時代の変わり目の中で [幼稚園]
幼稚園の卒業文集(保護者の文章と園児の絵)に寄せた文章です。
この発想を起点にした今後の構想がないでもありません。
いま読み返すと場違いな感じもしますが、限られたスペースの中でいちばん伝えたいことを書いた結果です。
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時代の変わり目の中で
ちょうちょう組のみなさん、そして保護者のみなさん、ご卒園おめでとうございます。
昨年来「恐慌」という言葉が出てくるほどの大変な時代になってきました。何十年後、何百年後に今の時代を振り返ると、きっと、すごい変革期だったといえる時代なのだと思います。これまで大切だと思ってきたものが大切でなくなり、これまで見過ごされてきたものがあらためて大切になってくる、そういう時代の真っ只中です。
経済面だけを見ると、とんでもない大変な時代になっています。でも「お金万能」という思い込みから目が醒まされようとしているのではないかと思い直すと、また別の世の中が見えてきそうです。
ある時、食卓に並んだものを見ていたら、買ったものより貰ったものの方が多いことに気付きました。もちろん、貰いっ放しというのではなく、こちらからも何かをあげているはずです。そこにはお金のレベルではない、人と人とのつながりによる物のやりとりがあります。
「相手に喜んでもらえる」ということを第一義にしたお金抜きのおつきあい、食卓に並ぶ貰いものはその表れともいえます。そこには「助け合い」という隠し味も加味されているかもしれません。都会はいざしらず、この辺にはそういう人間関係がまだまだ健在です。
考えてみれば、人間の社会生活はまず、あげたり貰ったりから始まっています。お金が出て来たのはずっと後のことです。ましてお金自体が目的のよう思い込む世の中になったのはごく最近のことです。その挙句が今回の金融危機なのです。私には、本来の人間関係が息を吹き返すチャンス到来のように思えてなりません。お金が大変になればなったで、それぞれの紆余曲折を経ながらも、かえって人間本来の社会生活に戻ってゆく、そんな気がするのです。
金の切れ目が縁の切れ目とよく言われてきました。しかしこれからの時代は逆に、経済的に厳しくなればなるほど絆(きずな)が強まるような、そういう時代にならざるを得ないような気がします。なぜなら、助けを求めざるを得ない人がこれからどんどん増えてくるはずですし、また困っている人には助けてあげたいというのが人間として自然だからです。そして、決して助けっぱなしでもないし、助けられっぱなしでもありません。長い目で、広い視野で見ればきっとお互い様です。だから、助けてあげたからといって恩着せがましくふるまう事もないし、助けてもらったからといって卑屈になることもありません。みんな自然にそうしてしまう、いずれそういう温かい世の中になる、そのための禊(みそ)ぎ、試行錯誤の時を迎えているように思えます。
> そこにはお金のレベルではない、人と人とのつながりによる
> 物のやりとりがあります。
この世に只のものはないと思います。人に親切にするという事も、
合理的かつ理性的な、互いに持っている等価値の交換によって、
初めて成り立つものだと思います。私にとっては今の世の中は、
レイシオ、リーズンのユダヤ思想が前提にあって、それに従わざる
を得ないと、思い知らされるばかりの毎日です。
by トモーノ (2009-03-26 00:09)