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追悼(3) 置賜人・井上ひさしさん [井上ひさし]

「週刊置賜」に寄せた追悼文です。

*   *   *   *   *

 井上ひさしさんが小松の生れであることを知ったのは、まだ学生の頃『手鎖心中』を他人事ではない思いで読んでから大分経ってからだった。隣町生れであることを知ったときの驚きは、当時畏敬すべき思想家であった吉本隆明という人が米沢で学生時代を送っていたことを知ったときの驚きに比肩しうる驚きだった。いずれも、マイナーな地域と思って育ってきた置賜を、まんざら捨てたものでもないと思うようになるきっかけとなった。

「だら(下肥)をまき散らしてやりたい」くらい小松が嫌い、という話をどこかで聞いていた。その井上さんが小松で講演されるという。昭和五十七年の秋のことだ。当時の好子夫人が山形を気に入っておられて、その影響で井上さんの気持ちも和らぐようになったらしいということだった。会場は小松の学校の体育館だった。ござが引かれた広い体育館に半分ぐらいの入りだったろうか。小松への怨み言はなく、置賜のグランドデザインともいえるべきものを示唆された。氏いわく、

「置賜の現在をそっくりそのまま博物館として保存すべき。近い将来、そのことの正しさが必ずや証明されるであろう。」

 本気と冗談の割合は七対三か、あるいはもっと本気の度合いは大きいと受け止めた。「幸いなことに山形県は新幹線も通らないし」という言葉で話し出されたのだった。

 この講演会をきっかけに、仕掛け人であった遠藤征広氏を軸に、井上氏と置賜の関係は急速に深まることになった。

翌五十八年には南陽ロータリークラブ二十周年記念事業として南陽でも講演会が開催された。そこで井上氏は「小松でも宮内でも赤湯でも、もちろん米沢でもいい、三〇〇人ぐらい入る劇場が欲しい。その劇場でまずやって、東京の人が見たかったら、まあ来いと。そしてそのあと東京へ出てゆく。盛岡、仙台、大阪・・・どこでも良いんですけど、そういう風にしたい。」と語られた。その講演録が二〇回にわたって「週刊置賜」に連載されて反響を呼んだ。私も感想を寄せた。その中で、司馬遼太郎氏の文章を引いていた。

≪司馬遼太郎氏が次のような文章を書いている。井上ひさし夫妻と同行した京都と丹波の山境いの花背(はなせ)という山中の宿でのことである。

「花背の宿で朝食を終えたあと、夫人は私のほうをむいて『あの人は、年をとってから、いつかは東北へ帰ってゆくと思いますよ』と真顔でいわれた。いわれている当人は、ふすまのそばで、畳の上の新聞に顔を近づけている。きこえていないらしかった。そういう氏を見ているうちに、本当に老後に東北の草むらの中に帰ってゆくような気がして、その後ろ姿まで見えてきてしまった。」(『ユリイカ』井上ひさし特集・一九七九)≫

 そういえば、井上さんが「めったなことで驚いたりされることのない司馬さんが、取上坂から白竜湖が見えてきたとき、思わず『あっ』と声をあげられた。」とうれしそうに語られたのは、南陽での講演を終えて上山の宿に向かう車中でのことだった。たしか『吉里吉里人』にも取上坂からと思われる光景の描写があったように思う。

 昭和六十二年には井上さんの蔵書七万冊で「遅筆堂文庫」がスタートした。その堂則にいわく、

 「遅筆堂文庫は置賜盆地の中心にあり、置賜盆地はまた地球の中心に位す。我等はこの地球の中心より、人類の遺産であり先人の智恵の結晶でもある萬巻の書物を介して、宇宙の森羅万象を観察し、人情の機微を察知し、あげて個人の自由の確立と共同体の充実という二兎を追わんとす。・・・」

 人情の機微の察知、共同体の充実というのがいかにもこの地にふさわしい。「週刊置賜」十周年の平成三年(一九九一年)、記念事業である徳田虎雄氏講演会で「二十一世紀、置賜は世界の中心になる!」とぶちあげたのは、井上さんのこの志を受けてのことだった。この思いは今も脈々と息づいている。

 吉野石膏コレクションが本来おさまるはずだった創業の地ではなく、天童、山形に行ってしまったように、うっかりすると井上さんの志の重心も置賜から村山へ移りかねない。

「吉野石膏の吉野は南陽の吉野だよ」とわざわざ断わりを言わねばならないと同じように、「こまつ座のこまつは川西のこまつだよ」と言わなければならなくなったのでは情けない。「吉野石膏」と言えば、白鷹山を背景に吉野川が流れる吉野の里が思い浮かび、「こまつ座」と言えばいつも、イザベラバードが「東洋のアルカディア」と評した豊饒な置賜平野の広がりがイメージされるようであって欲しい。井上ひさしという大きな存在が残した途方もない豊かな産物の原点にある感覚は、良きにつけ悪しきにつけ、なんといっても、この置賜の風景、置賜の文化、置賜の人情の中で形づくられたものなのだから。


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