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「自衛隊アレルギー」と「天皇アレルギー」の解消→日本人の共通意思形成 [日本の独立]

宮内交番連絡協議会という団体がある。平成9年に「宮内交番友の会」として発足した。今年発足20周年である。その会が20周年行事として警察音楽隊の演奏会を企画した。会場はシェルターなんようホール(南陽文化会館)。会場使用の便宜を得るために、「宮内中学校区 笑顔いっぱい!共育ネットワーク」に共催をもちかけた。共育ネットワークの事務母体が前向きに受けて動いた。しかし、警察音楽隊との日程調整がうまくゆかなかったかで自衛隊音楽隊に替わった。共育ネットワークの会長は宮内地区長会長の宛職で私が務める。そもそも共育ネットワークという組織は交番友の会と兄弟分のようなもので、その発足には警察側の地域との連携を図ろうとの意図が背景にあった。私も宮内交番友の会発足時のメンバーのひとりだった。そんなことで、今回の企画、私もその流れにさからうことなく17日の事務局会を迎えた。

 

案の定、異論が出た。「教育講演会が自衛隊音楽隊になるというのはそもそもおかしいのではないか」というものだ。今から約40年前、第一回菊と市民のカーニバルを思い起こす。その先導を自衛隊音楽隊にお願いしたところ、宮内小学校から「自衛隊が来るなら協力できない」とクレームが入ったのだ。やむなく音楽隊はカーニバルの隊列から外れて、ずーっと先の前ぶれ隊として演奏していただいた。あとで自衛隊に対してお詫び文を書いたように思う。そんなわけで、異論の背景に「自衛隊アレルギー」を疑ったのだ。それを圧しての強行は無理、その時は交番連絡協議会に断るしかないと覚悟して、当日参加18名みんなの意見を聞いた。

 

意外だった。われわれ世代が感じ持っていた「自衛隊アレルギー」などはもう時代の遺物になっていることを確認させられた。異見の背景にもそれはなかった。自衛隊はもう完全に認知された存在なのだ。齟齬があるとすれば憲法9条上のことであって、自衛隊の存在をそこに盛り込めさえすればすべてすっきりする。

 

《憲法記念日の3日、安倍首相は日本会議が主導する美しい日本の憲法をつくる国民の会の改憲集会にビデオメッセージを寄せ、そのなかで新憲法の施行されるべき年を具体的に2020年と明言し、2020年をめざして9条を改正して「1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方は国民的な議論に値する」と指摘している。》https://jp.sputniknews.com/japan/201705033598477/

 

これを受けて《これまでの「護憲」一辺倒の人たちの視野に「改憲」が入るようになるとしたら、このことこそ「国民の合意形成」に向けた第一歩なのではないか。》と書いていた。http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2017-05-12

 

「国民の合意形成」を言うとき、もう一つ問題になるのが「天皇アレルギー」だ。天皇という存在は、戦後叩き込まれた「自由と平等」イデオロギーとどうしても相容れない。一昨年9月、「国民連合政府」実現は、共産党が素直に「天皇」の御存在を理解できるようになるかどうかにかかっています》と題した記事を書いた。http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2015-09-23 その後共産党の「天皇アレルギー」はどんどん解消の方向に向かっている。西暦のみだった赤旗の年号記載も、最近は「平成」記載がよみがえったと聞く。かつて「天皇アレルギー」の総本山であった共産党が変ってきた。

 

「自衛隊アレルギー」と「天皇アレルギー」、この二つが解消したとき、日本人の共通意思の形成が可能になる。いま時代は確実にその方向を向いていると思える。

 

ちなみについ先日テレビで、以前の株主総会での総務の手腕の如何は、いかに質問を封ずるかにあったが、いまは活発な質疑が展開されるかに替わってきている、と言っていたが、我が意を得た思いで聞いた。議論の共通地盤形成が進みつつあることにほかならない。慶賀すべきことと思う。

 

今朝読んだ「放知技」板に、すぐれた現状認識記事があったので貼付けておきます。

 

*   *   *   *   *

 

969:猿都瑠 2017/05/18 (Thu) 17:10:06 host:*.au-net.ne.jp

>>958

 

飯山先生、拙文を載せて頂きありがとうございます。

 

