほんとの神の国建設のための土台づくりというものがいまここに始った。われわれも生れ変わって、新しい21世紀を神の国とすべく、思いを切り替えてゆかなければいけない、そういう時を迎えたんだと考えていただいて、ますます皆様方の活動によって、まだまだ浄められていないところもあると思うんですけれども、そういうところも早く浄め上げて、新しい世界に向ってのほんとのわれわれの思いというものを、建設してゆくべき時を迎えた、そんな風に思っております。
去年御遷宮があって、そのあとあの鳥居を立てる時にも、「まだ動くな、まだ動くな」と何度も何度も言って来られました。「動くな、まだ待て」と言われていて、なかなかことが進まなかったんですけれども、いよいよ御遷宮の後、「多くの神が動かれるぞ」と言われたその後、12月になって鳥居を立てられるだけの資金が調達できました。その時点においてはまだ考えていなかったんですけれども、灯篭、池の石垣等の修復はまだだなと思っていたのですけれども、今年の2月になってある方が、自分が全部資金をもちますから灯篭全部直しましょう、池を直しましょうと言われて、いきなり鳥居と同時に灯篭も池も修復ができたんです。それまで「動くな、動くな」と言われてきて、いよいよ「動くぞ」と言われた途端に動きが出てきて、自分としてはびっくりしております。
「待て」と言われたのに、待てずにやってしまったことがありました。それは、震災当時灯篭全部倒れましたけれども、拝殿前の金属の灯篭も倒れたのですが、あそこはあまりに拝殿に近かったものですから、倒したままにしておくのは見臭いということで、手をかけて直したんです。しかしその後すぐに、灯篭脇の御神木、杉の木ですけれども、その木に積もった雪で枝が折れまして、灯篭を直撃されてまた倒されました。それをまた直したのですが、去年の4月8日、大風が吹きまして、その大風で同じ御神木の大きな枝が飛びまして、両方の灯篭が倒されたんです。そのことを目にして、神は「待て、待て」と言っていたのに、早まってやったことがこういうことになってしまったと。2回も直してしまって、「早いぞ、まだ動くな」と言われていながら、何度もしなければならないような余計なお金を使うことになってしまい、そのとき初めて、神に言われている通りしばらく待っていればなんのことはないうまくいったはずなのになと、遅い反省を強いられましたけれども、それほどに神の言葉を無視しては掛かれないんだということを肝に銘じさせられたような気がします。
待ってれば、神がその時を知らせてくれて、うまく事が運ぶということを今回ほど思い切り知らされたことはございませんでした。それを思うと、いよいよ多くの神々が動かれるぞと、いい方向に向かって生まれ変われる、「速やかに生まれ変われ」と何度も何度も言って来られた神の言葉というものを、私は肝に銘じて、そして速やかに、今までの自分とはちがう自分に生まれ変わるというふうな気持ちを固めました。まちがいなく新しい方向に向かって動く時がきましたよと。全ての神々が、天と地の神々がみんな動かれて、今まで閉じ込められていた神々たちが一斉に動き始めますよと、そのことを皆様方も感じていただいて、これからのわれわれの務めというものを果していかなければいけないのだなと思います。どうぞ、大いなる神々の力が皆さんの上にきているはずですので、それを戴きながら、ほんとに新しい21世紀、これがわれわれの思っておった神の国、地上天国というものにしてゆかねばいけない。共にがんばって参りたいと思います。
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