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現代文明の根本課題を「外需と内需」という切り口で抉り出すすごい文章(マドモアゼル愛さん) [置賜自給圏構想]

置賜自給圏構想を考える上で、この上ないヒントになるいい文章を読んだところです。大事な文章に出会うと、いつもはそれに関連する記事のコメント欄にメモっておくことにしており、今回は8月3日の置賜自給圏推進機構設立総会 の記事のコメント欄に載せようと思ったのですが、置賜自給圏を考える上で読むほどにありがたい文章で、ぜひより多くの方に読んでいただきたく新たな記事として紹介させていただくことにしました。

マドモアゼル愛さんは「人生相談」(山形放送ラジオ午前11時から)でおなじみです。ラジオで聞いていると穏当な方ですが、文章はラジカルです。「急進的」というより「根元的」という意味合いの強い「ラジカルさ」です。「なるほど!」と心底うならされる文章を書かれます。そういう文章をこれまで何度か本文の中で紹介したりコメント欄にメモらせていただいています。いま探したらこれだけありました。
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2011-03-27
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2012-01-13
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2012-05-10
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2012-08-19
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2013-05-06
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2013-09-10
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2013-11-23
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2014-03-19

「外需と内需」という切り口から、現代文明の問題点を剔抉(てっけつ/えぐり出す)、さらにこれからの新文明のありかたを展望した文章です。あらすじがわかる
ポイント、以下の通りです。

 

《真の内需中心の文化と経済が達成された暁には、この世は確実にユートピアになります。》


《外需文明が今、行き詰っています。外に物を売ってもうけてきた企業がどんどん苦しみ出しています。


内需なら人の喜びと幸福と直結しない限り成り立たない文明、文化、経済となるので、行き詰りはありません。 


内需でしか、本当には儲けることなどできないのです。イノチと直結しない物やサービスなど、どんな価値があるというのですか。すぐにばれてしまうものばかり。》


《内需の最大のものは、故郷の自然の復活かもしれません。美しい郷土を再びよみがえられせることができたら、観光業がこれまでと違ったレベルで再生できるでしょうし、自然の復活は地球が求めているものです。》 


まさに「置賜自給圏構想」が求めているところなのではないでしょうか。

じっくり読んでいただけたらと思います。 

■ 外需と内需 New!2014年08月16日(SAT)

 日本はこれまで外需中心の経済システムを貫いてきました。実際には内需は伸びているのですが、外需主体の経済のシステムとそれにまつわる政治は一貫して外需重視なのです。

日本は加工貿易で生計を建ててきた歴史は、教科書でも学んだ通りですが、これは外需重視であり、それに伴う経済と政治のシステムにつながっていきました。

外需と内需では、何がどう違うのでしょうか。私は外需は一般的に悪につながりやすく、内需は一般的に幸福につながる構造を持っていると思います。

たとえば、メロンづくりに精を出す農家では、品質のよいメロンを子供が食べてしまったら、おそらく叱られると思います。

何やってるの、、売りに出すメロンを食べてしまって、、、となるわけです。

これが内需中心のメロン農家ならば、まず、一番おいしそうなメロンはおそらく仏様にお供えするでしょう。次は親しい人に届けてあげる、、、そのあとに、欲しいという方に売って差し上げる、、、順番がそうなっていきます。

仏様に備えた一番おいしいメロンは、お供えのお下がりを家族皆でおいしくいただく、、、そこにはほほ笑みあり、賞賛ありの夕べになります。

父ちゃん、うまいよ、、、凄いね、このメロン。

一方はメロンを作っても、食べてしまったら、こっぴどく叱られ、る世界、、一方はお下がりをおいしくいただける世界、、、同じ生産をしていても、これほどの違いが出てきます。

外需は結局は、すべての労働をお金に集約させることとなり、効率、合理化、スピード、損得優先の世界になります。

直接海外の知り合いに届けるのと違いますから、どうしても間に中間業者が介在してきます。その分、ああしろ、こうしろとなり、売るためには、農家の意思など関係ない世界に生産者は追いやられてしまうのです。

