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最も深い「吉本隆明論」(若松英輔さん) [吉本隆明]

若松英輔氏による「詩人はなぜ、思想家になったのか―吉本隆明の態度」。「文学界」8月号の特集「吉本隆明再読ー継続する思考」にある4ページの小論だが、私にはこれまで吉本について述べられた文章の中で、最も深いところから吉本を照射した見事な論考に思えた。


「悟り」「ほんとのこと」「こころおどり」という3つのキーワードによって論は展開する。


まず「悟り」。若松氏がはじめて吉本と会って話した時の体験だ。吉本氏が若松氏をその直感によって十分見極めた上での言葉に違いない。


《「あなたは、老いと悟りの問題をどう考えますか。悟りというものはあるのでしょうか。」こう述べた後、こちらがどんな人間か自己紹介をする間もなく、吉本さんは、十分間ほど自分の考えを述べ続けた。自分も知っている、ある高齢の、高僧と言われた人が自殺した。宗教的な悟りと言われているものは、じつは人間を根源から幸福にするものではないのではないか。それは、人生の秘密を告げ知らせるものではないのではないか、というのである。さらに彼は、悟りとよばれる現象はあるにしても、それは生きるということにおいてはほとんど意味を持たないのではないか、とも言った。その語り口は、何か身に迫るものを感じさせた。この問いを見極めることに人生の大事がある、という風にすら映った。


語られたことは、それを話す吉本さんの必死の姿ゆえに今も鮮明に記憶されている。その姿からは、悟りとは、山の頂上に登るような到達の経歴ではなく、どうにか生き抜こうとする持続ではないかと問う声が響いてくるようでもあった。概念として「悟り」が語られ、それを目指すという営みが起こるとき、人はかえって真に悟りと呼ぶべきものから遠ざかる、というのだろう。》


実は、この部分を読んだだけでこの小論を記録に留めておかねばならないと思ったのだった。吉本隆明と若松英輔という希有な出会いが、「悟り」というものをあっけなく相対化してしまうという歴史的文章に私には思えたのだ。もうこれだけで、吉本とタッグを組んだ若松氏の言葉は「世界を凍らせる」。(「凍らせる」という言葉が、必ずしも「冷たく震え上がらせる」ということだけではなく、詩語本来の意味としての「形をあたえる」という意味合いをも多く含む。若松氏はこのことをも気づかせてくれている。)


一応その後にくる文章をあげておく。

 

《・・・・・・・・・彼は、「宗教」を至高の価値のようには認識していない。勝手にそう思い込んでいたのはこちらだった。宗教もまた、人間の作った不完全な営みの一つであることを、彼はけっして忘れない。宗教的経験もまた、思想的経験がそうだったように、人間の精神を蹂躙し、大きく誤らせる。他を愛することを説くはずの宗教が、現代ではもっとも根深い争いの種子になっていることから彼は目を離さない。


経験が人間を深化させることを、彼は信じていないのではない。しかし、そのために宗教の門をくぐらなければならない という説に彼は同意しない。人生の出来事と呼ぶべき事象はあらゆるところで起こっている。それを特定の領域にのみ生起するかのような論議に与することがないだけだ。》

 

吉本は、《詩とは「ほんとのこと」に言葉という姿を与えることであり、そこで発せられたものは全世界を凍りつかせる力をもつ》と言った。若松氏は「悟り」ということについて、吉本との共同作業によってまさにそれを示してくれたのだ。すごい。

 

さらにまた、吉本は言う。《こんど読みかえしてみて、無意識だったがじぶんはじぶんがそのときおもっていたよりも、ずっと重要なことをやったなと感じて、すこし興奮しながら旧稿を読みおえた。いまおなじことをやれと言われれば、ちがうやり方をするだろうし、すこしは成熟しているだろうが、旧稿のこころがおどるような発見の手ごたえは、なかなか獲得できないとおもう。読者に知識といっしょにそのこころおどりが提供できたら、なによりだと思っている。(『定本 言語にとって美とはなにか1』)》

 

若松氏が言う。《「こころおどり」とは、魂の実感でもあるだろう。彼(吉本)にとって思想を包含するもっとも創造的な意味における文学は、「こころおどり」によって人間が交わる場だった。言葉によって開かれた場所で人は、他者と交わり、そのことによって自己を知ることができる。》

 

「こころおどり」があればこそ、吉本の文章を、若松氏の文章を読む。井筒俊彦を読む心にも通ずる。・・・こう書きつつ、たしかに私の魂はおどっている。


吉本について 若松.jpg

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めい

「自分で書いて表現して自分の考えを述べたり、芸術らしき詩を発表したり、それはね、それはちょっと自信があるんですよ。まだ俺は、俺の考え方の底のほうまで理解してくれた人はおらんな、っていうそういいう感じがします。 それは俺はちょっと自信がありますね。」

吉本氏はこう語ったと言う。
http://www.amazon.co.jp/浄土からの視線-吉本隆明・狂気・自己慰安-菅原則生/dp/4896679970

若松氏は吉本氏にとって「俺の考え方の底のほうまで理解してくれる」希有な人に思えたのではなかったか。

by めい (2014-08-26 06:52) 

