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瀬戸内寂聴さんと小田仁二郎 [小田仁二郎]

昨日、菊まつりに小田仁二郎と寂聴さんの菊人形場面をつくりたいという動きがあることを書いたので、このことを書いておきます。今朝十五日詣りで熊野大社でお参りしながら、このことを書くことを思い立ちました。

 触手.jpg

小田仁二郎http://www.city.nanyo.yamagata.jp/webs/rekisi/bunkazai/bunka32.htmは熊野大社の参道宮町通りから東にちょっと入ったところが生家。私の小学校への通学路の途中であり、小柄で上品な顔立ちの母親はよく覚えている。小説書きになった息子がいるという話は子ども心の記憶にもある。しかし、小田仁二郎が地元でも注目されるようになったのは瀬戸内さんとの関わりが取りざたされるようになってからというのはたしかなことだ。

瀬戸内さんにとって小田は次のような人だった。

≪慎吾の留守に一人でした経験のすべてを、・・・・・一つのこらず話してしまうと、はじめてそれらの経験がじぶんの中に定着するのを感じた。・・・慎吾に、知子は全身の鍵をあずけたようなもたれかただった。≫(瀬戸内晴美 『夏の終り』)

瀬戸内さんがはじめて宮内を訪れた時のことを文章にしておられる。わが町にとってありがたいことだ。

≪米沢に仕事の出来たついでに、今度こそ宮内へ行こうと思った。・・・・・ 二時間たらずでたどりついた宮内の町は、戦火を浴びないだけに、家々も道もしっとりと大地に抱かれているような、やすらかな感じのするたたずまいであった。≫(瀬戸内晴美「手紙―小田仁二郎の世界」)

このあと、大銀杏の下での寂聴さんと喜多屋旅館のばあちゃんの出会いが詳しく描かれる。(著作権の問題があるので削除しました。) この出会いを仁二郎が高いところから眺めている菊人形場面などを思い描いているのだが・・・。

寂聴さん.jpg




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めい

「夏の終り」について書かれたいい文章を見つけたので転載しておきます。
http://blog.livedoor.jp/maturika3691/archives/5366198.html

   *   *   *   *   *

「夏の終り」(新潮文庫) 瀬戸内晴美

「いずこより」のダイジェストはいささか尻切れになった。
書き足りなかったのは肝心なクライマックスのところなので、あらためてそのあらましを綴る。

幼児を残して出奔した瀬戸内は、ひとまず大学時代の友人を頼って京都に落ち着く。
三年後、作家になるために意を決して上京。
三鷹に居を構え、丹羽文雄を訪れて「文学者」の同人になる。昭和26年、29歳の時であった。
ここで同人の先輩であった小田仁二郎と出会う。

きっかけは初めての小説の原稿を見てもらったことだった。
二回目には二人だけで会って、読後評を聞いた。
さんざんにくさされる。
小田の小説「触手」を読んでみる。不思議な感動があった。「私にはとうていない資質がこの作家にはある」
一部の若い読者からは、小田が純文学の旗手とまであがめられていることも知った。
小田には妻子がいたが、二人だけで旅行に出かけるようになるのに、時間はかからなかった。
ボードレールの写真に似て、詩人の顔をしていた小田仁二郎は凄まじい貧乏文士だった。
うらぶれた四十男と三十女の恋。
それから小田は妻子のいる自宅と瀬戸内の部屋を規則ただしく振り子のように、十年間も往復することになる。

出奔の原因になった木下音彦が再び瀬戸内の前にあらわれたのは、小田との関係が八年目になるころだった。
音彦と別れてから、すでに十年余りの月日が流れていた。
音彦は変貌していた。
精気はなく、若さを失い、すさんだ敗残者に見えた。
そんな音彦の姿が捨てた娘に重なって、自分が道を誤らせてしまったのだと、瀬戸内はさいなまれ不憫がつのる。

気がつけば、小田仁二郎がそうしているように、二人の男のあいだを揺れ動いていた。
やがて音彦はこの状態を不倫、不潔であるいって、瀬戸内を責め始める。
瀬戸内は音彦との関係を取り戻したことを、小田にどうしても告白できずに懊悩する。
瀬戸内が評伝「田村俊子」に取組んでいるころのことである。

自分で招いた三角関係に悩みぬいたあげく、二人と別れる決心をする。
小田仁二郎は受け入れたが、音彦はなおも付きまとう。
流行作家になっていった瀬戸内から、音彦は事業資金と称して金をせびるようになり、こっそり女もつくる。
女が別れた娘ほどの年齢であったことも、瀬戸内の神経を逆なでする。
遠い若き日の純情は修羅場と化す。