消費者も同様です。本当に良いものではなく、中間業者の層元締めが儲かる内容のものしか与えられなくなっていくわけです。

伝統はくずれ、さつばつとしていく。

外需中心の経済は生産と消費の間に入る人が大きく設けるためには有効でも、他の多くの生産者と消費者には、あまり人間的な喜びを与えないシステムになります。

外需と内需は結局は地域に密着しているかどうかでも図れます。地域に密着した商売なら、そんなには悪いことはできません。

すぐに評判となり、結局商売を続けることはできなくなるでしょう。

地域を取り仕切る親分的な勢力によって、ゆがめられるというのは、大変な不幸ですが、地域経済が壊れたことで、そうした悪癖は根本的に弱まってきています。

今こそ、内需を拡大させるチャンスですが、政治が旧態以前の外需中心の大企業と密着していて、国民生活は置き去りにし、置き去りどころか、犠牲にしてでも旧態以前の制度を守ろうとしているのが現状。

悲しいものですが、いつまでも続けらるものでもないでしょう。外需と内需の違いを個々が本当に理解していくことはこれから重要だと思います。

真の内需中心の文化と経済が達成された暁には、この世は確実にユートピアになります。

内需のもっともシンプルなものは、家庭の食事や掃除や潤いです。外需の給与獲得のために、外需モードの生活を強制され、内需の重要な家の食事も掃除も潤いもおろそかになっている。それがすべての問題を生んでいると言ってもいいかもしれません。

常に内需と外需のつばぜり合いは歴史の中であったのです。外需を目指す人は、故郷を持たない人です。故郷を持たないので、その地とその地に住む人間の感情も理解できません。存在すらないがしろにしかねません。

インディアンは何人殺されたのでしょうか。オーストラリアでは何人が殺されましたか。ペルーでは、メキシコでは、、、ハワイは本当に美しい島だったと思います。

すべては、外国の船がやってくるまで、内需で暮らす人々は幸福に暮らしていました。外国の船が求めたものは、本国に持ち帰る特産品であり、ゴールドであり、すべての価値ある商品でした。

自分自身に満足がない人は外需を形成します。こういっては悪いかもしれませんが、近代を作ったのは、基本的に白人のそうした神経症的な欲求であったというのは、かなり事実に近いと思います。

この世のあらゆる現象を理解するためには、どうしても神経症的な補償行為を知る必要が出てきます。

わずか60キロの人間を運ぶために鉄二トンを移動させなくてはならない車社会など、神経症的欲求でない限り、理解することはできません。

過度の都市化は外需と関係することは確かですが、そうした中にも神経症的な欲求が見られます。

近代と現代のありようとその歴史は、実に神経症に負けた人間がもたらしたものだと私は理解しています。

神経症を克服することは、本当はそんなに難しいものではないのですが、そのこともわからず、補償行為としての文明を発展させてしまいました。

寝れないときはおきていればいいという当たり前の事実を失った人が、外需に頼りだして、この文明を作り上げたのです。

島の中は内需しかない世界です。そこが一つの世界となります。その世界に永遠性を感じられない人は島を抜けていくのでしょうが、それはそれで構わないのです。

島はまたいつでも戻ってくる人を拒否などしないのですから。しかし、戻るべき島を壊してしまったら、私たちはどこに行けばいいのでしょう。

外需文明が今、行き詰っています。外に物を売ってもうけてきた企業がどんどん苦しみ出しています。

内需なら人の喜びと幸福と直結しない限り成り立たない文明、文化、経済となるので、行き詰りはありません。

内需でしか、本当には儲けることなどできないのです。イノチと直結しない物やサービスなど、どんな価値があるというのですか。すぐにばれてしまうものばかり。

そして飽きられたのです。コンビニも○二クロも中性洗剤もシャンプーもリンスもガン治療も出世もドルですら、、、飽きられたのです。

ただ、変わりのものがない、、、ただそれだけで生き延びようとしている外需。外需の最大のものは戦争でしょう。

そこに行き付くしかない。すなわち神経症の世界そのものではないでしょうか。

若い人は企業しなくてはいけないのです。新たな内需を起こし、新たなサービスを生み、新たな魅力、新たな仕事、新たな物を生み出さなくてはいけないと思います。

それを流通ルートやコンビニで売りたいなどというバカげた考えを捨て、縁ある人に届ける、島の経済を考えるのです。

内需の最大のものは、故郷の自然の復活かもしれません。美しい郷土を再びよみがえられせることができたら、観光業がこれまでと違ったレベルで再生できるでしょうし、自然の復活は地球が求めているものです。

