<追悼 井上ひさしさん(2)>「花よりタンゴ」「しみじみ日本・乃木大将」観劇記 [井上ひさし]
この結果については、井上氏十分わきまえておられたようで、パンフレットの前口上に次ぎのようにある。
「演劇の本質は、ギリシャ劇以来、ただひとつしかない。それは大昔から、変ることのない人間の条件を登場人物というたとえを通じて見事に呈示することである。・・・この『花よりタンゴ』にも、人間の条件への真剣な問いかけがなされておりますようにと。もちろん筆者はそのことを一所懸命心掛けたつもりです。がしかしいくら心掛けても不発の場合が多く、やはり芝居はじつに気ままな生きもののようであります。」
さて不発の理由。勝手な推測を許していただくならば、このたびは井上氏、その人の好さから、ハナ肇という人間にうっかり共感してしまったばかりに、ついついハナ肇ペースで舞台が流れるのを許してしまったこと、それからさらに、好子さんとの離婚の結果、これまであった家庭内での緊張から解放され、すっかり幸せになってふんばりがきかなくなってしまったこと、という形而下的理由はともかく、井上氏の戦争観、死生観が十分なアピール力を持ちえなかったということがいちばん根っこにある不発の理由ではなかったろうか。
二月十六日に米軍の爆撃で夫が死んでいたという知らせを受けた藤子のセリフ。
「わたしは忘れない。時は残酷だから、何万回となく月がのぼれば、どんなことでも、はるか遠くへと遠のかせてしまうでしょう。でもわたしは、牛きている限り、昭和二十年二月十六日という日付は忘れません。忘れないというところから、出直します、わたくしは。」
いったいこの感覚、井上氏のどのような体験に根ざしているのかわたしは知らない。ただ、われわれにとってもっとも自然であるはずの時の流れへの挑戦のセリフを聞いたとき、気持ちの中をシラーツとした風が吹きぬけてゆくのを感じてしまったのだった。非常に意志的であるがゆえに、なにか無理がある。戦争の実感とはちょっと隔たりがあるのではなかろうかと。
わたしには、次の述懐の方がずっとほんとうに思えてしまうのだがどうだろうか。
「終戦の時、十五歳でした。切羽詰まった戦時下の社会は、人間のいやらしい一面を見せるかわり、神々しい一面を見せてくれました。ところが、平和が来て、民主主義がはじまると、わたしたちの生活は急に明快さを失いました。あの当時の自殺者急増は、ひょっとすると『大御心』という母のふところに抱かれなくなった戸惑いから来るものだったのではありませんか。」
(徳岡孝夫「三島由紀夫一日本人の自死」諸君1月号)
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「しみじみ日本・乃木大将」観劇記 「観念」の敗北
「しみじみ日本・乃木大将」長井公演の舞台を観た。
すでに定評の舞台である。「いったい井上ひさしの頭の中ってどうなっているんだろう」、そんなつぶやきも聞こえてきた仕掛けの見事さ。次々くりだす懐かしいメロディにのった替え歌の数々。ファンにとってはたまらない舞台である。
井上氏はこの台本を書くために、八段の本棚三つ分、ありとあらゆる乃木大将に関する資料を集めたという。そうして作り上げられた井上氏にとっての乃木大将像は、あるときはこずるい小心者として、あるときは明治体制確立のためのあやつり人形として、そしてつまるところ、「日本の名のある政治家は、みんなある意味では天皇制の前で道化を演じたんではないか」と井上氏が考えるその「道化」の典型として描かれていた。
ところがその日の舞台の乃木大将像、思いがけないことから破綻を生じてしまった。
舞台も大詰め、半ば茶化して演じられる明治天皇からの御言葉をいただいた乃木大将、万感の思いをこめて「天皇陛下万歳」と叫んだとき、あろうことか期せずして、観客席の一部から万歳への共感の拍手が沸き起こつたのである。その拍手は、それまで舞台上で積み上げられた乃木大将像を全く無化してしまったといってもいい拍手であった。しかもその拍手が決して場内に異和を感じさせた風もなく、むしろ安堵の波紋が広がっていったように思えたのはなぜだろうか。それまでの舞台に言いようのない苛立たしさを感じさせられていたことも確かなのである。
今から六年前のこまつ座公演「きらめく星座」を思い起こす。劇全体からすれば、「愚かで忌まわしき軍国主義の時代、真面目で心やさしき故に時代に順応する哀れで滑稽な人間像」として描かれたはずの名古屋章演ずる帝国陸軍軍人が、他の登場人物にくらべ格段に上等であり、感動的ですらあったのだ。当時記した感想の一部を引用してみたい。
「あるいは私ひとりの思い込みであって、それを土台にあれこれ言うのもどうか、という気がしないでもないのだが、いずれ感想は個人的なものなのだ、と開き直って言えば、あそこで描かれた元帝国陸軍人小笠原源次郎は、あの状況下だからああなのだという相対的な人間像ではなくて、いつの時代にも通用する絶対的人間像なのではないだろうか。それゆえに、あの場面は源次郎その人で完結してしまい、作者が意図していたかもしれない「戦争という状況」にまで関心が及んで行かない。そして、その意図がどうあれ、源次郎をああいう形で描いてしまうところに、われわれにとって親しい井上ひさし氏の本領を見るような気がするのだ。」
批判的に描かれているはずの源次郎がかえって観客にアピールしてしまったように、「虚構としての国家」「虚構としての天皇制」を観客の前に呈示し、その仕上げとしての「天皇陛下万歳」が、かえって観客からの素直な(あるいは舞台への批判も込められていたのかも知れぬ)万歳への共感の拍手を呼び起こしてしまった。またしても舞台の敗北の現場に立ち会ったのである。
日本の軍旗が踏み付けられ、雑巾がわりに使われ、逆さに立てられるのを眼のあたりにすることの、劇という虚構上のこととはいえ、言いようのない不快感。井上氏はその「不快感」こそが虚構上のことなのだと訴えたかったはずである。しかし少なくともこの日の舞台では、井上氏の訴えが観客に届くことはなかった。井上氏の観念は、現実を超えることができずに、いわば現実からの逆襲にあったのである。
終幕、舞台正面につり下げられた血したたりおちる日の丸の旗。わたしにはそこに、舞台の意図とは裏腹に、こうした舞台を作り出してしまう戦後日本思潮のザラザラとして悪意の混じった心象風景をみたように思えたのだ。
この小文を書くことを思いつつ思い至ったことがある。「観念」の対語は、「物質」でも「現実」でもなく、「気」ではなかったかと。井上氏の舞台における「観念」の敗北とは、名古屋章という具体的肉体に担われた源次郎から発する「気力」による敗北であり、明治天皇、乃木大将という現実的実在が今なお発しつづける「気力」による敗北ではなかったか。
「観念」は「頭」に宿り、「気力」の発進地は「肚(はら)」である。「頭」で考えれば「道化」と見えるものも、「肚」で見れば「固有の道」として見えてくる。今私には、日本の、そして私たち一人ひとりの「固有の道」についていよいよ自覚的たるべき時代に立ち至っているように思えるのである。
明治天皇、乃木大将という現実的実在が今なお発しつづける「気力」…
気力とは何でしょうか?彼ら二人はすでに生きていない。現在生きている人たちが彼らから感じているものが作用して、気力を生じさせているのか?
観念をの範囲を超えるところで人が感じるものが、気力ではないかと思うのですが、あるいは観念に上らないもっと下の方にある情動か、そのようなもののように思います。
by kimito (2010-04-16 11:15)