「二度めに私の前にあらわれた木下音彦にあれほど私が気がかりを示したのは最初の別れまでに、私が彼に注ぎつくすだけの愛の分量を尽しきっていなかったからだと気づかされた」
何の未練も残っていなかった。憑きものが落ちたあとの虚しさだけが、冷え冷えとわきあがってくるだけだった。
木下音彦との二十年はこうして終った。


小田仁二郎との別れの予感を濃厚に漂よわせた「夏の終り」は瀬戸内晴美の出世作となり、文壇での地位を確定した。
昭和38年、第二回女流文学賞を佐多稲子の「女の宿」とともに受けた。
受賞式の席上、あいさつに立った瀬戸内は感極まって絶句する。
小田仁二郎との十年の歳月を想い、涙が突き上げた。
瀬戸内晴美40歳の春だった。

ソビエト旅行から船で知子(瀬戸内)が帰国する場面から「夏の終り」は始まる。
横浜の港には二人の男が出迎えに来ている。慎吾(小田仁二郎)と涼太(木下音彦)である。
「夏の終り」はこの三人に慎吾の妻が加わえての四角関係を描いた小説である。

「慎吾は海辺の妻の家と知子の部屋を、一週間を二分して、規則正しく電気仕掛けの振子のように往来していた」
それは「八年間決して変えたことのない慎吾の習慣であった」
「慎吾は経済力のない、世間からみれば頼りない男」であったが、「離れたどこにいても、知子はじぶんの体に無数の糸がつけられて、その端はしっかりと慎吾の掌の中に握られている感じ」がしていた。
それでも知子には愛の充足があった。

そんな知子と慎吾のあいだに、かっての恋人涼太が突然侵入してきたのである。
微妙に保たれていた均衡は徐々にくずれ始める。
「慎吾が海辺の家へ帰るのを待ちかねたように、涼太との時間が始まる」
知子はいつのまにか慎吾を裏切ってしまう。
慎吾とはこれまで隠し事もなく何でも話してきた知子だが、涼太とのことがどうしても打ち明けることができずに苦しむ。

あるとき知子は慎吾の妻の手紙を偶然目にする。
夫に対する妻の愛情がかいまみえる文面であった。
そのことを涼太に知子は愚痴る。
知子との関係が復活しているのに、慎吾と知子のあいだには何の変化もなく不満に思っていた涼太は知子を拒絶する。

その翌日、知子は三人で会って決着をつけるべく、慎吾の海辺の家を尋ねる。
このシーンが「夏の終り」の結末部である。
夏はものうそうに過ぎようとしている。トラックの砂埃の立つ白い国道を慎吾の家を探してうろうろ歩く知子。
それは慎吾と出会ってまもないころ、このようにして慎吾の家を尋ねた記憶と重なる。
「便りもなく、慎吾の来ない日がつづいた」ため、「じっとしていられなくなった」のだ。
そのときには結局家だけを見て過ぎた。狂おしい記憶。

汗だくになりながら、やっとのことで探し当てた槇垣にかこまれた小さな平屋。
なんど読んでも、この結末部は秀逸である。
わたしの記憶にあるこの場面は慎吾の家を見つけたものの、入っていくこともできず、日盛りの中で家の周りをただうろつくだけの女のイメージしか残っていなかったのだが、ちがっていた。
さすれば最初に知子が尋ねた場面と混同していたのか。記憶はかってにつくられる。

・・・・知子がそこで見たものとは。

「夏の終り」は実は短編小説である。
表題作を含めて五篇の短編(どれも見事だ)が収められているのだが、この四人の愛の風景は新鮮でいま読んでも古びていない。
振り子男慎吾も奇妙であるが、なにより不気味な存在に思えるのは慎吾の妻である。

「売れないまま、三十年余も小説を書きつづけてきた不運な男」であり、女のもとで週の半分は家にいない慎吾。そんな男と別れようともしない妻とは、いったいどういう女なのであろうか。
知子が探し当てた慎吾の家と妻はこのように描写されている。
「家には人が住んでいるのに心が澄んでいない冷たい雰囲気があった」
「この家で夫を女の部屋に、子供を学校に送った後、ひとりで坐っている、中年すぎた小柄な女の薄い背姿の孤独な影」
ののしる涼太の声が聞こえる。
「あなたはぼくにしている以上に小杉さん(慎吾のこと)の奥さんにひどいことをしているんだ」
「あなたたちくらい不潔で卑怯な関係はない」

