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司馬遼太郎氏にとっての雲井龍雄 [雲井龍雄]

司馬遼太郎氏の「街道を行く」、米沢での取材の際案内役だったのが尾崎周道氏。尾崎氏といえば「志士・詩人雲井龍雄」。お二人の間では当然雲井龍雄が話題にのぼったはずなのに、「街道を行く・羽州街道」にはまったく雲井龍雄についてふれられていない。このことが不思議でもあり、また不満でもあった。司馬氏には雲井龍雄という人はどうみられていたのか。ずっとその疑問があったのだが、それに関わるような文章をかつて私自身が正気煥発掲示板で取りあげていたことを発見した。そのまま転載しておきます。

 

(「正気煥発掲示板」からの転載はじめ)

投稿日 : 2002/03/08(Fri) 00:33
投稿者 : 管理人
Eメール :
タイトル : 『神々の軍隊』

先日本屋でたまたま見つけた濱田政彦著『神々の軍隊―三島由紀夫、あるいは国際金融資本の闇』(平12.12刊 三五館 2,000円)を読み終えたところです。多くの資料・参考文献にあたりながら、永田鉄山斬殺の相沢三郎中佐と二・二六事件の決起将校、とりわけ磯部浅一、安藤輝三大尉の思いをくっきりと浮かび上がらせています。今に通ずる「思想の極み」を教えてくれます。「極み」がわかることで、自分の居場所が見えてきます。著者の評価を控えた人名索引が47ページにわたってついているのもありがたいです。

あとがきに、著者の思いが思いっきり込められていましたので、紹介しておきます。

   *   *   *   *   *

●濱田政彦『神々の軍隊』あとがき

 三島由紀夫自決の翌日、作家・司馬遼太郎は、自らの三島観、いや自らの戦後観を新聞に披露した。「異常な三島事件に接して」という見出しで始まるこの一文は、死の直前に三島が新聞に寄せた一文、「果たし得ていない約束」(本書一章冒頭参照→下に転載)とおよそ対極をなすものであった。
 司馬は言う。

≪思想というものは、本来、大虚構であることをわれわれは知るべきである。思想は思想自体として存在し、思想自体にして高度の論理的結晶化を遂げるところに思想の栄光があり、現実とは何のかかわりもなく・・・・・かかわりがないというところに繰りかえしていう思想の栄光がある。                                
 ところが、思想は現実と結合すべさだというふしぎな考え方がつねにあり、とくに政治思想においてそれが濃厚であり、たとえば吉田松陰がそれであった。
 松陰は日本人がもった思想家のなかで、もっとも純度の高い人物であろう。・・・・・自分の思想を現実世界のものにしようという、たとえば神のみがかろうじてできる大作業をやろうとした。
 虚構を現実化する方法はただひとつしかない。狂気を発することであり、狂気を触媒とする以外にない。要するに大狂気を発して、本来天にあるべきものを現実という大地に叩きつけるばかりか、大地を天に変化させようとする作業をした。当然、この狂気のあげくのはてには死があり、松陰のばあいには刑死があった。
 ・・・・・われわれの日本史は松陰をもったことで、一種の充実があるが、しかしながらそういうたぐいの精神は民族のながい歴史のなかで松陰ひとりでたくさんであり、二人以上も出ればその民族の精神体質の課題という別な課題にすりかわってしまうであろう。
・・・・・三島氏の死は、氏はおそらく不満かもしれないが、文学論のカテゴリーにのみとどめられるべきもので、その点、有島武郎、芥川龍之介、太宰治とおなじ系列の、本質はおなじながらただ異常性がもっとも高いというだけの、そういう位置に確固として位置づけられるべきものであり、松陰の死とは別系列にある。
・・・・・いずれにせよ・・・・・われわれ大衆は自衛隊員をふくめて、きわめて健康であることに・・・・・  感謝したい。三島氏の演説をきいていた現場自衛隊員は、三島氏に憤慨してヤジをとばし、楯の会の人をこづきまわそうとしたといったように、この密室の政治論は大衆の政治感覚の前にはみごとに無力であった。このことはさまざまの不満がわれわれにあるとはいえ、日本社会の健康さと堅牢さをみごとにあらわすものであろう。≫(毎日新聞 昭和四十五年十一月二十六日号)