神経症の治療にこれ以上のものはありません。そこに来た人は癒され、そこで食したものは、人を幸福にし、そこで見たものを、人は生涯忘れないでいてくれるのです。

外需から内需へ。悲惨な復讐などに関心はありませんが、外需でやられた人間と自然に向かって、私たちは内需を起こし、ひいては自然を復活させる大事業に取り組むべきなのです。

政治が指導することは今はありませんが、この流れが大きくなれば、いずれそうなります。本当に儲けられるのも、もう内需しかないからです。それとも、戦争ですか。もうばれているのですから、内需で行くしかないのです。

船がやってきて、幾多の人が殺され、その文明と文化を破壊されてきた無念さは、必ず、私たちの遺伝子の中にあるはずです。さあ、美しい復讐が始まります。

誰一人、不幸にしない美しい復讐劇。外需を内需に変えていく、、、

それにしても、一番おいしいメロンをみんなで食べる幸福、、一度味わってみたいものです。

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めい

人口減少が引き起こす地殻変動の恐怖に地方はどう対処すればいいか。
102万9800人ー126万9800人=23万8632人(2013年)
http://www.bllackz.com/2014/09/blog-post_25.html

恐ろしいほんとうの現実が述べられていると思いました。「従来通り」の発想を変えねば対応できないことだと思います。

   *   *   *   *   *

Darkness - ダークネス
2014年9月25日木曜日
少子高齢化の放置はやがて大量移民と地方の分離独立を招く

2013年に生まれた赤ちゃんは「戦後、最も少なかった」のは厚生労働省の人口動態統計で発表されている。どんどん減っている。過去最低の102万9800人である。

それと同時に高齢化の影響で、死亡者数も増えている。

2013年の死亡者数は最多の126万9800人。出生から死亡を差し引いた自然増減数は23万8632人の減少である。分かりやすく言うと、日本人が1年間で約24万人も消滅している。これが毎年続いている。

過激なまでの少子高齢化が現実になっている。

日本の若年層は世界でも最悪の負担を強いられることになると言ってもいい。日本人の高齢者の面倒を見る若年層が減っているのだから、ひとりにくる負担は非常に大きなものになる。

だから、政府は消費税を8%上げて、さらに何が何でも上げると気が狂ったように叫んでいる。

しかし、高齢者は消費をほとんどしないから、消費税が上がっても消費を減少させて耐えることもできる。甚大な影響があるのは若年層のほうだ。


どれだけ警鐘が鳴らされても誰もが放置してきた

少子化問題は放置され続けてきた。どれだけ警鐘が鳴らされても、誰もこの問題に向き合おうとしなかった。

年配者の大多数は現状維持が可能だと考え、現実を無視している。しかし、彼らが年金に依存して老後を過ごそうとしたとき、もう年金を支える若年層たちはいない。

団塊の世代の多くは、やっと現状を認識して愕然とすることになっているが、もう遅い。

国の借金は毎年のように膨れあがり、年金は受け取る人ばかり増えるのだから、いずれは限界に達することは火を見るよりも明らかだ。

頼りになるのは貯金かもしれないが、そこにインフレが襲いかかればどうなるのだろうか。貯金だけが年配者のすべてだが、その貯金がインフレで目減りしたら、もう彼らに残されるものは何もない。

円安が来ており、消費増税も実現された。

「今の時代はデフレだからインフレは来ない」と言っていた経済評論家を嘲笑うかのようにインフレが胎動している。貯金は、今後は一貫して目減りしていくのは確約されたも同然だ。