三人称で語られてはいるが、私小説の手法で描かれた「夏の終り」はけだし、名作である。
この新潮文庫は2008年には100万部を突破しているという。
それもむべなるかな。
「経済的に慎吾の家庭を犯していないということだけで、知子は強いて慎吾の妻にも世間の非難にも昂然と頭をあげ、しだいにこの関係にも麻痺していた」
このような文章を見ると、これは経済的に独立している現代の女性そのものではないか。
「いずこより」の表現ではこうなっている。
「世でいう不倫な関係に堕ちながら、男の妻にさほどすまないとか悪いとかいう感情を持ってはいなかった。彼と結婚しようと一度も考えないから、彼の妻から、夫を盗んでいるという気持が薄いのだろうか」
「夏の終り」が書かれたのは1962年だから、いまからちょうど50年前になる。
すでに現代の女性の先駆がここには示されている。

「人が芸術家となるのは、一に才能、二に才能、三に努力と運だ、と私は信じている。そして運は才能と努力がかねあえば、自然に招きよせられるものであるようだ」
と瀬戸内はいっている。
そうであるならば、小田仁二郎には何が足りなかったのだろうか。
「何よりも私は彼との生活によって、文学の質の高さとか低さというものを」教えこまれたという瀬戸内。
どの文学全集を開いても、瀬戸内晴美の名前はあっても小田仁二郎は見つけられない。
瀬戸内が感動し、福田恒存が激賞したという小田の「触手」はもうほとんど永久に読むことができないのである。
足りなかったのはただ運であっただけだろうか。
小田仁二郎の妻は小田の才能に自分の人生を賭けて尽していたのだという。(二人はいまの東京新聞社の同僚であった)

小田仁二郎は舌癌で1979年、68歳で死んでいる。
瀬戸内はすでに出家しており、56歳であった。
小田は「婦人公論」に「夏の終りと愛のかたち」という文章を残している。そこに目を引く一文がある。
「愛にはウエートなどないのである。愛には解決などという小ざかしいものがないのである」
小田は死ぬ前に原稿や日記などはすべて自分で処分していた。

売れない純文学作家、小田仁二郎は「週間新潮」に時代小説「流 戒十郎」を連載している。
それは柴田錬三郎の人気小説「眠 狂四郎」の後釜であったというから仰天する。
小田は一人娘の大学進学の(資金を捻出する)ために、節を曲げたのである。

瀬戸内は小田の死を「みみらく」という小説で追悼している。
それには小田の一人娘と仕事上での交渉ができたことが描かれている。編集者と作家としての。
奇縁というべきか。
小田の死は娘から知らされている。

「必ずだめになるに決まっているのに、あいつはそんな奴だ」
別れた夫と小田仁二郎は二人しておなじことをいった。
木下音彦、涼太、本名・小川文明についてである。
(小川文明は事業の失敗などから、64歳で自殺している)
「ファム・ファタール」という言葉がある。
男をとりこにする強烈な魅力を持ち、しばしば災厄をもたらす女という意味のようだ。

想像する。
瀬戸内晴美は小川文明にとって、ファム・ファタールだったのだろうか、と。
それにもまして、小川文明は瀬戸内晴美にとって、ファム・ファタールのような、運命の人だったのではなかろうか、と。
災厄だったのか、幸運だったのか。

これで、やっと、「いずこより」と「夏の終り」のダイジェスト、レジュメをどうにか果たせたようだ。
(でも、少し、かなり、くどかったかな)

2012年04月06日13:45 mat
by めい (2012-04-29 14:21) 

めい

《〈・・・心に痛みがはしった。震えが背骨をつきあげてきた。じぶんのしてきたことの怖ろしさにつきあたり、はじめて知子の頬が青ざめてきた〉》
『夏の終り』の文章のすごさを、佐藤優氏がえぐり出しています。あらためて佐藤優氏の「ただものでなさ」を感じました。

   *   *   *   *   *

佐藤優が思わずため息を漏らす、瀬戸内寂聴の見事な言語表現力
あぶりだされる人間の本質
佐藤 優
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49633

外交でも使われる告白法

瀬戸内寂聴氏は抜群に文章がうまい。筆者は、原稿をうまく書き進めることができないときは、尊敬する作家の文章を万年筆で原稿用紙に書き写してペースを整える。そのうちの1冊が瀬戸内氏の『夏の終り』だ。

筋書き自体は、それほど複雑ではない。妻子のある売れない作家・慎吾と展望のない不倫生活をしている主人公・知子が、昔の恋人・凉太とも不倫をするという内容だ。あるとき知子は、慎吾に凉太との関係について告白する。

〈「あの人は慎と別れて結婚してくれっていうのよ」

知子はあんまりすらすら出たことばが、一瞬じぶんのものとも思えなかった。無意識にせよ何という狡猾な告白だろう。真実を何ひとつ告げないこんな告白の方法もあったのか。慎吾は皮肉な声でいった。

「そんなこと、わかってるさ」

「えっ」

「当りまえじゃないか。知子のことなら何でもわかってる」

知子の頬が冷えた。慎吾の表情の少ない顔をまじまじとみつめた。そこからそれ以上、何も見出すことが出来なかった。けれどもつづいた慎吾のことばが慎吾の『わかってる』程度を教えた。

