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「流れる雲よ」を観て—議論によって道を拓け [教育]

昨日『流れる雲よ』の舞台を観た。夜の一般公演の時間は運動会の練習なので、市内10校の小学6年生と中学生全員が対象の昼の部に潜り込ませていただいて最後列で観た。年相応の聴覚力ゆえもあってセリフを聞き取るのがたいへんで、どうも絶叫調は苦手だなと思いながら、舞台の流れに入り込めないでいたが、後半、特攻隊員として死を目前にした伯父とその姪との時を超えた交信シーンから引きこまれていった。君が代と海ゆかばのきれいなソプラノが心に残った。ただ、話に聞いていたような涙は出なかった。むしろ複雑な思いで見終えたというのが正直なところだ。その複雑さを解きほぐしたいと思った。

 

演劇を観たのは何時以来だろうか。井上ひさしさんの「しみじみ日本・乃木大将」を観た平成311月以来かもしれない。「週刊置賜」に観劇記を書いている。終幕、舞台正面につり下げられた血したたりおちる日の丸の旗。わたしにはそこに、舞台の意図とは裏腹に、こうした舞台を作り出してしまう戦後日本思潮のザラザラとして悪意の混じった心象風景をみたように思えたのだ。》「流れる雲よ」は、いわばその対極ともいえる。その劇に向けられた市内の小中学生の、会場いっぱい万雷の拍手を聞きながら、「隔世の感」を思った。

 

この脚本を書きプロデューサーである奈美木映里(草部文子)氏への桜チャンネルでのインタビューを聴いた。40歳まで マスコミに籍を置いて戦後感覚に染まり切っていたという奈美木氏が語る言葉には好感が持てたが、見終えてハンカチがぐしゃぐしゃになったと語る聴き手から伝わるいかがわしさは何なのだろう。あのいかがわしさを明確にしたいと思った。教育現場にそのまま滑り込ませてはならないいかがわしさ、そんな気がする。

 

ともあれ、あれから72年、戦争の記憶、というより戦争があったということさえどんどん意識から遠ざかっているという今、小中学生があの舞台を観た意義は大きい。彼らの感想をぜひ聞きたい。そこから始まることがあるはずだ。

 

昨日の感想、どう書き始めようかと思って浮んだのが「議論によって道を拓け」だった。とりあえず昨日の今日ということで書き留めておきます。


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めい

「流れる雲よ」にリンクさせたくないけど、どうしてもリンクしてしまう飯山氏の話。「リンクさせたくない」、その微妙さが問題。

   *   *   *   *   *

◆2017/09/18(月)  集団(国家)を守るために「死」を志願する蜜蜂
http://grnba.com/iiyama/index.html#aa09181

喜んで死ぬ!という蜜蜂がゐる
獰猛なスズメバチに↓喰われるのを待つ蜂たち

巣箱の外に出て,のんびり日光浴を楽しむ日本蜜蜂たち…
こう↑言いたいところだが…
じつは違う.
この蜜蜂たちは,スズメバチに喰われるのを待っているのだ.
そして実際に,飛来したスズメバチに1匹づつ喰われてゆく…
獰猛で巨大なスズメバチから逃げもしないで,喰われてゆく…
スズメバチは,本当は,巣箱の中に侵入して…
栄養分たっぷりの蜂の子や蜂蜜を喰いたいのだが…
スズメバチを集団攻撃する特攻隊が巣箱の内側にゐるので…
仕方なく,巣箱の外に出ている「犠牲の蜂」を1匹だけ喰らう.
その1匹も,「喜んで喰われる!」という感じなのだ.
このことは↑ワシが何十回も目撃したことだ.
巣箱の全体,全集団を守るために犠牲(死)を厭わない蜂たち.
のんびりとした日光浴では決してない光景…
この残酷きわまる光景からワシは,たくさん学ばせてもらった.
【以下は本日の追記 1】
巣箱のなかには,「換気扇蜂」という蜂がゐる.
この蜂は,サナギからかえって成虫になった途端…
近くの巣か巣箱の壁に張り付いて,羽を震わせ続けて…
巣箱の中に空気の対流をつくり,換気を促す「換気扇蜂」だ.

「換気扇蜂」は,巣箱の壁に張り付いたまま…
文字どおり不眠不休で,羽を高速度で震わせ続ける…
そして10日~2週間後,「換気扇蜂」は力尽きて…,死ぬ.

「換気扇蜂」は,外の世界を見ることも,舞い飛ぶこともなく…
ただただひたすら暗闇の中で換気扇の役目だけを全うして…
疲労困憊(ひろうこんぱい)した挙句…,死ぬ.

「換気扇蜂」は…
自分に与えられた使命と目的を,全力で全うして…,死ぬ.
「換気扇蜂」がゐないと,巣箱の中は酸素不足と高温になり…
巣箱の全体,全ての蜂群が,死に絶えることになるのだ.

それにしても,「換気扇蜂」の働きづくめの,短すぎる一生は…
誠に有意味な生涯なのだが…,壮絶すぎないか?!

【以下は本日の追記 2】
「戸明けの戸たて」という言葉があった.
この言葉は,ググっても出てこないが,京極純一の著書に書いてあるはずだ.

「戸明けの戸たて」という言葉の意味は…,
部落の公民館などで集会があるとき,前もって戸を開けて,部屋の掃き掃除をし,集会が終わると戸を閉め,カギをかける….

集会に出て発言することもなく,誰からも目を掛けられなくても,「戸明けの戸たて」だけは自分の役目だと思って必ず(無償で)実行して,それだけが取り柄のまま人生を終える…

こういう人が,昔もいたし,じつは,今もいる.

それは誰か? というと,先ず「無償のボランティア」(ハナにつくシトも多いがww)がそうなのだが…,じつのところは,この世に生きている人間の全てが,ひとり残らず,かけがえのない存在なのだ.

『カゴに乗る人,担ぐ人,その(駕籠かきの)草履をつくる人,その(捨てられた)草履を拾う人,そのまた草履を直す(修繕する)人』という言葉が江戸時代にはあって…,どんな人間にも存在価値があることを,江戸時代の日本人は認識していた.

そこから「おもいやり」とか「心づかい」といった言葉が生まれた.

【以下は本日の追記 3】
スズメバチに喰われるために生きている「犠牲の蜂」.
真っ暗な巣箱の中で不眠不休で働いて10日で死ぬ「換気扇蜂」.

彼らは何のために生まれてきて,何のために生きているのか?
自分を生んでくれた「群れ」のために,死ぬ!
彼らは,「死ぬ」ために生きている.それだけだ.

そこには,美学も,大義名分も,褒美も,労い(ねぎらい)の言葉も…
いっさい全く何もない.

スズメバチに喰われる瞬間も,暴れもせず静かに喰われてゆく.
「犠牲の蜂」を喰って満腹したスズメバチは,飛び去ってしまう…

スズメバチの餌食になった「犠牲の蜂」のお陰で,蜜蜂の巣には,ひとときの平和が戻る…

嗚呼.生きるということは,こんなにも厳しいことなのか?!

分かった!まだまだワシは甘い.国家や社会に甘え切っている.

ワシは,これから,もっともっと自分に厳しく生きていきます!
ワシに「生」の厳しさを教えてくれて,ありがとう!>日本蜜蜂

以上,本日も,長時間にわたる御精読,ありがとうございました.
飯山 一郎 (71)

by めい (2017-09-20 04:01) 

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