徳田理事長訪問記 [徳田虎雄]
2月19日、葉山ハートセンターの徳田理事長にお会いしてきました。山形、新潟、仙台の徳友会メンバーと共にです。
徳田理事長は2002年にALSに気付いたという。
「この病気は、筋肉はだんだん弱っていきますが、他の機能はすべて正常で頭はますます冴え渡っています。癌や脳卒中、心筋梗塞になるよりもリーダーとしての仕事ができます。
病気に気付いてから急いで外国を訪問しました。世界中200カ国に病院をつくる準備にかかりました。
私は呼吸も食事もしなくていい。その分プロジェクトができる。
元気なときは無駄な動きが多かった。今は元気な時よりも文化的な生活をしています。
私の人生はこれからが勝負だ。
何事もモラルの高いほうが勝ちます。一緒に夢を実現しましょう。」(徳田虎雄『生命だけは平等だ』PHP 2007)
会っているうちにすっかり徳田虎雄ペースにはまりこんでしまっていた。「なつかしい顔に久しぶりに会えてうれしい」という言葉がありがたかった。帰って昨日の山形徳友会交流会の席での報告の任を負わされた。事務局が作ったスライドに言葉を入れていったものを読み上げた。以下はその原稿です。
徳田理事長訪問記
山形は寒い雪空でした。
東京は青空です。
徳田毅議員の秘書二人の案内を受けていざ国会へ。
向かって左が衆議院。予算委員会開催中です。
参議院議員のための傍聴席から衆議院本会議場を見下ろしています。
石川部長が千葉徳洲会病院の事務長時代、1年間院長だったという社民党の阿部知子議員が私たちを見つけて駆けつけてくれました。
議員食堂で昼食。鈴木宗男議員によると最高の昼食だそうです。「さすが徳田議員」とのこと。
毅議員登場。右は毅議員と同期の、国民新党糸川正晃議員。共に若手のホープです。
宗男議員、毅議員が顔を見せるまでの間、なぜか親しくゆっくり話していってくれました。みんな名刺をいただきました。
毅議員のご挨拶。
常に弱者の視点で。父親の正義感をしっかり受け継いでおられます。
「徳洲会のがんばりによって、今日も多くの命が救われています。生命だけは平等だ、そのためにまだまだがんばらねばなりません。」と、熱く語る毅議員でした。
毅議員と同じ宏池会の遠藤利明議員が駆けつけてくれました。毅議員曰く「絶対落としてはならない人。」山形一区の方々へ強くお願いされてきました。
利明議員の案内で、普通は入れないらしい議長応接室へ。
毅議員、年に似合わぬ堂々たる風格。目の勢いが存在感を高めています。利明議員のお話からも、周囲の期待を感じることができました。
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いよいよ、理事長のおられる葉山へと向かいます。
レインボーブリッジを渡っています。
正面が葉山の御用邸。ここからすぐです。
海のすぐそばの斜面に張り付く葉山ハートセンター。天気のいい時は、見事な富士山を望むことができるそうです。
徳田哲副理事長の奥さんで、ケアネット徳洲会代表取締役徳田恵子理事に出迎えていただきました。
理事長面会の準備が整うまでホールで。
ブルガリア徳洲会ソフィア病院オープンまでのビデオです。8年前の地鎮祭、元気な姿の理事長です。
ソフィア病院はいまや全ヨーロッパの期待を集めてさらに発展中とのことでした。
今日もお出での小泉特別顧問が進行役です。
徳洲会グループの福祉面のトップを担う恵子理事より、東北における今後の展開について語っていただきました。
徳友会のさきがけである神奈川徳友会、そして関東ブロック協議会の松永会長より、徳友会発会の経緯等について語っていただきました。
「生命だけは平等だ」の哲学の実践を使命とし、誰もが、いつでも、どこでも最善の医療を受けられる世界を目指すためには政治の力がどうしても必要ということで、自由連合という政党をつくり多くの選挙を戦ってきましたが、なかなか結果を出すことができなかった。あのエネルギーをムダなく世の中に反映することはできないか、それが徳友会の出発点でした。徳洲会の理念に共鳴する多くの力を結集し、徳田理事長の思いの実現に少しでも役立ちたいというのが徳友会の原点です。お互い経済活動に汗を流す仲間同士協力もしあいながら、前人未到の道を切り拓く徳田理事長の願いを実現するため、全国的な大きな力となるようにがんばっていきたいと思います。東北の皆さん、どうかよろしくお願い申し上げます、ということでした。
