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白井聡著『永続敗戦論』を読んで(番外) 長谷川三千子氏のまっとうさこそ学ぶべき [神やぶれたまはず]

落合恵子さんの「私たちは直球を投げ続けるしかない。投げ続けて、投げ続けて、ダメだったらしょうがないじゃないか。」という発言に、今の日本をどう考えているんだろうか、どれだけ「真剣」なのだろうかという危うさを感じた。『神やぶれたまはず』『永続敗戦論』を読んだ者には、それは戦後という「擬制の体制」に乗っかっての、無責任きわまりない戯れ言にしか聞こえない。長谷川さんがどんな思いで目の前におられるのか、その想像力をなぜはたらかせようとはしないのか。なぜ長谷川氏がこの集会に参加する気になられたのか。明らかに、戦争にのめり込もうとする安倍政権への不安があるゆえなのではないのか。決して自分の立場をひけらかして自分の主張をしようというのではなかったことは発言から十分理解できるはずだ。


ここまで書きかけていたところで、NHK受信料拒否をめぐって、長谷川バッシングが喧しい。しかし私は確信して言う。右も左も長谷川三千子氏のまっとうさこそ学ぶべき!と。


長谷川三千子先生、正念場です。がんばって下さい。先生の「思想力」が試されているのです。


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コメント 1

洲蛇亜林

はじめてコメントさせていただきます。

長谷川氏の本は読んでいません。白井氏の本についてですが、どうにも違和感を感せ゜ざるを得ません。敗戦を認めていない筈はないだろうと思う訳です。
「みんなよく頑張ったが、米国の圧倒的な物量に打ち負かされた」と前線で戦った兵士たちは思ったのではないか。圧倒的な力の差を感じたのであり、敗戦についてはいささかも幻想は持っていなかったのではないかと思います。
さらに戦後に対米従属を続けていたのは、冷戦構造から必然的に強いられたものであって、「敗戦の否認」とは関連性はないだろうと思います。
冷戦時代に左翼的であれ右翼的であれ、反米や中立主義的な政権が出来る可能性は零でしょう。出来ても、直接な米軍介入か1972年のチリのようにクーデター
で潰されていたでしょう。

どうもレーニン主義系統の左翼は大衆の自発性を軽視する傾向がある。これは復古的な保守に見られる大衆蔑視と通じるものだと思います。
私は、戦前を否定しませんが、戦後を否定するつもりもない。戦前も戦後も、名もなき大衆が懸命に生きて来た事に変わりはないと思う訳です。

by 洲蛇亜林 (2014-04-17 23:44) 

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