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「ドラマ」を観る思い [新しい歴史教科書をつくる会]

藤岡先生が西尾先生の問いかけにお答えになりました。http://nishiokanji.com/blog/2006/04/post_311.html
西尾先生には「いかりのにがさまた青さ /四月の気層のひかりの底を/唾(つばき)しはぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」に通ずる精神のありようを感じるし、藤岡先生には先生なりの精一杯の誠実さが汲み取れる。それらはそれらとしてドラマを観るようにスリリングでもある。しかし私にはまだ「ドラマ」でしかない。

私の思いを探っていて下記の記事を思い出した。


   *   *   *   *   *

 

投稿日 : 2002年02月04日 08時 1分
投稿者 : 管理人
タイトル: 評議会報告(2)

・・・・・・・どうせわかることなので言ってしまいますが、われわれがこれからの運動を考える上で踏まえなければならない重要な発言がありました。種子島副会長が「実は昨年2月の理事会で、10%採択したら解散宣言。そのためにそれからは100mダッシュ体制。したがって長期的展望なんて何もなかった」と告白されたのです。その時点では、10%は十分可能な数字だった訳ですから、実質採択0の結果が出たとき、その後どうするかについての考えは理事会は何も持ってはいなかったというのがほんとうのところのようです。決して本部を過大視してはならないことを痛感させられた発言でした。このことについては、西尾先生が懇親会の挨拶で、「理事会なんて学者バカの集まりで、『運動』という観点からすればまったく頼りにならない連中の集まりであることがおわかりいただけたことと思う」と率直に述べられもしました。このことは「事実」であり、この「現実」を認識したところからしか再出発はありえないことを、われわれは今の時点でしっかり押えておかねばならないと思います。本部に対して過大な期待をかけたり、批判していても運動の足を引っ張れば格別、何の足しのもならないのです。運動の主体は、「このままでは日本がダメになる。今何とかしなければ・・・」の切実な思いをもったひとりひとりにあることを痛感してきました。・・・・・・・

   *   *   *   *   *

私の中ではあの時点で「つくる会」の役割は果たし終えていたのだと今あらためて思う。


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