日本は戦後GHQ支配に始まりCSIS(戦略問題研究所)支配が続いて来ました。

大多数の一般国民には支配者達の手先になったマスコミに洗脳され、政治のリアリズムは感知出来なかったのです。

しかし信念ある政治家はいつか自国の主権を取り戻す、その為の闘いを続けていました。

たとえ悪と言われようが、結果で全て政治家としての使命を見せてやると。

アメリカの核に脅されながら、ロシアや中国がいつか対抗するぞと牙を磨いてきたように、

日本の政治家も戦争する権利を奪われつつ、いつか国家の主権を取り戻す時が来るまでと70年闘い続けていたのです。

その中で独自外交を行おうとして悪の権化にされ政治家生命を断たれた者、自分の命まで奪われた者。

それを最も目の当たりにしてきて、歯を食いしばり拳を握り締めていたのは実は安倍晋三その人だったのです。

 

リビアやシリア、イラクのように反政府組織を送り込まれ、アメリカやイスラエルの諜報機関が育てたテロリスト達によって、

国家の体を失って行く様を見ているしかありませんでした。

それどころか日本という国はテロ組織を育てて他国の政権を転覆させたり、

軍事侵攻を行い略奪の限りを尽くす外道達に支配され、それも戦後ずっと巣食っているのですから。

 

しかしトランプ政権が登場し、CSISを追い出すことが出来たのです。

決して諦めないCSISは、野党政治家や安倍に遠ざけられている政治家を巻き込み、

かつて敵だった者達も取り込み反撃に打って出ています。

それが森友に始まる一連の喜劇(あえてそう言わせて貰います)なのです。

 

さてここで共謀罪の捉え方が、日本の国家としての正体を把握している人々と、

ルサンチマンで恨み妬みレベルまで逝ってしまっている人達と正反対になっています。

 

反安倍で燃える人達は、安倍批判を封じる為の、更には憲法を無効化する法律だとまで言っています。

しかし憲法はある物の、憲法に反する行為を平気で政治家や官僚に命令して来た連中が居る事を忘れてしまっているようです。

いくら日本国憲法制定に日本人が関わっていようが、国家の主権が無い状態で制定された憲法、それが日本国憲法なのです。

国家の主権が無い事で国民には吐露出来ない惨めな思いをして来た、そんな政治家がいる事には想像が決して及ばないのでしょう。

 

もう一度言いますが、日本はCSISといった自分の欲望の為には人間の命や国家がどうなろうが、軍事力で蹂躙して来た連中の所有物でした。

テロリストを送り込まれた国ではなく、その親玉達の支配する国だったのです。

そこから安倍首相は国家の主権を取り戻そうとしている。

つまりイラクやリビア、シリアで行われているテロ攻撃は、中東等より過激な物になる可能性があるのです。

安倍政権が共謀罪の標的としているのは組織犯罪を行う連中[ISCIAやモサドが育てたと周知)等のテロリスト]です。

テロの芽を摘むどころか、種さえ植えさせない。その為の適用範囲の広さなのです。

 

共謀罪ですら国家としての最低限の防衛ラインだと思います。

生物兵器であれ劣化ウラン弾であれ使用する、手段を選ばない連中相手なのですから。

 

安倍政権が何を行おうとして共謀罪を通そうとしているか気付かない。

これを平和ボケと言います。

全世界が反ネオコン対ネオコンの戦争を行っているのと同様、日本国内でも同じことが起こっている最中なのです。


 

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めい

「日本の寂しい天皇制反対派 改元に沸く国内で縮小」のBBC記事。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190503-48146846-bbc-int
結びは、《国民に敬愛される天皇が自ら譲位し、新しい天皇が即位した。多くの国民がこの代替わりに感動し、天皇家に対する親愛の気持ちもいっそう高まった。天皇制廃止の議論はここへきて、おそらく封印されたはずだ。少なくとも次の代替わりの時期までは。》
あらためて「天皇アレルギー」の解消を思い、感慨深いものがあります。まともな時代です。