不動産がまた上がると幻想を見ている人もいるが、極端に人口の減っていく社会で、不動産が全般的に上がると考える人がいること事態が滑稽だ。

特に地方の不動産は壊滅的な打撃を受ける。不動産は都市部の一極集中になり、その都市部でさえもロケーションが悪ければじり貧になる。

人口が減ってガラガラの空き家になるのだから、スラムのようなマンションすらも生まれるだろう。

高齢層も若年層も、一緒に困窮していく時代に

本来であれば、株式を買って防衛しなければならない時代となっている。ところが、いくら株式の優位性が叫ばれても、日本人は株式の保有を好まない。

なぜなら、多くの日本人にとって株式とは、単に売って買って差額を儲ける投機の対象というイメージがあるからだ。

「優良企業を長期に保有する」という真の意味での投資を行える人はほとんどいない。だから、インフレは日本人にとって最大の欠点なのである。

貯金も目減りし、年金も減少し、身体が言うことをきかないので高齢者はインフレによって追い詰められる。

すでにインフレの時代に入ったのだから、このまま放置していると、高齢者はいよいよ追い詰められて苦境に落ちる。高齢者がきちんと生きられない時代が来る。

その現象はすでに始まっているのは、生活保護受給者が爆発的に増えているのを見ても分かる。生活保護受給者の多くが高齢者だ。しかし、この現象は始まったばかりなのである。

これからも受給者は、さらに膨れ上がっていく。日本の高齢者は長生きすればするほど、待っているのは地獄である。

一方の若年層も、すでに深刻な貧困に見舞われて未来がない。

社会が変わらないのであれば、問題を抱えたまま貧困層が拡散していき、その貧困の度合いもさらに深刻になっていく。

こんな状態で、結婚して子供を産み育てるなどできない。結婚をあきらめ、異性と付き合うことすらも関心をなくした若年層が増えているのは不思議ではない。

若年層は2000年代に入ってから、仕事もなく、未来もなく、もうどうしようもない状態にある。

取り返しがつかないことが起きている

最終的には、全国民が揃って貧困に落ち、それがさらに人口減を加速させる。これは、すでに起きていることである。現在進行形の話なのだ。取り返しがつかないことが起きている。

もう一度、厚生労働省の統計を振り返って欲しい。2013年の死亡者数は最多の126万9800人。出生から死亡を差し引いた自然増減数は23万8632人の減少。

それで、政治家・官僚は何を考えているのか。2008年6月12日に、自民党の外国人材交流推進議員連盟は、「今後50年間で1000万人の移民を受け入れる提言」をしている。

この外国人材交流推進議員連盟は今も生きていて、現在も日本政府は毎年20万人の移民受け入れ案などを検討している。

政府は要するに、日本人を減らして外国人を増やすのが少子高齢化対策であると考えているのが分かる。

外国人と言っても、親日の外国人ではない。よりによって、国家政策としての反日教育を受けて育ってきた中国や韓国の人間が増えていく。つまり「日本人を憎悪する人間」が移民として入ってくる。

そして、日本という土地の中で、日本人が出し抜かれ、人口比から言っても「日本人が少数派に転落する」将来もある。地方はすぐにそうなっていく。人口の少ない地方に大量の移民が住み着き、地方から外国化するのだ。

これは冗談で言っているわけではない。日本人が二級市民となって、外国人が日本人の上に立つことがないとは誰が言い切れるだろうか。

また、地方を完全に乗っ取った移民が分離独立運動を絶対にしないとでも思うだろうか。たとえば、沖縄や対馬が移民に乗っ取られて、独立運動をしないと言えるだろうか。

少子高齢化を放置するというのは、そういうことなのである。なし崩し的に危険な事態となっていく。

by めい (2014-09-26 03:47) 

めい

この現実をしっかり見据えねばなりません。
http://www.bllackz.com/2014/09/blog-post_26.html

   *   *   *   *   *

2014年9月26日金曜日
もっと貧しくなる方向で、将来設計を立てなければならない

日本人は最上の所得水準・生活水準を持っていて、多くの新興国の5倍から10倍の豊かさを享受していた。場合によってはそれ以上だったのかもしれない。

しかし、グローバル経済が加速していった2000年代から、日本の中流階級が手にしていたはずの豊かさは、1年、そしてまた1年と経つたびに消えてしまった。

格差が問題になり、若者が困窮に追いやられた。人々の給料が下がった。新しい仕事がみつからない。生活保護受給者もどんどん増えていく。

鈍感な日本人の中流階級も、やっと何かおかしなことが起きているということに気がつくようになった。そして、やっと日本人は重大な事態が起きていることに気がつき始めた。

「いつの間にか、自分たちの富が消えてしまっている」
「自分たちの将来がなくなってしまっている……」

しかし、病気も同じだが気づいたときはすでに手遅れのことが多い。グローバル経済のもたらす結果を日本人は甘く見ていた。しかし、気が付いたときはもう手遅れだ。


グローバル経済が日本人の給料を引き下げた

多くの日本人は、なぜ給料が上がらなくなったのか、なぜ日本の将来が真っ暗になったのか、最初は気付いていなかった。しかし最近は、ようやくその原因を理解するようになった。