さらに増築を重ねる葉山ハートセンターです。
いよいよ理事長とお会いします。
女性3人、男性1人に支えられての車椅子ですが、時にはやさしく、時には厳しく、理事長のまなざしは元気な頃と全く変わりません。ひとりひとり理事長の右手を握り締めて理事長の前に座ります。
五十音が書かれた透明のシートに向けられる理事長の視線から、秘書の方が理事長の意志を読み取ります。
理事長のメッセージを受けた後、ひとりひとりが自己紹介。そのひとりひとりに理事長から家族のことや仕事のことについて質問をいただきました。
新庄病院10周年につくった、理事長の手帳を染め上げたものをおみやげにお持ちしました。たいへん喜んでいただいたようで、秘書に全部読むように言われ、一同あらためて理事長の思いの原点を確認することになりました。
そのほかお土産として、その日の朝降ったばかりの山形の雪を発泡スチロールに詰めて持って行き、理事長に触っていただきました。
全員で理事長を囲んで記念撮影の後、こんどは一人一人、2ショットでの記念写真です。理事長のサービス精神は全く昔のままで感激させられました。
また、置賜のことも理事長の頭の中にはしっかり入っていて、「置賜はどうなっている」と尋ねられ、現状をお話すると、「病院は病床数の制限があるので難しいが、恵子理事とも連絡取り合って福祉施設の可能性を探るように」と言っていただきました。
理事長はお疲れの様子も全く見せずに。2時間近くもわれわれにつきあって頂きました。皆さん、理事長との面会の感激の余韻を残した表情で、恵子理事を囲んでハートセンター前で記念写真です。
当日すぐにいただいた理事長との記念写真には、丸い不思議な玉のようなものがいくつか写っていました。理事長の熱い願いによって救われた数知れない生命が徳田虎雄という類い稀な存在を守っているという証のように思われました。現身をもちながらも、限りなく強い意志のみの存在となって現実変革の活動を休みなく続けておられる奇跡を目の当たりにした興奮は、日を追うごとに深く心に染み入ってくるように思われます。ほんとうにかけがえのない貴重な一日でした。
藤原肇さんの宇宙巡礼掲示板の「日本の回天」スレッドに徳田理事長についての言及がありましたので貼り付けておきます。http://jbbs.livedoor.jp/study/2491/
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62 名前:千々松 健 投稿日: 2010/04/11(日) 18:05:21
今、話題に昇っている徳之島と聞いて直ぐに「生命だけは平等だ」の言葉で有名な徳田虎雄医師を思い出した。そしてホーキング博士と同じALSを8年前に発症され、現在は東京にて療養中である事を知って驚いた。
これから徳之島の住民の意見がどうなるか注目されますが、徳之島出身の政治家である徳田氏の動向が
気になるところです。人工呼吸器の付いた生活の中で声を出すことも出来ないご様子ですが、、、
『病して、吾、大医とならん』そのような声なき声が聞こえたような気がしてなりません。
63 名前:藤原肇 投稿日: 2010/04/12(月) 11:32:32
こういう事態をシンクロニシティというのだろうが、「旅に病んで、夢は枯野を駆け巡る」という思いに包まれていた時に、千々松さんが虎君のことを書いたので懐かしく思い出し、言わでもがなのことだが書いてみる気になったのも、考えてみれば実に不思議なことである。
