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桜三昧(久保の桜と伊佐沢念仏踊り、そして今朝の双松公園) [地元のこと]

伊佐沢獅子宿の渋谷さんと昨日別件の電話で話してから「久保の桜で7時半から伊佐沢念仏踊り、ぜひ来てみて」と言われて、家内とでかけた。着いたのは7時20分ぐらい。ごったがえしのイメージで行ったのだが駐車場も楽に入れた。ちょうど念仏踊り連中が控え所から会場の伊佐沢小学校校庭に向かうところだった。渋谷さんはやはり笛担当だった。今日の日はあらかじめ決まったものであり、今回程ぴったり満開の日と重なることはまずめったにないという。しかも土曜日でお天気も最高。
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桜を背景に円を描いて勢揃い。
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次第にギャラリーも増えてくる。
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笛太鼓のお囃子に合わせて色とりどりの装束が照明に映える。
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先頭の行司役
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一区切りついたところで口上、そしていただいた花の報告。「ひとつ金(きん)・・円なにがし様、ひとつ金・・円なにがし様」とつづく。
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お囃子が心に残る実にいいメロディだった。
久保桜の前で記念撮影。全員男性でした。
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「伊佐沢念仏踊り」を調べて、我が意を得た文章に出あった。

「伊佐沢の郷土誌」四、伝承と文化 (昭和31年10月刊行)の中の「伝承芸能とその社会的意味について―長井市伊佐沢『大和踊』の研究ー」の一節。


この踊の社会的意味と私達の主張


『舞も踊も、今日では単なる娯楽であるかのごとく見なされているが、多くは宗教的背景ないしは経済的行為との結びつきを認めることができる。かつては稲田を荒らす虫も、風害や疫病もことごとく悪霊の仕業と考えられていた。従って、足を荒々しく踏むことによってこれを追い払うと言う敬けんな気持ちから出たものであった。踊はその共同の動作であり、生活の必要から来たものであった。踊うた、音律は、これを統一するための要求から出来たものである。従って神をまつるための重要な作業であり、田植え等と何等異なることのない晴れの労働であった。』(柳田国男氏、関敬吾氏の「民俗学入門」による)のであり、県文化財調査委員丹野正氏も、『郷土芸能の流れは悠久である。その発生には必ず父祖達の切なる念願が働き、信仰的必然性が伴っている。その理解なくして郷土芸能の鑑賞はむずかしい。』(「郷土芸能」序文による)と述べている。従って、『踊の所作や、その芸能的価値を究めることも重要であるが、本当に知りたいのは、その信仰的背景であり、社会生活における機能、また踊の現在の生活においてもつ意義が問題になる。』という「民俗学入門」の立場に立脚して考察しようと私達は発足している。対人関係においても、生産生活においても、往時の息苦しい農民の生活にとって、此の踊を無心に踊ることは、どんなに大きな慰めと気晴らしを与えたことだろうか。しかも踊る時は、もはや無礼講であり、領主すら激賞するのである。当時の人々の得意や思うべきである。そして農民にとって生殺与奪の「かぎ」となる農作物の豊作の予祝と、生活の安全とをこの踊に託して、身分、性別、年齢を問わず心ゆくまで踊ったのである。「序、破、急」の三段の典雅なメロディは、人々の和やかな魂をふれあわせ、苦悩の多い人々の心をどんなにか晴れやかにし、明日への意欲に燃え立たせたことであろう。踊る人も観る人も、人々はそこに村の団結と平和の夢を描いたのである。又、この『父祖達の切ない念願』が踊と共に絶えず伝承されることによって、此の村の生活がどんなに豊かにうるおされたことか。踊の名称や、由来にのみ固執してはならない。私達は、現在踊っている人も、観る人もこうした願いと意味とを、『大和踊』に再現しなければならないと思っている。『人に見せるための踊』、『花をもらうための踊』、『ものずきの踊る踊』、『一部の者にのみ秘やかに伝承される閉鎖的な踊』であってよいだろうか。「村人の思想、感情を和やかに結ぶ踊」、「楽しい、健全な娯楽としての踊」、「生活をうるおす踊」、「明日への願いをこめた踊」であってこそ伝承文化としてのこの踊の大きな社会的性格が生かされるのであり、その価値を認めて永く保存することが、この踊を受け継いだ私達の名誉ある責任だと考える。踊る人も踊らざる人も、よろしくこの踊にこめられた父祖達の願いに開眼すべきであろう。又、稽古も、和やかなうちに厳粛でなければならない。だらだらしては、良い踊を育てることができない。伸びない。『稽古』とは、古(いにしえ)ぶりを考えることである。即ち、この踊の伝統の核心に魂をふれることである。稽古場は、人々の心を結ぶ楽しい交流の場でありたい。献身と、理解と、同情の時間をそこに求めたい。優雅なこの踊のメロディを呼吸しながら、村共同の夢を実現して行く出立点をそこに見出したい。そして、この踊を保存することによって、絶えず村の生活が豊かにされてゆくことを希望する。』(”やまがたけん社会教育”第3巻第5号/「」『』はママ)


見世物化の一途をたどるかに見える郷土芸能にとって、この視点を持ち得るかどうかに今後の盛衰がかかっている。

 

さて、照明に浮かび上がる久保の桜。樹齢1200年という。衰勢挽回に必死の努力が試みられているようだ。

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さて、今朝も早起きして双松公園へ。

 

眺陽桜に昇る朝日

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明日は天気が崩れるとか、今日が最高でしょう。

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眺陽桜の間に招魂碑(芳武茂介デザイン)を望む

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見事な幹の慶海桜

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朝日に輝く慶海桜

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まだこれからの桜もあります。

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家の前の古峯神社、今日が例祭日です。

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桜堪能の2日間でした。


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