グローバル経済が日本人の給料を引き下げたのだ。グローバル経済が新興国を豊かにさせ、グローバル経済が相対的に日本人を貧しくさせた。

たとえば、日本と新興国の関係でグローバル経済を説明すると、以下のようになる。

(1)企業が国際的になった。(グローバル経済)
(2)日本人は給料が高い。(先進国の豊かさ)
(3)新興国は給料が安い。(新興国の貧しさ)
(4)企業が新興国に移転する。(空洞化加速)
(5)新興国の労働者を安く雇う。(新興国の躍進)
(6)日本人をリストラする。(先進国の停滞)
(7)日本人が失職する。(失業率高止まり)
(8)日本人の失職が増える。(政情不安高まる)
(9)日本人の貧困層が増える。(日本の衰退)

今の資本主義が続くというのは、グローバル経済が続くということだ。グローバル経済が続くのであれば、日本人は新興国の労働者と戦う必要がある。

日本人はすでに高賃金であり、労働時間も短い。そんな日本人が新興国の労働者と太刀打ちできるのかと言われれば100%の人が難しいと答えるだろう。

新興国の人たちは、低賃金で長時間休みなく働くことができる。日本人はできない。新興国の人たちは1ヶ月3万円でも働く。日本人は働かない。勝負はついている。

グローバル経済が続くのであれば、日本人の環境は良くなることは絶対にない。

15年あまりで平均年収はどんどん低下している

2000年に入ってから、日本人の中流はこれから壊滅的になると多くの経済アナリストは警鐘を鳴らしていたし、事実その通りになった。ここ15年あまりで平均年収はどんどん低下しているのである。

日本人の給料があまりに高くなったので企業が日本人を捨てて海外に出て行った。日本人と外国人の富の格差があまりにも高くなったのだ。

コストを考えると、もう日本人は雇えない。しかも、その高コストの人材は、豊かさで向上心を失ってレベルが落ち、働くことに意義を見出していないのでがむしゃらに労働しない。

だから、日本人は遅かれ早かれ全員まとめて「給料が下げられる」「仕事がなくなる」「貧しくなる」のは、決定していたということになる。

グローバル経済が続く限り、日本人はぎりぎりまで賃金低下を受け入れるしかない。

インフレ上昇と消費増税が重なれば、見かけ上の賃金は上がるかもしれないが実質賃金は低下する。

これからは「働いて豊かになる」時代ではなく、「働いても貧しくなる一方」の時代になるのである。

すでに多くの日本人の年収は、2013年の平均年収である409万円を割って300万円台が主流になっているのは国税局のデータでも明らかになっている。

問題はそれだけにとどまらない。

賃金が低下していく日本人を、さらに追い込む動きも日本の中で進行しているからだ。それが、終身雇用の廃止と年功序列の廃止、そして成果主義の導入というものである。

貧しくなる方向で将来設計を立てなければならない

2014年9月26日、日立製作所は現行制度に残る年功序列を完全になくし、それを10月から実施するという発表をしている。つまり、完全なる成果主義に移行する。

成果主義というのは、「成果を出さない限り給料を上げない」「一部の人間の給料を上げて、他の人間の給料は下げる」というものである。

成果主義によって給料が上がる人が増えるのか、下がる人が増えるのかというと、もちろん下がる人が増えるのは当然のことだ。グローバル化によって給料が下がり、成果主義によってさらに給料が下がる。

