SSブログ

放課後子供教室授業記録「宮内熊野大社の位置の不思議体験」 [教育]

趣意書.jpg

宮内小学校放課後子供教室の講師を務めてきた。目先のことを日々こなしてゆくことが精一杯の毎日で、これもそのひとつで子ども達ととにかく1時間半一緒に過ごしてきた。今あらためてネットで見て、放課後子供教室なるものが平成19年度から始まった文科省の事業であることを知った。南陽市では今年からの取組みで、後期プログラムの中「頭の体操コース」の講師に依頼されたのだった。依頼内容は「宮内の歴史について」。学年オープンということで、宮内の歴史と言ってもどこに焦点をあてればいいのか見当がつかない。ふと思いついたのが、地図に線を引かせてみようだった。1年生から6年生まで相手に話して1時間ももたせることなどできっこない、作業ならなんとかなるかもしれない。そんなわけであとは成り行きということで、無謀と言えば無謀な取組みではあったが、おもしろくもあり楽しくもあった。それにしても、1年から6年までどんな子どもか全く見当つかない、これを「授業」というならこんな難しい設定の授業もない。しかしとにかく「授業」だったということにして、「授業記録」の形でまとめておきます。


*   *   *   *   *


授業名  宮内熊野大社の位置の不思議

 

授業の目的 

  1. 5万分の1の地形図と自分たちの住む地域との関連を実感する。

  2. 神社・山岳配置の不思議を体験する。

  3. 以上を通して地元の地理と歴史に関心をもつ。

用意したもの


 (15万分の1地形図12葉(山形・上山・関・福島・荒砥・赤湯・米沢・吾妻山・朝日岳・手ノ子・玉庭・熱塩)・台紙・スプレー糊

 (2)写真(資福寺趾・小松諏訪神社・安久津八幡宮・宮内熊野大社・西吾妻山・大朝日岳・白鷹山・烏帽子山八幡宮・二色根薬師寺・・・)

 (3)カラーペン・1m定規・三角定規・コンパス


始める前に


 (1)地形図の周囲を切り落として地図部分(37×44cm)だけにしておく。

 (2)台紙に地図部分12枚の線枠を引く。

 (3)地形図「赤湯」だけを台紙に貼る。

 (4)アシスタントの二人(社会教育OBIさんと宮内小父兄のIさん。共に女性)に1年から6年まで18名を3名ずつ6班に分けていただく。

 

授業(作業)の記録

 

見たことのある子どももいるが、ほとんど初対面の子どもばかり。顔と名札から知ってる人の孫とわかる子がひとりあったが、あとはどこの子どもか見当もつかない。今思えば、子ども達にも自己紹介させればよかった。簡単に私の自己紹介の後、これからやろうとすることについて、「今から30年位前、おじちゃんが40歳位の時、ごはんを食べるのを忘れる位おもしろくてやったことをみんなに体験してもらいます。」

 

まず班の確認。次に、すでに貼ってある「赤湯」以外の11枚の地図を2枚ずつ台紙に貼る作業。地図を前に「これが何かわかるか。」に「地図!」の声。3年生ぐらいから郷土についての学習があるという。「この中に今みんなが居る場所があります。どこか見つけて下さい。」「この学校のすぐ上の熊野大社に印をつけておきましょう。」赤ペンで○印。ペンは「フリクションライトこすると消える蛍光ペン」(PILOT)

 

3-DSCF5304.JPG

「これから12枚の地図を貼り合わせて1枚の地図にするパズルをやります。」各班2枚ずつ、貼る地図を選ぶ順番を決めるため、代表に出てもらってじゃんけん、勝った順に取ってもらう。最後の班は1枚、「君らの班が『赤湯』を貼ったことにするね。」

 

音楽教室からは見事に置賜の盆地が見下ろせる。あいにく曇り空で吾妻連峰、栂峰は見えないが、この授業にはうってつけのロケーション。「ここから見渡せる置賜の盆地の地図をつくります。」5万分の1というのが、1km2cmであることを話すつもりだったのだが言い忘れてしまったことにいま気づいた。大事なところだったのに惜しいことをした。

 

「各班が持ってる地図を、今貼ってある地図から順につなげていって下さい。」台紙の大きさは1.3m×1.6mぐらい、そこに18人集中するのは無理なので、あぶれる子どもも出てしまう。2班ずつにするとかの配慮が必要だった。当然貼ってゆく順番もある。今回は行きあたりばったりだった。アシスタントの方、見かねてアドバイスしていたが、私としては時間がかかっても子どもたちにまかせて、発見の喜びのようなものを十分体験させたい場面だった。

2-DSCF5305.JPG

 

