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板子一枚下は地獄? [青苧]

知足さんのコメントhttp://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-04-27#comments

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> 電気が使えなくなったら私の仕事もたちまちお手あげになってしまうわけで、

めいさんのお仕事だけでなく、殆どの仕事はできなくなります。残るのは、未開地の生活のみでしょう。

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「文明生活」と思いながら、なんともあっけない不安定な基盤の上のわれわれの生活なわけです。
一昨年山形新聞の「提言」欄に書かせていただいた文章を思い出しましたので載せておきます。

 ○青苧ルネサンス―宝の山への第一歩   

 去る九月二十六日、南陽市宮内の蔵楽で開催した「青苧(あおそ)フェスティバル」は、主催者の予想を大きく上回る賑わいだった。せいぜい五〇人とみていたシンポジウムには県内外から一〇〇人を超える参加者があった。青苧おにぎりはすぐ売り切れ、青苧まんじゅうの売れ行きに製造元の菓子店はてんてこ舞い、青苧茶も大好評だった。草木染め青苧を使ったミサンガづくり、手織体験コーナーは終日ぎっしり人が絶えなかった。ホールでの創作民話劇、青苧のうた発表、創作民話の語りも満席だった。

 その夜の実行委員の反省会、手織に取り組む若い女性の発言に身がつまされた。「自分はインターネットのデザイン企画の仕事をやっているが、いったん電源が切れれば何もできなくなってしまう世界。それゆえにこそ手仕事に魅かれるのです。」

 私の家業の染物(印染)も五年ほど前からデジタル化に取り組み、従来の手仕事がどんどんパソコン頼みに替わってきた。「もし電気が止まったら」の不安がいつもつきまとう。決して「万が一」ではないことは、このたびの中越地震でも思い知らされた。「青苧フェスティバル」が大受けした背景にあるのは、便利さを享受する裏に潜む漠たる不安だったと考えるのはうがちすぎだろうか。

 今でこそ「苧」が「芋」と読み間違われる時代だが、四〇年ぐらい前まで山形県人にとって青苧がごく身近な存在だったことをこの度の取り組みの中で多く知らされた。戦時中青苧の刈入れをさせられたという話も聞いた。かつての栽培の名残りであろうか、今も近辺に自生する。

 青苧は江戸期以来、置賜、村山の重要な商品作物であった。繊維として取り出された青苧は最上川舟運によって運ばれ、越後縮や奈良晒の原材料となった。奥州青苧は世界的にも極上の評価を得ていた。米沢織や白鷹紬、また隆盛を極めた宮内の製糸産業は青苧生産流通の伝統の上に立つ。

 南陽市ではこの歴史を踏まえ、平成元年から農山村活性化への目論みとして青苧の製品化事業に取り組んだ。しかし、当初目指した成果を達成できぬまま市の助成の期間は終了した。原因は手作業ゆえのコスト高にある。「青苧は高い」のイメージが定着しつつあった。このイメージを打破し、まず青苧を身近なものとして再出発させたいというのがこの度の狙いのひとつだった。ウコギにも匹敵する抗酸化物質ポリフェノールを含むことから食文化への応用も考えた。その結果、十分手応えを感じることができた。

 このイベントの総事業費ほぼ一〇〇万円、結果として行政の支援は受けず、多くの協賛を得ながら自前で調達した。骨身を惜しまぬ多くのボランティアに支えられた事業だった。そして青苧ルネサンスに向け確かな一歩を踏み出した。「山形県にとって青苧は紅花以上の宝の山かもしれない」と今は思える。


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コメント 5

知足

めいさん

> 「文明生活」と思いながら、なんともあっけない不安定な基盤の上のわれわれの生活なわけです。

そうなのです。不安定な基盤とは、国際テロ、北の暴発、中国との不慮の事態などいくらもあります。そもそも、そうした緊張感の上にこそ、こうした繁栄が築かれていることを忘れてはなりません。緊張感を一番欠いている国こそ日本だと思います。そうした緊張はいやだからと、横田さんご夫妻のはかない希望を見捨ててまでも、現在の繁栄を維持したいという気持ちにはなりたくありません。
by 知足 (2006-05-19 11:33) 