これは、企業内でも格差を生み出し、エリート以外はみんな低賃金の側に突き落とす動きである。エリート以外はとことん蹴落とされる。

日本人は、どこまで貧しくなるのか。それはどこかの新興国に行って、そこの人たちがどのような暮らしをしているのか見てくればいい。彼らと同じ程度まで貧しくなっていく。

ちなみに、グローバル経済は、極端に貧しい人達を減らし、先進国の中流階級を貧しくするシステムだ。人類全体から見ると、ほとんどの国民が貧しいところで固定化される。

皮肉なことに、人類全体で見れば所得が均一になって、格差が是正される。貧しい方向で均一化されるのだ。

日本もグローバル化を取り入れて、企業経営もどんどんグローバル的な要素を取り入れているのだから、日本人だけが豊かなままであると考えるのはあまりにも楽観的すぎる。

楽観的に考えては駄目だ。エリートでないのであれば、貧しくなる方向で将来設計を立てなければならない。こういった事態は、ゆっくりと進んで目に見えないが、10年経つと確実に光景が変わっている。

日本人の貧困化は、まだ止まっていない。
むしろ、進んでいる。


(1%の富裕層と99%の貧困層になったアメリカ。
日本でもアメリカと同じ光景が遅れてやって来ることになる。)

by めい (2014-09-27 07:23) 

めい

Darknessさんの所論は、日本人にとっての「当然の現実」をしっかり認識させてくれます。先の二回のコメントもDarknessさんで、いまあらためて読み返しました。ここをふまえて「これからどうするか」なのです。今回もです。しかし「だから防衛力を強化しなければならない」というのではない別の方向があるはずです。「資本主義の終焉と歴史の危機」(水野和夫)の現実をふまえて考えなければと思っています。憲法9条のノーベル平和賞は果たしてあるのだろうか。いやな流れを変える大転換になるはずです。

   *   *   *   *   *

2014年10月8日水曜日

アメリカはもう、日本を守る理由など持ち合わせていない
http://www.bllackz.com/2014/10/blog-post_8.html

戦後の日本が経済復興できたのは、アメリカが日本を共産主義化するのを避けるために、自国市場を開放したからである。

当時、ソビエト社会主義共和国連邦が強大に台頭しつつあって、アメリカと敵対化していた。アメリカの敵は「共産主義者」だった。日本が敗戦した後、ソ連に飲み込まれて共産化してしまうと再び日本はアメリカの敵となる。

だから、アメリカは日本を共産化させないために自国市場を開放し、日本を立ち直らせて共産主義の防波堤とすることにしたのである。

アメリカはその後、朝鮮戦争を戦い、ベトナム戦争を戦ったが、これらも「共産主義を放置すれば世界が次々と共産化してアメリカの敵になる」というドミノ理論に支えられたものだった。

事実、東南アジアではベトナムが共産化し、ラオスやカンボジアも、次々と共産主義に落ちていった。

今でこそ共産主義は破綻した「理想主義」思想として、世の中の嘲笑の的になっているが、1950年代から1980年代までは共産主義は民主主義陣営にとって大きな脅威だったのである。


ソ連が崩壊して、日米同盟の役割は終った

アメリカがソ連と直接的な軍事対立をしなかったのは、両国共に核兵器を大量に保有していて、直接的にぶつかると間違いなく第三次世界大戦となって核爆弾が飛び交うことになる可能性があったからだ。

そのために朝鮮戦争やベトナム戦争は米ソの「代理戦争」と呼ばれていたが、直接的に軍事対立がなくても共産主義国家と自由主義国家は激しく対立していた。この緊張関係を「冷戦」と人々は呼んだ。

グローバルな目で見ると、日本の経済的な繁栄は、まさに「冷戦」の構図の中で生まれ、育ってきた。アメリカが日本を敗戦のガレキの山から引き上げ、日本に自由をもたらした。

日本の経済発展はアメリカが予期していた以上にうまくいくようになり、1980年代になると、経済規模ではアメリカを脅かすようになっていった。

アメリカは1975年にベトナム戦争に負けて、敗戦ショックで経済停滞が長く続いたが、日本はひとり経済成長を謳歌しており、1985年からはバブル経済に突入してアメリカ中を買い漁るような時代になった。

ところが、時代は変わった。

1991年12月25日、ソビエト連邦は崩壊し、アメリカとの冷戦は事実上終結することになった。もうアメリカは共産主義の脅威と戦う必要性もなくなり、しかもそんな体力も失っていた。