まず「赤湯」周辺、貼る場所が決まったところからスプレー糊を吹き付けて貼ってもらう。きれいに貼ることが肝心なので、最初の方は手をかけていたが、最後の方は結構子ども達だけでやれるようになって感心した。スプレー糊はいつも染め屋で使っている「3Mスプレーのり55」。貼り違えてもはがせるのがいい。「じゃがぼごになんねように。」子ども達には「じゃがぼご」が新鮮だったようだ。もう使わなくなった方言であることに気づかされた。・・・完成したところで大きな拍手が起きた。

 

「ここまでは今日やろうとしていることの準備です。これからが本番。」地図を前に、「ここがどこかわかるかな」と米沢、山形、長井、福島、川西(小松)、高畠の確認。次いで用意した「資福寺趾」の写真を示して、「まず高畠の夏刈を探して下さい。」だれもわからない。アシスタントの方が「国道13号から西に入ったところ」。なんとか見つけ出した。「ここに資福寺という大きな寺がありました。伊達政宗を知ってますか。」何人かが「知ってます。」「行ったことはありますか。」だれもいない。「伊達政宗が梵天丸と言った小さい頃、虎哉和尚に育てられた場所です。いまこの寺は仙台にあってアジサイ寺として有名です。仙台からもたくさんお客様が来るようになってきれいに整備されています。ぜひ行ってみて下さい。ここに印をつけておきます。」

 

次に、「ここに用意した写真の場所を地図の中から探して下さい。」小松諏訪神社、安久津八幡宮、西吾妻山、大朝日岳、白鷹山、烏帽子山八幡宮、二色根薬師寺、その他飯豊山や栂峰各班毎に順次渡して、見つけたところから印をつけてゆく。

 

それぞれの地点に印がついた地図を前に、「さてこれからが頭の体操です。印のついた点を結んでみます。」ここは集中のさせどころだったのだが、学年のばらつきもあってどこまで子ども達の気持ちがうまく向いていたか。床に置いてでなく、壁に貼って見た方がよかったかもしれない。子ども達に考えさせる余裕を持てなくてほとんどこっちがやったことを納得させる形になった。

 

宮内熊野大社の位置の不思議E7868AE9878EE381BEE38293E381A0E38289E59BB3.jpg

「小松の諏訪神社は資福寺跡から見て真西です。」「安久津八幡は真東です。」「諏訪神社と資福寺趾と安久津八幡が一直線につながります。」「資福寺趾から北に向うと宮内の熊野大社になります。そして南に行くと西吾妻山になります。熊野大社と資福寺趾と西吾妻山が一直線です。西吾妻山は2,035m。この地図の中でいちばん高い場所です。」線でつなぐと、「あっ、十字になった!」の声。この授業の中でいちばんポイントになるべきところだったのだと今思う。

 

次は、安久津八幡、烏帽子山八幡、二色根薬師寺、熊野大社を結び、その線が大朝日岳につながること。熊野大社と白鷹山、大朝日岳と白鷹山、その線がつくる角に三角定規をあてたらぴったり直角、そこでも「あっ」の声が上がった。そして、「熊野大社と大朝日岳を結ぶ線の真ん中に定規をあてて印をつけて下さい。」ちゃんとしたコンパスがあればよかったのだが、持っていったのが祖父が紋書きに使っていたよれよれのもの。それでも子ども達も手伝ってくれて、なんとか大朝日岳と白鷹山と熊野大社が同一円周上にあることを納得してくれた。

 

そして大詰め、最後に訊く。「どうしてこうなるんだろうか。」しばらく間があって答えがあった。「昔の人がこうなるように考えた。」付け加えて「宮内の熊野大社が中心になるように。」ひとりの女の子だった。「とすると昔の人は今の人よりもすごかったんだね。」その女の子、大きくうなづきました。「でも実は、おじちゃんもなぜこうなるのかわかりません。これからみんなもずっと考えてみて下さい。」どれだけの子どもにこの問いかけを根付かせることができただろうか。

 

ここまでで約1時間。あと30分ほどあるとのことで熊野大社に行くことにしました。

 

歩きながら「『おくまんさま』って聞いたことある?」わかるのは半数ぐらい。大銀杏の下で「これから熊野大社に行きますが、見物に行くのではありません。何しに行くのでしょう?」・・・「見学」とか「勉強」とかのたぐいの答え。なかなか出なくて言いかけようとしたちょうどその時、私の気持ちを察するように低学年の男の子が小さな声で「お参り?」その顔が今もしっかり焼き付いている。「その通り、よく言ってくれた!神様にお参りするときはからだをきれいにしてお参りします。手洗場(ちょうずば)で手を洗ってうがいをしてからお参りします。」みんな素直に従ってくれました。