「いいかげんにあしらっておいた方がいい。甘い顔みせるとつけあがってきて、深入りされてしまうとうるさいよ」〉

知子は、「あの人は慎と別れて結婚してくれっていうのよ」と言って、あくまでも自分は涼太から言い寄られている被害者のような表現をしている。そうすることで、自分の気持ちは一切述べずに済む。それだから知子は慎吾に対する責任も負わない。まさに「真実を何ひとつ告げない告白の方法」だ。政治や外交の世界でも、こういう告白がしばしば用いられる。

それに続いて、本質的に理解できない男と女の関係が「『わかってる』程度」という短い言葉に圧縮されている。どうやれば、このような見事な言葉遣いができるのか、溜息が出てくる。いくら訓練を積んでも到達できない表現力を持った人がいるが、瀬戸内氏がその1人であることは間違いない。

情景描写としては、それまで慎吾と妻の関係については納得しているはずの知子が逆上する場面が面白い。慎吾の机にある封筒からぬきだされた妻からの手紙を思わず読んでしまう。

〈「ハボちゃん、ぶじ帰っていきました、よろしくって。今ラジオで一万メートルの海底にもぐった潜水艇の話を聞きました。そんな深い水中にもやはり生きて、動いている世界といのちがあるというのが怖いみたいです。

高倉さんのデブ奥さまの服仕たてています。お嬢さんの方だと縫ってても愉しいけれど――この人どうしてこう趣味が悪いのかしら。

ラリーがすこしおなかこわしていて元気ありません。メメのところへは、毎晩、酒屋のトラが通ってきて恋の季節です。洋子がメメの口ひげをきってみたいとおっかけるのでメメは大分おヒスのようです。

洋子はこのところ試験勉強で気味が悪いみたいな慎みようです。

この前のケーキ買ってきてくださいって。

咳はいかが。

ゆき

しんごさま」〉

なぜ、知子は傷ついたのか

なぜこの手紙の内容に知子が激怒したかの謎解きが実に興味深い。人間の複雑な内面を瀬戸内氏は見事に言語化している。

〈知子の知らない知人の名、知子の知らない猫や犬……これまで強いて描いてみようとしなかった彼等の『家庭』を出来るだけ写実的に思い描こうとして、知子はかえって反射的に自分の周囲を見まわしていた。

窓際の二つの机、机の上にも畳にも散乱した本や布や型紙、未整理の郵便物、学生下宿と大差ない殺風景さ。犬や、猫も、憩いの場の甘さも、まして、恋の隠れ家の秘密めかしいなまめきさえ、もはや、そこにはあとかたもなかった〉

妻子だけでなく、犬や猫に関する何げない記述に端的に現れている生活の保守性に知子は圧倒されたのである。

あるとき知子は、自分の感情を抑えることができなくなり慎吾の家を訪ねていく。妻子は留守だったので修羅場にはならなかったが、知子はそれ以上に傷つく。

〈日盛りの庭には草が埃をかぶり、土が乾涸びていた。ペンキのはげた空の犬小屋が雨ざらしになり半分くちかかっている。

「犬どうしたの」

「ずっと前死んだ」

あの手紙はいつのものだったのか。

入った時から肌にひやっと感じていたものの正体がしだいにわかってくるようだった。家全体にどこか投げやりな心のこもらないすさんだ感じがただよっていたのだ。

家には人が住んでいるのに心が住んでいない冷たい雰囲気があった。知子の胸の奥に熱くたぎってくるものがある。まともにのぞいてみたことのない八年間の慎吾の妻の心の奥の昏さと荒涼が、真向から、黒い冷たい風になって吹きつけてきた。

この家で夫を女の部屋に、子供を学校に送った後、ひとりで坐っている、中年すぎた小柄の女の薄い背姿の孤独な影。

心に痛みがはしった。震えが背骨をつきあげてきた。じぶんのしてきたことの怖ろしさにつきあたり、はじめて知子の頬が青ざめてきた〉

人間は本質において性悪な存在だ。いかに個人が、優しく、善意の人であっても、人と人の具体的な関係が、愛だけでなく、同時に憎しみをつくりだしていく。しかし、同時にその憎しみを脱構築していく力が人間には備わっていることを、瀬戸内氏は見事に描いている。

『夏の終わり』/妻子ある不遇な作家との八年に及ぶ愛の生活に疲れ果て、年下の男との激しい愛欲にも満たされぬ女、知子……彼女は泥沼のような生活にあえぎ、女の業に苦悩しながら、一途に独自の愛を生きてゆく。

『週刊現代』2016年9月10日号より

by めい (2016-09-11 14:33) 

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