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市議選についての感想 「史上最低の投票率に思う」 [選挙]

 3月23日の市議選のあと書いた文です。「週刊置賜」に載せてもらうつもりでしたが機を逸してしまい鮮度が落ちたのでここに載せておきます。

   *   *   *   *   * 

 久しぶりの市議選、六人が落選という激戦にもかかわらず、八年前の前回に比べて投票率が3.33ポイント下回る77.63%という結果だった。「やっぱり」と納得した。振り返れば今回の選挙ほど低調な選挙はかつてなかったのではなかろうか。史上最低の投票率はその結果と考えるべきである。

 一週間の選挙戦で街頭での演説を耳にしたのは一回だけだった。選挙戦も後半になってからだった。わが家の通りに選挙カーが止まって演説が始まったとき、仕事を放り出して外へ飛び出した。選挙戦とはこうでなくちゃあならない、高齢者医療の問題や子育て支援への行政批判を熱く語るS候補の姿がこの度の選挙戦ではとりわけ貴重に感じられ、主義立場を超えて感動しつつ拍手した。後にも先にも演説を聞いたのはこのとき限りだった。あとはひたすらひっきりなしの「お願いします」の連呼を聞くだけの一週間だったのだ。一体何のための選挙戦か。イラだったこともたしかだ。その思いが私だけではなかったことを投票率が示しているように思えてならない。

しかし、結果が出た今、イラだってばかりいることは賢明ではない。南陽市は今、喫緊緊急の課題を面前にしている。合併問題である。

 公僕、公人を選ぶのが選挙である。公僕、公人とは何か。「滅私奉公」の言葉が示す如く、公のためには身を斬る覚悟を持ちうる人であろう。本来選挙とはその資格を問う禊(みそ)ぎのイベントである。禊ぎとはまさに「身を削(そ)ぐ」ことである。選挙を経てはじめて名実ともに公僕、公人としての資格を得ることとなる。激しい戦いであればあるだけその輝きは増すであろう。その意味でこのたび当選された方々は「選良」と呼ぶに相応しい。以下、それを踏まえてあえて言う。

合併問題は議員の身分に関わる問題である。合併問題への本気の取組みは議員にとってまさに「身を削ぐ」ことに通ずる。それゆえに、公僕、公人であるかどうかを見極める試金石ともいえる。いま真剣に地域の将来を考えるならば、合併問題は避けては通ることのできない課題であるからだ。

新合併特例法の期限が迫っている。その平成21年3月に間に合うためには、ぎりぎりこの7月までには法定合併協議会を設置する必要があるという。市には合併準備室も設置されたようだ。置賜対象市町の6月議会が正念場となる。特例法の期限が切れてからの合併はありえないと考えて臨むべきことは、財政上すぐ理解できるはずだ。地方交付税カットを前提にした「地方分権」が「地域間競争」の激化を招来することは目に見えている。人件費と借金払いに汲々しながらなんとか目先の仕事をこなせばいい自治体では立ち行かない。自治体の体力と未来への構想力が問われる時代である。後で気づいたのではもう遅い。20年後30年後、後輩たちに、なぜあのときに合併をしなかったのかと後ろ指を差されるようなことがあってはならない。

私は35町の合併による24万「置賜市」の実現を目指すべきと考えている。40年前の宮内、赤湯、和郷21村合併には歴史的、文化的にも無理があった。しかし、「置賜市」には太古以来の文化的歴史的背景がある。今は時代も味方して35町による「置賜市」の実現を促しているように思えてならない。大河ドラマ「天地人」にとどまるのでない大きな流れを私は感じている。


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