 

石段を上る前に、結城よしをの碑の前でみんなで「ナイショ話」を歌いました。隣りのよしをのお父さん結城健三の碑「宮ばしらのかげよりわれの稚児舞を見ていたまひし母が恋しき」の説明、「よしをのお父さんがよしをのおばあちゃんのことを思い起こして詠った歌です。稚児舞とはチゴタゴのこと。知ってる人?」高学年はだいたいチゴタゴで通じるようでした。安部右馬助の碑についても「宮内の町の基礎を造った人です。」と言っておきました。

 

2-DSCF0014幸神社.jpg

曇り空の4時も過ぎ、すこしずつ薄暗くなりつつある頃ですが、石段を上って拝殿前に整列して「二拝二拍手一拝」の作法で参拝。みんなそれぞれ思いを込めてのお参りだったようです。そういえば帰り、石段を降り切ったところでだれかが幸神社を指差して「あれは何の神社?」と訊くので、「あれはみんなを幸せにしてくれる幸(さいわい)神社。」と言ったら、「お参りしてくる!」「私も」「私も」と何人もが戻ってお参りしていました。その帰途、「何お参りした?」「みんなが幸せになるように。」そんな殊勝な会話も聞こえてきました。

 

せっかくなので三羽の兎まで行くことにして、八幡神社の前で「みんな自分の生れ歳わかる?熊野大社の境内にはそれぞれ生れ歳の神社があります。まずここはイヌとイノシシ。」これにはよくみんな反応してくれました。ここにはなくて宝積坊にあるヒツジとサルの年の子どもが居ると困るなと思ったらその年の生れは誰もいなかったようです。

 

三兎のぼり.jpg

三羽の兎、さすがみんな関心ありました。「こののぼり、おじちゃんがつくったんだよ。」とさりげなく宣伝しておきました。「へえー」という顔つきで感心してくれたようでした。暗くもなったので「みんな後でゆっくりまた来て探して下さい。」


招魂社IMG_0028.jpg

招魂社にはどうしても参拝させたくて、「ここには戦争で亡くなった人をお祀りしています。もう戦争のないようにしっかりお参りして下さい。」子ども達に「国のために亡くなった」と言うのには何かためらいがありました。それにしても、目の前に来るまで招魂社参拝は考えていませんでした。子ども達とお参りできてうれしかった。御霊にも喜んでいただけたような気がします。

 

学校に戻って解散。「おじちゃんも楽しい時間をすごすことができました。みんなありがとう。」いい時間でした。



nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 1

めい

《今、日本の「教育」が行き詰まっている。》
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48137

ずっとそう思ってきました。
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2010-02-27
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2006-03-23

   *   *   *   *   *

大前研一の特別講義「日本に"答えのない教育"が必要な2つの理由」
2016.10.17(月)
【第1回】

 今、日本の「教育」が行き詰まっている。日本の高度成長を支えた、「正解」をいかに早く覚え、再現するかという従来の教育は、「答えのない時代」を迎えた今、うまくいかなくなった。日本の国際競争力を高める人材を育成する上で、障害となっているものは何か。21世紀の教育が目指すべき方向は何か。
 本連載では、世界からトップクラスの人材が集まる米国、職業訓練を重視したドイツ、フィンランドの「考える教育」など、特色ある教育制度を取り入れている先進国の最新動向から、日本の教育改革の方向性を導き出す。

○高度成長期の教育は「大量生産型」
 今、日本の国家戦略を考える上で一番大切な問題は「教育」です。世界に通用する人材をいかに育てるか。その意味で、日本の教育は、大きな問題を抱えています。
 明治時代、日本は欧米との国力の差を埋めるために、文明開化、富国強兵の旗印の下、教育に力を入れました。当時の日本は非常にオープンで、“Boys, be ambitious”で知られるウィリアム・スミス・クラーク博士 など外国人をどんどん招聘し、日本の外からいいものを取り入れようとしました。
 第二次世界大戦後はスローガンを変え、工業国として加工貿易で発展していくことを目指しました。これに伴い、教育方針も大きく変わりました。クオリティの高い人材を一斉に育て産業界に提供する、いわば「大量生産型」です。このやり方が大成功して、日本は世界第二の工業国家になりました。
 米国のように「個」を重視する教育をしていたら、これほど効率よく「工業国家日本」を築くことはできなかったでしょう。

