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大和久晃君への弔詞 [弔詞]

かけがえのない友人を亡くした。6月2日の夕から姿を消し、翌朝亡くなっているところを発見された。昨日が告別式。用意された壇払いの後、仲間と夜遅くまで痛飲。通夜の晩もだったが、最近こうした酒飲みの機会がなくなっていた。大和とこういう機会を作っていればと悔やまれてならなかった。大和久晃。享年54歳。しかし、やるだけやって、彼らしく完結させた生涯だった。法名 一観晃道居士。

 

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    弔 詞

 大和、まさか君への弔辞を読まなければならなくなろうとは考えもしないことだった。最後のところで何の力にもなれなかったことを情けなく、また申し訳なく思う。
しかし、永久の眠りについた君の顔は実に安らかだった。われわれの手で持ち上げられ棺に納まろうとした時、一瞬顔がくずれて笑みが浮かんだように見えたのは気のせいだったろうか。力の限り、精一杯やり尽くしての男の一生を見せてくれたように、そう思いたい。そして、そう思わせてくれる立派な君の顔だった。
気合いのこもった涼やかな目を持つ君がわれわれの前にあらわれたのはもう三〇年近い前のことだった。SSK、真実を求める青年の会の代表として、元気のいい同世代の何人かと共に、置賜タイムス社を始めて間もなかった頃の、君が最後まで「親分」と言って慕いつづけた加藤社長に連れられてわれわれに合流した。われわれよりずっと若い君であったが、その頃からリーダーとしての風格を備えていたのだと思う。週刊置賜創刊五周年記念の弁論大会で実行委員長を務めたのが君のデビューだった。親父さんが駆けつけてくれたり、君の身近なところからの応援もあり、大成功だった。君の人柄を実感した、今も忘れることのできないイベントだった。
平成四年、開校して間もない南陽高校の真新しい体育館で開催した徳田虎雄先生講演会も、君が実行委員長だった。「二十一世紀は置賜から」と題したあの講演会の余韻は今も跡を引いている。来年の大河ドラマ「天地人」放映によって置賜がクローズアップされようとしているが、その先駆けを成すのがあの講演会だったのではなかったか。そうしたことを語り合いながら酒を酌み交わす機会をつくらねばならなかったのだと、切に思う。いま悔やまれるのがそのことだ。
みんなが日々の暮らしに忙しくなりすぎていた。稼いでも稼いでも金は手元に残らずに吸い取られていってしまう、そういう仕組みの中で生かされている。よほどカネに険しくならないと身包み剥ぎ取られかねないのが今の世の中だ。その中にあって、損得勘定よりも意気に感じて仕事に取り組む君、そのくせ相手の損得には気を使いすぎるほど気を使ってくれた君、そのしわ寄せはすべて自分に返ってきていたに違いない。それをひとりで背負い込んでこの世から旅立った。決して逃げる背を撃たれての討ち死ではない。勇猛果敢、おのれの信ずるところを貫き通して正面突破を図った上での名誉の戦死だ。君の死を聞いて思わず「バカヤロー」と口走った自分も、今は「大和らしい」と思える。
いい子供たち、孫たちを残した。いい社員たちを残した。そしていい仕事を残した。台所にあって、風呂場にあって、トイレにあって、君を思わされる。魂のこもった仕事をしてくれた。仕事に取り組む君は実に楽しそうだった。君のような人間を死に追い込まねばならない世の中とは何なのか。君の死はこの重たい問いをわれわれに突きつけた。この問いをどこまで受け止めることができるか。生きる密度の濃さでは君には到底かなわないけれども、生きる長さでわれわれなりの答えを求めてゆかねばならない。幽明界を異にしても、依然として同志であることに変わりはない。現世のしがらみから解き放たれて自由になった君、この写真そのままの顔ですぐそばにいるような気がしてならない。生きてるうちだけが人生じゃあない、ということを身をもって示してくれて逝った。さよならはあえて言わない。新たな付き合いがこれから始まると思いたい。時間と共に忘れ去るにはあまりにもったいない君だったのだから。
平成二十年六月六日

置賜獅子の会を代表して
髙 岡 亮 一


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