めい

「ぼくの考えを理解した人は、過去から現在に至るまで誰ひとりとしていない」
菅原則生氏に吉本氏はそう言ったという。
http://blog.livedoor.jp/sgwrnro/archives/2012-06.html#20120601

   *   *   *   *   *

《友人は自身が造った日本酒を持参していた。吉本さんもそれをすこし飲んだ。酔いが回った友人は「吉本さん、こんなに元気なら、あと10年は長生きしますよ」などと放言し、吉本さんもにこやかに上機嫌のようにみえた。
わたしは黙して1時間ほど聞いていた。26年ぶりの吉本さんの前でどう振る舞っていいかわからなかった。わたしはうわずった声で口を開いた。「吉本さんの書いたものには、新約聖書の〈イエスは人びとに平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来た〉という一節と同じように、読む者に受難をもたらす要素があるような気がします。さまざまな人とわたしもまたずいぶん離反してきたように思います」。間を置かずに吉本さんは断言した。「ぼくの考えを理解した人は、過去から現在に至るまで誰ひとりとしていない」と。わたしは一瞬、息をのんだ。そのことばがそれからわたしの脳裏で反復している。おそらく、わたしはまた吉本さんのことばに躓いたのだ。》
by めい (2014-08-26 07:04) 

めい

吉本の核心か。
http://daiouika.exblog.jp/tags/川端要壽/

   *   *   *   *   *

川端要壽『堕ちよ!さらば ―吉本隆明と私』(河出文庫)読了。後半は、著者が競馬にのめりこんでいく後半生が描かれる。自らの裡にあった禁忌をついに破り、吉本隆明に金を無心するくだりが、この小説の最終章の山場になるが、そこで著者が吉本から言われる言葉が、「なあ、佐伯。人間はほんとうに食うに困った時は、強盗でも、何でもやるんだな」というものである。
小説には吉本の今井正監督「純愛物語」の批評、さらにその内容を凝縮した高村光太郎についての講演のあるくだりが引用されている。二箇所を孫引きしておく。
―「私は、人間は食えなくなったら、スリでも、強盗でも、サギでもやって生きるべき権利をもっていると、かねてからかたく信じたいと思っているが、この映画の主人公貫坊と恋人の不良少女ミツ子は、まさしく、そういうモラルの実践者なので、わたしが狂喜したのは云うまでもない」。
―「人間をはかる価値基準というものを考えていきますと、善だから価値があって、悪だから価値がないというようなことはいえないし、また、道徳的だからよろしくて、背徳的だから悪いということもいえない。ひじょうに折り目正しく礼儀正しいから、真実だから、それが価値があるというふうにもいえない。また、狡猾であるから、またどう猛であるから、それが価値がないということもいえないということです。(略)ほんとうに価値があるということは、そこに作為あるいは外界に対する配慮というものがまったくなく、やることが<自然>であるならば、つまり、やることになんら作為がないならば、狡猾であろうとどう猛であろうと、価値があるんだという考え方です。

by めい (2014-09-04 17:06) 