○従来型教育では新興国に勝てない
「大量生産型」教育の特徴は、どこか別の国、他の誰かが既に出している「答え」をいかに早く覚え、再現するかに重きを置いているということです。
 コストを下げ、スピードを速くするための創意工夫をして、誰よりも早く、いい製品を作って安く売るというビジネスモデルは、この教育から生まれました。
「答えが分かっている」人材をたくさん育てるために、全国どこへ行っても同じような教育が受けられる「学習指導要領」というものを作りました。このやり方がうまくいったので、「拍手喝采!アンコール!」と言って同じ曲を何度も繰り返すところが、当時の文部省の浅はかさです。
 21世紀に入って世の中は変わりました。従来型の教育では、国の競争力を高める人材を育てることができなくなっています。
 世の中がどう変わったか。2つの点で大きな変化が起こっています。1つは、「大量生産型」の教育に取り組む巨大新興国が増えてきたことです。
 たとえば中国の人口は日本の10倍以上。大学生だけで、年間およそ700万人の人材を育成しています。同じく日本の10倍の人口を擁するインドも、非常に優秀なプログラマーを多数輩出しています。このタイプの人材育成において、日本は数の上で、到底巨大新興国にかなわない。もしかしたら、質でもかなわないかもしれません。
 従来の日本の得意技を続けても先がない。こういう時代になっているにも拘わらず、最初のやり方がうまくいき過ぎたために、なかなか方向性を変えることができない。そうこうしているうちに新興国に抜かれてしまうという「イノベーターズ・ジレンマ 」のような状況に陥っています。

○21世紀の先進国に合った教育とは?
 2つ目の変化は、「先生の無力化」です。学習指導要領に基づいて、全国一律に同じ教育を提供するというシステムの下、先生は学習指導要領の伝達者、エージェントになってしまった。これはもう、牧師さんと同じです。2000年前に書かれた聖書を開いて、「マタイ伝4章の3節を読ませていただきます」と講釈する。日本の先生の仕事も、本質的にはこれと変わりません。
 21世紀の先進国に求められるのは、牧師で言えば、自分が宗教をつくるとしたらどのような教義にするかというところまで考えられる人材です。新たな付加価値を創り出す人材を何人抱えているかによって、国家の力が決まる時代になっているのです。そして、クリエイティブな人材は、「大量生産型」の教育では生み出すことができません。
 たとえば今、自分がイエス・キリストに生まれ変わったら何を言うか。モハメッドになって再びこの世に降臨してきたとして、1500年前に自身が説いた教えをどう変えるか。豚肉を食べてはいけないと言ったけれど、冷蔵庫のある世界ならまあいいでしょう、などというように。こういうことを考えるのが、実は21世紀の教育なのです。みんなが自分なりの答えを出していくけれども、唯一の正解はない。
 マイケル・サンデル教授の講義がなぜ人気なのかと言えば、「答えがないから」です。たとえば「死刑について考えよう」とテーマを設定し、誰かが意見を述べれば「君の意見は大したものだ。それも一理ある」と応じる。別の誰かが正反対の指摘をすれば「その点が重要なんだよ、君」と言う。「サンデルさん、あなたはどう思うの」と問われても「私は司会者です」という姿勢を崩さない。要するに、最後まで「正解」を示さないのです。これが、まさに21世紀型の教育です。

○答えのない時代の教育
 ここ15年ほどの間に、爆発的な教育の力で優れた人材をたくさん輩出している国を見ると、いずれもこの「答えのない教育」を導入しています。
 連載で詳説しますが、北欧諸国が顕著な成功例です。21世紀は答えのない時代です。既存の答えを効率的よく覚えることのできる人間は何億人もいます。これから先、問われるのは「あなた個人がどこまでやれるか」ということなのです。
 会社というのは、答えのない世界ですよね。最初から答えがあるのなら、会社などいらない。
 欧米に追いつけ追い越せ、あるいはゼネラル・エレクトリック(GE)の真似をすれば何とかなる、という時代は終わりました。
 これから先進国に追いつこうとする途上国ならともかく、自分の頭で考えることが求められる先進国の現実に、日本の教育制度はまったく合っていない。現実の世界、企業の置かれている状況がどんどん変化しているにもかかわらず、日本の教育は旧態依然として一向に変わりません。これはきわめて深刻な問題です。
 では、どうすればいいのか。文部科学省主導で教育制度を変えるというのでは、大幅な改革は無理でしょう。文科省が考える教育と21世紀の現実に合った教育では、そもそもの土台、基本的な考え方や目的があまりにも違いすぎます。
 ですからこの問題は、「自分の頭で考える」ことの重要性に気がついた皆さんが、家庭や企業、あるいは自治体で、それぞれ先取りして実践していく必要があるのです。
(次回へ続く)

by めい (2016-10-17 04:36) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。