めい

>不安定な基盤とは、国際テロ、北の暴発、中国との不慮の事態などいくらもあります。

知足さんが挙げられたのは、人と人とのいわば「関係レベル」の問題ですね。川喜田二郎氏のいわゆる「ヘゲモニズム(常に他より上を目指してやまない覇権主義)の地獄」http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-03-23のレベルです。そのレベルで言えば、三次元世界の中にあって、日本は平面レベルを這いずり回る蟻んこのようなものです。蟻んこには思い及ばない意思がいつなんどき上から襲いかかってくるか知れません。蟻んこはただ目先の出来事に翻弄されるがままです。しかし私は、日本人の意思を超えてある「三次元世界」でさえも、「なんともあっけない不安定な基盤」の上にのっかている様を思い描いています。蟻んこが三次元世界を超えるにはどうすればいいのか、ずっと私の中にある問いかけです。
by めい (2006-05-20 07:44) 

知足

めいさん

> 蟻んこが三次元世界を超えるにはどうすればいいのか、ずっと私の中にある問いかけです

別に日本のことだけを考えている訳ではありません。9.11の時、もしアメリカが怯んで、アフガンを野放しにしていたら、アルカイダはそれこそ、今の日本に対する北と同じような立場を獲得したでしょう。そして、日本が北に手出しできないように、世界はアルカイダに屈服したことでしょう。核自爆もありえたでしょう。確かに、世界はアメリカの覇権から解放されたでしょうが、今度はアルカイダによる恐怖の覇権に平伏すことでしょう。世界中から金持ちはいなくなるかもしれないが、それは地球上から繁栄と平和を奪うことになるでしょう。
by 知足 (2006-05-21 19:16) 

めい

『やはり仕組まれていた911(1) 2006年5月16日  田中 宇』よりhttp://tanakanews.com/g0516WTC.htm

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「テロの犯人はアルカイダではなさそうだ」という話は「裸の王様」の物語に似ている。王様の周りの人々が「本当は王様は、有能な人にだけ見える服を着ているのではなく、仕立屋に騙されているだけで、裸なのではないか」とうすうす思っても、それを公言すると「王様の服が見えないお前は無能だ」と言われてしまうので、思わないようにしているという状態と似ている。

 日米などのマスコミは「王様は裸だ」と言うことができない。マスコミの人の多くは、そのように考えることを自ら禁じ、思考停止に陥っている。しかし、もはや事態は、王様が裸だということを認知した上で「なぜ王様は裸なのか」「なぜ奇妙な現状に至ったのか」という分析に着手すべき時期に入っている。このままの状態が放置されると「ジャーナリズム」は世界的に自己崩壊しかねない。

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「歴史洗脳を解く!」をテーマに「マスコミ情報操作撃退作戦」を展開されているはずの知足さんこそ真っ先に「王様は裸だ」と言うべきと思うのですが。
もはやこうした言説を「陰謀論者」とのレッテル張りで葬れる世の中ではなくなっていることを認識すべきです。そういう思いを込めて、「光が差してくるとこれまで隠れて見えなかったものが見えてくるものです。悪がはびこるように見えるのは世の中が明るくなりつつあるからです。」という青葉神社宮司さんの言葉を紹介したつもりでした。
by めい (2006-05-22 00:07) 

知足

めいさん

> こうした言説を「陰謀論者」とのレッテル張りで葬れる世の中ではなくなっていることを認識すべきです。

首謀者がアルカイダであるか否かが問題視される理由が良く分かりません。たとえ、首謀者でないとしても、野放しにしておいて良いということにはならないと思います。

> そういう思いを込めて、「光が差してくるとこれまで隠れて見えなかったものが見えてくるものです。悪がはびこるように見えるのは世の中が明るくなりつつあるからです。」という青葉神社宮司さんの言葉を紹介したつもりでした。

私にはこうした形而上の言葉は理解できませんが、「悪がはびこるように見えるのは世の中が明るくなりつつある」というのなら、めいさんのご心配も薄れ、晴れつつあるということでしょうか?
by 知足 (2006-05-22 10:59) 

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