   *   *   *   *   *

日本の寂しい天皇制反対派 改元に沸く国内で縮小
5/3(金) 18:42配信
BBC News
ノッポルン・ウォン・アナン、BBCタイ語

天皇の譲位と新天皇の即位、改元という歴史的な変化を目前にした4月末、小規模の集団が東京のはずれに集まった。
「天皇の戦争責任を忘れるな」と繰り返しながら、集まった人たちは公園に向かってデモ行進した。
抗議行動に参加した人のほとんどは白髪で、人数は少なかった。
人数は少ないものの、日本の天皇制反対派は、天皇制はもう廃止すべきだという主張を声高に続けている。
日本では、皇室は世界最古の世襲王朝だと言われている。神話によると、皇室は天照大神の末裔(まつえい)だとされる。
第2次世界大戦が終わるまで、天皇は「現人神」だと見なされていた。
一方で、反天皇制運動連絡会(反天連)は30年前から、天皇制廃止を求めて活動してきた。
天皇の名の下に日本が1930年代から1940年代にかけて戦った戦争を償うには、天皇制を廃止するしかないという主張だ。
反天連メンバーの「ノムラ」さんはBBCに対して、「戦争はきちんと終わらなかった」と話した。「ノムラ」さんは右翼団体の攻撃を警戒し、記事ではフルネームを使わないという条件で取材に応じた。
都心にある「反天連」の小さい事務所でノムラさんは、第2次世界大戦中に人道に対する罪を犯した昭和天皇は戦犯だと述べた。
「昭和天皇は軍部に強い関心を抱いていた。米英との戦争を恐れたのはただ単に、日本の軍隊が劣っていると知っていたからだ」、「アジアで戦争することにためらいはなかった」とノムラさんは話した。
1926年から1989年まで在位した昭和天皇は、日本の敗戦後に神格を否定し人間宣言を発した。
アメリカが起草した日本国憲法の下、日本は天皇を日本国と日本国民統合の「象徴」と位置づけ、立憲君主制国家となった。天皇の政治行為は禁止されている。
戦後にこうした形で天皇制を維持したため、昭和天皇は結局、戦争で果たした役割について責任をとることがないままだったと、ノムラさんは言う。
平和の象徴昭和天皇の晩年にかけて、天皇制に反対する日本の世論は今より強かった。天皇にゆかりのある場所が左翼過激派の小規模な攻撃を受けることも、たまにあった。
しかし、昭和天皇の長男・明仁さまは、1989年の即位から、4月30日に高齢や健康問題を理由に退位するまでの30年間で、皇室を平和の象徴と位置づけることに成功した。
退位によって上皇陛下となった明仁さまは、父の昭和天皇が「終戦の詔書」をラジオで発表したとき(ほとんどの日本人はこの「玉音放送」で初めて天皇の声を聞いた)、11歳だった。
米オレゴン州にあるポートランド州立大学のケン・ルオフ教授(日本研究所所長)は、先代天皇にとって「一番の課題は戦時から残る傷を癒す(いやす)ことで戦後に区切りをつけることだった」と指摘する。
「日本によって被害を受けた各国との関係改善のために、できる限りのことをした」
1975年に当時皇太子だった明仁さまは美智子妃と共に、皇族として戦後初の沖縄訪問を果たした。沖縄は日本国内でも特に悲惨な戦場のひとつとなり、一般住民10万人以上が犠牲になった場所だ。
上皇陛下は天皇としてほかに、中国やインドネシアなど、甚大な戦禍に遭った国々を訪れた。さらに、政治的発言は禁止されている立場ながら、戦争がいかに悲惨なものか忘れないよう繰り返し国民に呼びかけた。
第2次世界大戦中の日本軍の残虐行為による被害が特に大きかった国の中には、日本はいまだに十分に謝罪していないし、十分に償ってもいないという主張が残る。この時期の評価は今も、深く割れている。
しかし、平成の時代の日本国内において、皇室の人気は大いに高まった。ルオフ教授によると様々な世論調査で、国民の7割から8割が天皇制の維持を支持しているという。
伸び悩む支持都内の事務所で取材に応じた「反天連」のノムラさんは、支持者の数は年々減りつつあると認めた。
1980年には抗議集会を開けば3000人は集まったものの、今では新しいメンバーがなかなか見つからないという。
4月29日のデモ行進に参加したのは約80人。行進を取り囲む警官数百人の方が多かった。デモに注目する通行人はほとんどいなかった。
ノムラさんは、人気のない目標に向けて闘い続けていると、寂しいと感じることもあると話す。ただし、天皇制がどういう問題になり得るか、国民を教育することが大事だとも言う。
「経済停滞の続く日本は今、国としてアイデンティティーの危機に直面している」とノムラさんは言う。さらに、安倍晋三首相率いる政府と右派は「天皇を通じて自分たちの権威付けをしようとしている」とも言う。
ノムラさんは健康の許す限り、あと10年は活動を続けるつもりだという。
しかし、前途は多難だ。日本の皇室の系譜は2000年以上前にさかのぼると言われ、天皇の役割は日本社会に様々な形で密接に結びついている。
国民に敬愛される天皇が自ら譲位し、新しい天皇が即位した。多くの国民がこの代替わりに感動し、天皇家に対する親愛の気持ちもいっそう高まった。天皇制廃止の議論はここへきて、おそらく封印されたはずだ。少なくとも次の代替わりの時期までは。

(追加取材:グレイス・ツォイ)

(英語記事 Emperor Naruhito and Japan's lonely republicans)

(c) BBC News
by めい (2019-05-04 05:28) 

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