そして、どうなったのか。アメリカはもう日本を繁栄させ、防衛する必要性をなくしたのである。むしろ、想定以上に豊かになった日本は、アメリカの「経済的な敵」になりつつあった。

だから、日米同盟は1991年の冷戦終結で、ひとまず役割を終えたと考えることもできる。冷戦のために必要だった日米同盟は冷戦が終わって意義を喪失した。

アメリカは、日本から静かに離れていった

冷戦が終わって、日米関係も変わったのだ。

表面的にはまだ日米同盟は続いているのだが、日本が1991年以降も変わらずアメリカに忠誠を誓っているのとは裏腹に、アメリカの方は日本から静かに離れようとしつつあった。

1990年代以降、鉄鋼、半導体、自動車、造船の分野で、アメリカはしばしば日本企業に懲罰的な賠償金の支払いを求めた。

こうした姿勢からも、日本はもうアメリカが日本を潜在的な経済敵国として見るようになったのを日本人は感じ取っていたが、それでも日本人の多くはアメリカが密接な同盟国であると信じて疑わなかった。

しかし、2000年代に入ってからアメリカは日本をまるで存在しないかのように放置して、資本主義の仲間入りをした中国に傾倒するようになった。

中国は巨大な人口を抱えている。この国が民主化されて経済成長していけば、アメリカは巨大な市場を手に入れることになる。

別に難しい理屈ではない。中国人がみんなコカコーラを飲み、マクドナルドを食べることになったら、いきなり13億人分の需要が見込めるのである。

アメリカの多国籍企業がその「巨大な儲け」をみすみす逃すわけがなく、アメリカは前のめりに中国に深入りするようになっていった。

振り返って日本を見れば、人口は1億2000万人で中国の10分の1ほど、しかも超少子高齢化で人口が減少し、購買力も低下していくのは分かりきっている。

現実的な目で見ると、日本は「おいしい市場」ではなくなった。

アメリカが日本よりも中国に賭けた方が「儲かる」と考えても、奇異な話でも根拠のない話でもない。日本と中国のどちらに賭けた方が儲かる確率が高いかと考えると、ビジネスに関わる人間であれば、誰もが中国だと答えるだろう。

アメリカはもうとっくの昔に日本を捨てている

かくして、アメリカの目は中国に向き、日本はアメリカに見捨てられた。冷戦が終わった1991年からアメリカの本格的な「日本離れ」は始まり、中国の経済躍進で「日本離れ」は加速した。

そして、2008年にはリーマン・ショックが起きてアメリカ経済は崩壊の危機に瀕したが、それによってますますアメリカは日本から離れていくことになった。

日本は世界第三位の経済大国にも関わらず、いまだ軍事はアメリカに負担させて自国を自国の軍隊で守ろうとしない国家でもある。

アメリカが経済的に余裕があればそれでよかったが、すでにアメリカはリーマン・ショックでガタガタになっていくと、アメリカはもうそんな余裕すらも失っていった。

2013年9月10日には、オバマ大統領が「米国は世界の警察官ではないとの考えに同意する」と宣言したが、世界を守るような金のかかるようなことはできなくなってしまったのだ。

アメリカは中東で親米政権が次々と倒れるのも座視した。シリア攻撃も、イラン攻撃もしなかった。

最近、超テロリスト集団のイスラム国(IS)に空爆をするようになったが、これは単にアメリカ人が公開処刑されたために報復しているだけだ。中には、中間選挙向けのポーズで渋々行っていると皮肉に分析する人も多い。

冷静に見れば、今後、中国が尖閣諸島を獲りに来ても、沖縄を獲りに来ても、あるいは韓国が対馬を獲りに来ても、アメリカは何もしないということでもある。

アメリカはもう、日本を守る理由を持ち合わせていない。アメリカはもうとっくの昔に日本を捨てている。日本に何があってもアメリカは守ってくれない。

アメリカが日本を見捨てているという客観的事実は、すべての日本人が共有すべき事実であるはずだ。そこが認識できると、やっと日本が今「丸裸」で狼の群れの中にいる現状が見えるはずだ。

by めい (2014-10-09 05:13) 

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