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“直江兼続公の母がつなぐ縁”信州飯山市との交流の集い(2) [直江兼続]

この日、尾崎家の御先祖、尾崎家の氏神様のお計らいとしか言いようのない出会いがありました。

飯山からの御一行19名が予定より1時間も早く着かれたので、スケジュールを急遽変更して最初に熊野大社参拝をしていただくことにして一行をご案内しました。石段の途中まで来たとき、宮司が上からこちらに向かって「奇遇だ、奇遇だ」と声を上げています。なんと、そこに福島市上名倉の和光神社の氏子さんたち28名の一行がおられたのです。

慶長3年(1898)旧暦3月秀吉の命による国替えで、信州飯山尾崎を本貫とする尾崎重誉が宮沢城主として宮内に入ります。いま宮内熊野大社境内にある和光神社は、その時飯山から勧請した泉氏尾崎家代々の氏神様で和光大明神と呼ばれていました。その後重誉は半年そこそこで福島に移ります。そしてその地福島市上名倉にも和光神社が今も大切に祀られていたのでした。

福島和光神社mini.jpg

 そしてなんと、飯山の一行と福島の一行が何の打ち合わせもなしに、宮内の和光神社のご神前でばったり出会うことになったのです。しかもこの日は、和光神社に正式参拝していただくべく神社にお願いしており、期せずして和光神社に縁ある3つの土地の代表が玉串を捧げることになったのでした。こうしてこの日つながった縁が今後どういうふうに展開することになるのか、尾崎の御先祖、ゆかりの神様にお任せ、やらねばならないことがありましたらどうかやらせていただきますという思いです。

和光神社記念写真mini.jpg

福島の一行とはこれからの交流を約束してそこで別れ、その後は地元宮内の一団と飯山の一行で宮沢城址での立柱式へ。北野宮司に立派な祝詞を上げていただきました。

宮沢城址宮司mini.jpg

降ったりやんだり時には荒れたりで朝から心配していたお天気が、あとで写真を見て気づいたのですが、このときばかりは青空になっていました。

宮沢城址記念写真,mini.jpg

記念写真もみんな晴れ晴れとしています。

そして熊野大社證誠殿での直会。乾杯の音頭は大正5年生れの菅野俊男前南陽文化懇話会会長にとっていただきました。

立柱式直会乾杯mini.jpg

できたてのスライド「続・直江兼続公と南陽―尾崎氏と色部氏」を見ていただきながら食事、そして懇親。お土産には「宮沢城絵図」を布に拡大プリントしたのをさしあげ喜んでいただきました。このたびの団長として館長さんもおいでの外様公民館に飾っていただけることと思います。

宮沢城絵図mini.jpg

(この絵図は現在、南陽市教育委員会所蔵。この日柴田副市長が特に借り出してみんなに実物を見せていただきました。)


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