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宮内熊野大社例大祭(4)獅子お上り  [熊野大社]

獅子お上り

 

《獅子冠り(シシカムリ)はこの日の最大の神事である。風土のなかに育ち、北条郷民にしたしまれてきた獅子まつりは、四百年の伝統をたもち、氏子の心がとけあい、しかも特色ある祭である。

 

ボンデンバヨイはにぎやかに勇しく、まつりのムードを極度にもり上げた。やがて斎場はしずまりかえり、山の上の宮から神主をお迎えする。むかし熊野権現が炎上したとき、身をもって獅子を守護した大津神主に感謝し、年ながく獅子祭を主宰した大津家に儀礼するこころをこめて、山上から大津氏をむかえるのである。この仕来がいまも続けられているのは床しいかぎりである。納所のものが山上にお迎えにゆく。大津神主をつとめる神官は威儀をただして斎場に入場する。祝詞の奏上がおわるや、場内は一瞬異様な空気につつまれる。嵐のまえの静けさである。

 

壇上の頭取は獅子頭に手をかけるや、鐘は乱打され、いまやおそしと待ちかまえた行者は、獅子を目がけておそいかかり、獅子を中にして幾重にも人の渦をまき、渦ははげしく移動しながら揉みあいをする。勢いにおされて世話方衆も守りきれず、気の弱い観衆は失神するばかりである。場内は熱気にあふれ、行者は獅子頭のオシダを奪いあいする。「オシダバヨイ」である。オシダをいただけば頭痛症にあらたかな霊験があると信じている。

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獅子は添役をしたがえ、怒濤のように斎場をでて、行者のむれは一団となって参道を南にくだる。総門にたどりつくと、獅子を頭取にわたし、頭取は幕のなかに入って獅子舞をする。総門の外に出れば不吉のしるしとされ、神領外には一歩も出ないことになっている。総門からすぐに引き返し、梵天にみちびかれながら一路本宮にむかう。


行者のむれは大河のようにはげしい流れとなり、ときには輪になってぐるぐる揉みながら停滞し、行きつ戻りつ、獅子は高く頭をあげて周辺をくまなく睥睨するのも束のま、たちまち行者のなかに没し去る。沈むとみれば頭をあらわし、あげたと見ればすぐに沈み、獅子はおもうがままに年に一度の神遊びをする。


行者は獅子に近づこうとして、互にせめぎあい、争いながら獅子をうばいあいする。肩車にのった獅子児たちは、ようやく獅子にちかづいて獅子をたたけば、獅子はあたかも刃向かう如く憤怒の相をあらわし、大きく口をひらいて踊りあがる。観衆のあいだからは期せずして拍手が湧きあがり、信心ぶかい年寄は神の顕現に随喜して敬虔に手をあわせる。 

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1.社務所内 2.総門 3.勅使橋 4.土社神社 5.おみおろし 6.本宮 7.二ノ宮若王子 8.三ノ宮那智宮

9.八幡神社 10. 皇大神社 11.景政神社(金剛剣)


以上の四場所七神社が立場(タテバ)になっている。法悦の無我の境にひたる行者は、獅子を奉持してようやく坂下にたどりつく。立場にくると、社前に盛物をそなえ、祭官が一拝拍手の神拝をしてから、頭取は獅子をつかう。獅子舞がはじまると、獅子をめがけて神酒をそそぎ、楽人は銅鑼を鳴らし、笛をふき、観衆もこれに和し扇をかざして獅子をさし招く。

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立場の神事がおわると、獅子はたちまちに行者の群にとりかこまれ、さらに勢いづいてところかまわず荒れ狂うばかりである。獅子は添役になだめられながら坂をのぼって行く。お坂をのぼりきるまでは、世話方衆の苦労はなみ大抵ではない。

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山の上の境内にのぼりつめた獅子は、つぎから次と立場の行事をつづける。本宮のまえで舞い、舞いおわって本宮のまわりを一周して若王子へ、さらに一周して三ノ宮那智宮に、さらに境内をめぐって八幡社へ、又ひとまわりして神明神社に向うのであるから、なかなか時間がかかるけれども、定められたコースを辿らなければならない。

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立場で獅子舞をするときは、幕のなかに入り、右手でアゴ棒をしっかりとつかむ。左手を内から外側にむけながらテノヒラを上にかえし、獅子頭を手のひらに載せ、右肩の上に獅子を固定する。足を左右にひらいて構える。獅子の目が北条郷のすみから隅までひと睨みするように、からだを上下左右に振りながら調子をとる。著者(黒江太郎)も毎年一回だけ獅子をつかうが、獅子頭は大きく重いのでなかなか思うようには遣いきれない。

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行事もなかばおわる頃になると、さしも威勢のよかった行者もひとり去りふたり減り、のこる者はだんだん少なくなってしまうが、世話方と納所衆だけで行事をつづける。長かった夏の日も暮れかかるころ、大社の鬼門にあたる金剛剣を最後にして舞いおわる。

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若王子と神庫のあいだで、世話方の最長老が獅子舞をする場所がある。これは獅子冠事務所の内規の慣例であって、神社の正式の立場ではない。最後にもう一度八幡神社にもどって、お礼参りの獅子舞をする。お礼参りが終ると、獅子を世話方にわたし、幕にくるんで昇殿する。幕をとりのぞいた獅子を桐箱にいれ、神庫におさめる。宝蔵におさめるときは、獅子が呼吸のできるように箱の蓋をすこしずらすのが仕来である。

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夕闇はくまなく境内をつつみ、祭がおわった安堵感と一抹の哀愁がひしひしと迫ってくる。

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翌二十六日には、夏のにわか雨が北の山から降りかかり、祭のあとの神社をすみずみまで洗いきよめる。一粒でも二粒でもかならず雨の降ることを氏子は信じている。これを「オミ坂洗イ」といっている。洗いきよめられた熊野一山は、ふたたび太古のしずけさにもどる。

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この日、神職、楽人、氏子総代が列席して総社祭がおこなわれる。各社に神酒、切りいか、すもも、花菓子、米の神饌をそなえ、境内の二十八社を拝礼してまわる。「大きみ祭の吉事(ヨゴト)称事(タタへゴト)終えまつらくと白す」、一社ごとに祝詞を奏上する。小祭ながらすがすがしい祭である。大祭のすべてがおわり、やがて一段ときびしい夏がやって来る。


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「宮内熊野大社例大祭(1)〜(4)」の緑文字部分は、黒江太郎著『東北の熊野』(米沢文化懇話会 昭和49年7月25日発行)の文章をそのまま引用させていただきました。黒江先生の業績にあらためて頭が下がる思いでした。「熊野のまつり」の伝統を持続してゆく上でどんなにありがたいことか。ちょうど今日、黒江歯科医院に行って太郎先生のお孫さんのお世話になってくる日です。


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