 司馬が「きわめて健康」と評した日本は、それから三十年の時を経て、今、滅亡の危機に瀕している。文明的には絶頂を極めながら、その精神はとっくの昔に崩壊していたのである。だが三島は、当時司馬が見落としていたものを確実に捉えていた。
 三島は『葉隠入門』の中で、葉隠の著者・山本常朝の言を解説しながら、戦後日本の致命的欠陥を容赦なく指摘した (文中カツコは筆者)。

≪この著者(山本常朝)は、人間が生だけによって生きるものではないことを知っていた。彼は、人間にとって自由というものが、いかに逆説的なものであるかも知っていた。そして人間が自由を与えられるとたんに自由に飽き、生を与えられるとたんに生に耐えがたくなることを知っていた。
 現代は、生さ延びることにすべての前提がかかっている時代である。平均寿命は史上かつてないほどに延び、われわれの前には単調な人生のプランが描かれている。青年がいわゆるマイホーム主義によって、自分の小さな巣を見つけることに努力しているうちはまだしも、いったん巣が見つかると、その先には何もない。あるのはそろばんではじかれた退職金の金額と・・・・・静かな退職後の、老後の生活だけである。
 ・・・・・日本の戦後政治は経済的繁栄によって、すくなくとも青年の生の衝動を満足させたかもしれないが、死の衝動についてはついにふれることなく終わった。しかし、青年の中に抑圧された死の衝動は、何かの形で爆発する危険にいつもさらされている・・・・・。
 ・・・・・合理主義とヒューマニズムが何を隠蔽し、何を欺くかということ・・・・・合理的に考えれば死は損であり、生は得であるから、だれも喜んで死へおもむくものはいない。合理主義的な執念の上にうち立てられたヒューマニズムは、それが一つの思想の鎧となることによって、あたかも普遍性を獲得したような錯覚におちいり、その内面の主体の弱みと主観の脆弱さを隠してしまう。常朝がたえず非難しているのは、主体と思想との間の乖離である。・・・・・もし思想が勘定の上に成り立ち、死は損であり、生は得であると勘定することによって、たんなる才知弁舌によって、自分の内心の臆病と欲望を押しかくすなら、それは自分のつくつた思想をもってみずからを欺き、またみずから欺かれる人間のあさましい姿を露呈することにほかならない。
 ・・・・・他人の死ではなくて、自分の死を賭けるときには、英雄的な力を持つであろうが、そのいちばん堕落した形態は、自分個人の「死にたくない」という動物的な反応と、それによって利を得ようとする利得の心とを、他人の死への同情にことよせて、おおい隠すために使われる時である。・・・・・思想による欺瞞をもっともまぬがれた極致にあるものは、忠も孝も、あらゆる理念もいらない純粋行動の爆発の姿である。≫(「葉隠入門」新潮文庫より)

