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青苧フェスティバル&創作紬展(1)ここまでの歴史 [青苧]

12月開催の青苧フェスティバルのポスター、チラシができました。

青苧フェスチラシA4たて_表面 [更新済み].jpg青苧フェスチラシA4たて_裏面 [更新済み].jpg

南陽市が青苧に取組み始めたのが平成元年(1989)、大竹市長の 時代だった。中山間地域の産業振興が狙いで、農林課や商工観光課が主となって始まった。吉野地区が中心となって「南陽市青苧製品推進協議会」が結成され、 まず青苧(苧麻)から青苧繊維を取り出す作業(水浸け→剥ぎ→削ぎ)の復元から始まった。翌平成2年、取り出された繊維を糸にして織る作業の拠点として沖 郷地区に「青苧工房」が開所、川合ひさ子さんを中心に最終製品化とその販売ルート開拓に向けた取組みが始まる。さらにこうした動きの中で、漆山地区に「夕 鶴の里」構想が生まれ、丸多製糸工場の繭倉を利用しつつ「語り部の館」と「資料館」ができたのが平成3年度。《漆 山地区を流れる織機(おりはた)川のそばに、古くから民話「鶴の恩返し」を開山縁起として伝承している鶴布山珍蔵寺があります。この地区には、鶴巻田や 羽付といった鶴の恩返しを思い起こさせる地名が残り、明治時代には製糸の町として栄えました。地域に口伝えで残されてきた鶴の恩返しをはじめとする多くの 民話を、これからも伝えていくために夕鶴の里資料館、語り部の館がつくられました。》(南陽市HP) その後山本安英主演「夕鶴」の舞台衣装等の寄託を受けたことで、それまでの佐渡の地位を奪い、民話「鶴の恩返し」のメッカとしての地位を得た感がある。青苧復興の副産物ともいえるが、大竹市政のヒット作として今に残る。その勢いで漆山地区に、自治省の「コミュニティ活動活性化地区」の指定を受けて「おりはたの里づくり推進会議」が誕生、好著『漆山の製糸業の歴史』の刊行(平成6年)はその成果だ
青苧提言(山形新聞).jpgさて肝心の青苧製品開発の方は、全く思うようにはならなかった。青苧(苧麻・イラクサ)について語られた示唆に富む言葉がある。《その製法の過程において、膨大な人の手と思いが入って価値が出てくるのです。物が重要なのではなく、思いと手間がかかることで高価になっていく構造を見ると、それが本当に価値あるものだと私は感じます。》(マドモアゼル・愛) 要するに水や空気のようにありふれてあるものが、手をかけられて価値を高めてゆく、それが青苧。したがって、コストを積み上げて価格が決めれば今の流通にはなじみようがない。(高くなりすぎて買い手がつかない)結局、産業振興的視点から青苧復活を考えていた市は手を引くことになる。そこで残された民間で立ち上げたのが「南陽市古代織の伝統を守る会」。青苧栽培を手がけていた吉野地区の漆山英隆さんと「青苧工房」で青苧製品化に取組んできた沖郷地区川合ひさ子さんが原動力。私もいろんな行きがかりで関わることになる。いちばんがんばったのが、平成16年の「青苧フェスティバル」。川合さんとのつきあいで当初から関わる菊地和博先生に引きずられ尻を押されてのがんばりだったが、今思えばよくやった。終わってから山形新聞の「提言」欄に書かせてもらった。「紅花以上の宝の山にも」と書いている。菊地先生起草の「青苧ルネッサンス宣言」が採択された。
青苧ルネッサンス宣言
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 本日私たちは、青苧のもつ不思議な魔力に魅(ひ)かれて、シンポジウム・劇・民話・コンサーート・食文化体験など、始めての「育苧フェスティパル」を開催いたしました。
  ここに青苧は、江戸時代からタイムスリップして、私たちの前にその奥深い姿を現してくれました。それは、上布(じょうふ)という高級衣料としての姿、蚊帳 (かや)などの庶民の生活用具としての姿、民間信仰としての中風除けの神様の姿ばかりではありません。今日はじめてのものとして、食文化をも担う未来の姿 も示してくれました。
こんな青苧の多様な姿を、私たちはこれまであまりにも知らないできたのではないでしょうか。 かつて北条郷といわれた南陽市 の特産品として地域経済を潤(うるお)し、また全国の衣料文化を創り出す役目を担った歴史的事実に、地元に生きる人間としてもっと誇りを持たなければなら ないと思います。
幸い平成元年に、青苧をたんに過去のものとしてはならない、と立ち上がった人たちがいました。この人たちの青苧栽培と製品化への苦難の歩みが、本日のフェエスティパル開催へとつながったのです。
こ のフェエスティバルを、たんに思いつきの単発的イベントとして終わらせてはなりません.南陽市のシンボルとしての青苧文化を、地域発展に結びつける着実な 試みを今こそ始めるペきです。地域の人たちが「青苧のうた」をくちずさみ、心を一つにして知恵を出し合えば、それは必ずや実現できると思います。
 本日が青苧ルネサンスの第一歩です。 この記念すペき第一歩を、地域のみなさんとともに力強く踏み出したことを、ここに高らかに宣言いたします。

   平成16年9月26日 

                青苧フェスティバル参加者一同

ということで懐古談になってしまったが、実はそうではなく、このたびの「青苧フェスティバル&創作紬展」を新たなスタートにしようと書き始めたはずだった。(つづく)
14年前の河北新報です。内容のあるいい記事です。
漆山英隆さん(河北新報).jpg
 

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