めい

対談「吉本隆明の人と言葉」…若松英輔×よしもとばなな
https://www.facebook.com/aozoranotobira/posts/913501398676542
「本当の幸い」考え続けた…批評家・若松英輔さん
 戦後の思想界を代表する評論家・詩人の吉本隆明さんが世を去って2年余りが過ぎ、『吉本隆明全集』(全38巻、別巻1)の刊行が晶文社から始まった。
 文学や政治、社会、サブカルチャーなど一人の人間として発言を続けた姿勢を、改めて振り返る機会となる。その言葉と生き方の魅力について、次女で作家のよしもとばななさんと、批評家の若松英輔さんが語り合った。
 若松 吉本さんと初めて会ったときのことはよく覚えています。オーガニックハーブの仕事を通じてばななさんと話すようになり、お父さんのことが好きだと言ったら、自宅に招いて頂き、コロッケを一緒に食べました。
 よしもと 若松さんとはハーブ関係でお会いすることが多かったですものね。
 若松 初めてなのに、分け隔てなく話してくれたことに驚きました。相手によって態度を変えない。誰が何を話すかではなく、話す内容そのものを見ていた。言葉を発する態度に、通じる気がしました。
 よしもと 父の家を約束なしに、読者が訪ねてくることもありました。体が悪くなってからも、突然の来訪者の相手をとことんする人でした。
 若松 一度、聞きたかったんです。ばななさんは物を書くうえで、お父さんの影響を受けていますか。
 よしもと うーん。創作と評論は違うから……。
 若松 でも、書くという職業を選択された。
 よしもと 父は「物を考える」ことを生活の中心にした人だったと思います。世間の人々の心にたまっていることを代わりに考え、言葉にした。書くことそのものより、考えることが一つの立派な生き方であることを父から学びました。
 若松 吉本さんは『共同幻想論』の「序」で、<どうして理解するための労力と研鑽けんさんを惜むものに、衝撃を与えることなどできようか>と書いています。読者に対し、向かって来い、真剣に考えれば、世界を揺るがせられると熱情を持って語りかけていました。
 よしもと 発言をしにくくなったりする場に身を置かないことは徹底していました。書くことだけで生活していたから、暮らしは楽ではなかったと思います。でも大学教師にはならず、高額の講演会にも出なかった。
 若松 <詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すことである>。全集の第1回配本となった6巻の「詩とはなにか」の一節です。詩や言葉は吉本さんにとって、これほどの緊張を強いるもので、それは、ある生き方の姿勢からしか生まれないものだった。
 よしもと 「ほんとうのこと」は、多くの人間はあまり知りたくないものです。でも、どうしても知りたいと思ってしまう少数の孤独な人がいる。その孤独に向かって書いている気持ちは強かったと思いますよ。
 若松 宮沢賢治の小説『銀河鉄道の夜』に「本当の幸い」という単語が、出てきます。吉本さんの言葉は、賢治の世界に通じますね。霊的な、宗教的なものさえ想像させる。虚像ではない、本当の幸いを考え続けた人だった。
 よしもと 戦争のことも影を落としたと思います。終戦で考え方がゆらいだとよく聞かされました。もう一つは、父が「国のために戦って死のうと思う」と話したとき、祖父が言ったことです。「戦争で死ぬのは華々しいものではない。多くは、傷が腐ったり、マラリアになったりしてじわじわと死んでゆく」。それを聞き、考えが変わったそうです。
表に出ない偉大への感覚…作家・よしもとばななさん
 若松 吉本さんは本来、詩人でした。なのに、なぜ思想家の役割を担ったのか。読者はこの問題を常に考えなくてはならない。なぜ求められれば、どの分野のことでも答えようとしたのか。
 よしもと 「考える」ことに関しては、どの分野も同じでしょう。考えるのが専門だと思えば、どの問題も、「時代」をキーワードにつながって来ますから。
 若松 専門家に向けてないから、吉本さんの文章は難しくないですものね。
 よしもと そうだと思います。
 若松 「大衆」は、個が集まって集団になったものです。吉本さんの同時代の多くの人は、「個」は良いけど、集まると「衆愚」になると考えた。けれど吉本さんは、その考えに強烈なノーを突きつけた。人間は集団になっても、必ず失われない何かがあると。その彼らに向かって発言した。
 よしもと 船大工だった祖父や祖母のように全く表には出ないけれど、偉大に生きて偉大に死んだ人がいるといった感覚を、父は生涯持ち続けたと思います。それは、父のルーツである九州・天草の人の営みに結びついていた気がします。
 若松 本当に優れた人は隠れている。今の話は、ばななさんの小説の根底に流れるものではないですか。
 よしもと 私は東京生まれの東京育ちだから、父の思う大衆はもう失われつつあるのではないかと思ったことも何度かありました。でも、名前も残らないような人たちのことを、代わりに書いてあげたい気持ちは私にもあります。
 若松 吉本さんの残された文章は、あまりに膨大です。全貌が分からないから思想家の大きな全体を見ずに、小さな部分だけ見て批判されます。今回の全集刊行を機に、若い世代には今までの吉本隆明像を打ち破り、新しい姿を浮かび上がらせてほしい。
 よしもと 第1回配本は1959~61年で、私は生まれる前のものです。けれど、私の子どものころにもその名残のような、時代の勢いを肌身に感じましたし、懐かしく思います。
 若松 半世紀以上も前なのに、人を熱くする言葉ですから。
 よしもと 今は封じられてしまった可能性のようなものを見直すきっかけになるかもしれませんね。
 ◇よしもと・たかあき 1924年、東京生まれ。東工大卒。インキ会社で労働組合活動に従事しながら執筆、52年に詩集『固有時との対話』を私家版で出した。
 60年安保闘争に参加し、少数の「前衛」が「大衆」を牽引(けんいん)するといった従来の左翼思想を批判した「擬制の終焉(しゅうえん)」で新左翼の理論的支柱となる。「国家は共同の幻想である」と説く『共同幻想論』や『言語にとって美とはなにか』、『心的現象論序説』などを発表した。
 大衆の存在に関心を持ち続け、80年代以降はテレビCMやファッションなどにも目を向け、『最後の親鸞』まで幅広い分野を論じた。
 ◇わかまつ・えいすけ 1968年生まれ。慶大文学部卒。「三田文学」編集長。批評家の傍ら、オーガニックハーブを扱うシナジーカンパニージャパンの会長を務める。著書に『井筒俊彦 叡知えいちの哲学』など。
 ◇よしもと・ばなな 1964年生まれ。日大芸術学部卒。87年に『キッチン』でデビュー。著書に『王国』シリーズや『どんぐり姉妹』、『花のベッドでひるねして』など。多くの小説が、海外で翻訳されている。
YOMIURI ONLINE 2014年06月06日 08時30分

by めい (2015-06-25 08:48) 

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