 司馬は前述の三島批判の中で、思想という「大虚構」がもたらす「大狂気」を、明治維新における「大狂気」の主人公である吉田松陰ただ一人に帰し、その狂気の顕現を歴史上、ただ一回の現象として締めくくろうとした。そして歴史における神話意識の反復性を無視する姿勢(神話意識を行動の根源に持った、昭和史における大狂気を無価値なものとして退ける)を見せたのである。民族神話は永劫回帰する民族精神の元型であるというのに・・・・・。
 日本的大狂気の上に成り立った明治維新を描きながら、その血なまぐさい壮絶な大狂気の本質を、ヒューマニズムの懐に包んで焦点をボカした司馬の「物語」は、結果として現代日本人に「維新」に対するやわな憧れを呼び起こす一方で、日本的狂気の本質を知らしめることなく終わった。
 日常生活から一歩も離れることを欲しない現代人に、その生活を維持しながら同時に維新への「憧れ」という観念上の悦楽を与えることは、三島が指摘して止まない二つの椅子に座る行為、すなわち人間の「いちばん堕落した形態」にほかならない。
「昭和」という一つの精神を、描くに値しない無価値なものとして退け、松陰とまったく同質の大狂気である三島の決起とその死の意義を黙殺し、戦後の新たなる精神を、あたかも松陰や三島の日本的狂気とは無縁で、しかも健全なものとして捉えようとした司馬であったが、後年になって驚くベき変化を見せ始めた。
 晩年の司馬は、戦後半世紀の時間をかけて、日本を「日本」たらしめてきた神話をゆっくりとしかも確実に心の内から根こそぎ死なしめた、日本人が築き上げた現代文明を見つめ、悲しげに「日本は必ず滅ぶ・・・・・⊥とつぶやいて見せた。
 『土地と日本人』(中公文庫)という書を世に送り出した司馬は、古き良き神話を失った現代日本人が、土地を単なる物として扱い始め、実体のない「通貨」という記号で売り買いし始めるようになったことに警告を発した。農耕を核とした民族神話を土台とする日本は、その神話の継承者たちの死によって、「貨幣」を核とした新神話に侵食され始めた。そしてこの新神話の増殖に並行して自然破壊、文化破壊、伝統崩壊、ひいては国家崩壊が始まったのである。
 年を重ねるうちに、皮肉にもかつて自分が痛烈に批判した三島と同じ立場に立たされることとなった司馬であるが、「日本は必ず滅ぶ・・・・・」などという発言は、三島由紀夫が、とっくの昔に語っていたではないか。何を今さら・・・・・であろう。今や日本人ならばだれもが無意識の内にハッキリとわかっているこの現実の危機を今さら訴えたところで、当時ただ一人それを語れた三島の命を賭けた言葉とは、その重みがまるで違うのだ。
 我々は日本人である。たとえ外国の言葉を身につけ、文化を学び、生活を変えたとしても、国の外に行けば「日本人」以外の何者でもないのである。では何を以って我々は「日本人」なのであろうか? それは神話を以ってである。日本人が日本を「日本」たらしめてきた神話を自らの手で捨て去ろうとしてる今、この国の未来は明らかである。神話を捨て、すべて外から取り入れたものを身につけ、真似するだけのコピー人間の世界。この無機質・無表情・無感動な″ひと″のような生き物が増殖した社会。「それでもいいと思っている人たちと・・・・・口をきく気にもなれなくなっている」、こうつぶやいた三島に”否″を突き付けることのできる”ひと″らを、私は理解することがどうしてもできない。
 世界史の残酷な現実が示すように、永遠に続く文明、文化などこの世にはありはしない。偉大な古代文明は、栄華の絶頂から滅亡へと転落を遂げた。この栄枯盛衰の真理の中で、同じく滅亡に瀕している日本の中にあって、私はどうすべきなのであろうか? 今や歴史の必然に身を委ね、最後の日本人として文明の最後を見届ける、悲壮な運命を甘んじて受けようというまでの心境に達したが、なお一縷の望みを捨て切れないでいる。それは神話を失った民族が、失ったものの大きさに目覚めるときである・・・・・。

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●三島由紀夫「果たし得ていない約束」(サンケイ新聞、昭和四十五年七月七日)

 私の中の二十五年間を考えると、その空虚さに今さらびっくりする。私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。
 二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生じる偽善というおそるべきバチルスである。
 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。
・・・・・この二十五年間、認識は私に不幸をしかもたらさなかった。私の幸福はすべて別の源泉から汲まれたものである。
 なるほど私は小説を書きつづけてきた。・・・・・しかし作品をいくら積み重ねても、作者にとっては、排泄物を積み重ねたのと同じことである。・・・・・気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。否定により、批判により、私は何事かを約束してきた筈だ。政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、という考えが時折頭をかすめる。・・・・・戦後民主主義の時代二十五年間を、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている。
 ・・・・・私はこの二十五年間に多くの友を得、多くの友を失った。・・・・・二十五年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに彪大(ほうだい)であったかに唖然とする。
 ・・・・・私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぼな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私はロをきく気にもなれなくなっているのである。 
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(「正気煥発掲示板」からの転載おわり)

後年の司馬氏なら雲井龍雄を評価せざるを得なかったのではなかったか。


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