おそらく十数年か十五年も昔のことだったと思うが、代議士だった徳田虎雄から帝国ホテルでの食事に招かれ、何事かと思いながら行って会ったところ、彼の政治参謀になって欲しいと頼まれたことがある。政治家は毒を持つので情報集雌雄のために近づいても、それ以上は接近しない主義だったので断ったが、政界は私にとって肥えたごに似た存在だった。
だが、本気で革命をやる覚悟があるのであれば、読者の中に役に立てる人材がいるから紹介してもいいと答え、その一人の候補者として佐藤肇氏を紹介したが、佐藤氏と徳田氏は接点がなかったようである。佐藤肇さんは数少ない国士の一人であり、政界に詳しいので役に立ってもらえるのは、疑いの余地のない貴重な存在であったので、紹介の労をとったのであるが時期尚早だった。
どういう事情だったか記憶が定かではないが、池口恵観和尚と一緒に徳州会の年次総会に招かれ、そこで二百人くらいの医者や事務局長を前に、必要な医療革命について十五分くらい喋ったことがある。医術は仁術の原点に戻れということや、藤井先生の思想を紹介したように思うが、はっきりしたことは何も覚えていない。
そのときに発言記念として徳田虎雄に『間脳幻想』をプレゼントしたが、記念の献辞に「虎猫が君子豹変して、彪や虎になる指南書」と書いて渡したら、恵観和尚がそれを見て「虎猫の豹変とは傑作だ」と哄笑していた。その後で虎猫が「うちの茅ヶ崎だか藤沢の診療所は日本一だから、是非とも健康診断に来て利用してください」と言われたのが懐かしく偲ばれる。
古希を過ぎても未だに世界を走り回っている私の生活は、時差に関してはメラトニンで何とか調整できても、原始的な内臓は時差の影響が克服できないらしく、調子がおかしくなって便秘が酷くなり、医者に見てもらったら腸に潰瘍ができているとの見立てで、これから詳しい検査をすると言われてしまい、異国の地で検査待ちの日をすごす事になったとはいえ、どうか心配しないでいただきたいし休養のチャンスかも知れない。
それにしても、徳田の虎ちゃんがALSを発症して人工呼吸のついた生活と知り、かつて政治改革を手伝って欲しいといわれたが、革命でなくてクーデタならお断りと退けたが、ここにきて平成無血革命に遭遇したのは運命のめぐり合わせであり、人の世は実に面白いものだと感じると共に、徳田氏には心からのお見舞いの言葉を述べたいとおもう。
64 名前:千々松 健 投稿日: 2010/04/12(月) 18:15:47
最新式の胃カメラと言えどもやはり、異物が体内に入る検査は気持ちが良いものではありません。
私事、3月に十二指腸潰瘍+慢性胃炎+逆流性食道炎の3拍子が揃った診断を受けて、服薬を開始しているところですが、特に違和感なく過ごしています。
顧みれば、過去に人間ドッグで引っかかり大腸ポリープを切除したことがありましたが2回とも徳州会の湘南鎌倉総合病院にお世話になりました。
鎌倉には市立病院がなく、ここが一番の頼りです。2010年9月頃、大船フラワーセンターの近くに移転して、ヘリポート付きの最新設備の整った病院に生まれ変わるようです。
また、茅ヶ崎の方に病院も辻堂駅前の再開発地区へ2年後には移転すると聞いています。このところ移転ラッシュですね。
先日、樹齢800年と言われる鎌倉八幡宮の大銀杏が風で倒されましたが、残された根元から早くも若芽が芽吹いてきたという嬉しいニュースが入りました。何という生命力でしょう! まさに元気ですね。
藤原博士も、一日も早く胃腸の調子が良くなることを祈っております。(シンクロニティ)^3
by めい (2010-04-16 07:31)
《当日すぐにいただいた理事長との記念写真には、丸い不思議な玉のようなものがいくつか写っていました。》
写真に写った丸い玉は「オーブ(たまゆら)」というそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/玉響現象
オーブの乱舞する粥川谷矢納ヶ淵、~ 円空の里を訪ねて① ~
http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-258.html
で知ったところです。
by めい (2014-03-03 00:52)