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田中末男著『宮澤賢治〈心象〉の現象学』を読む [宮沢賢治]

西尾先生の日録で「宗教」をめぐってのやりとりが続いている。隔靴掻痒、宗教そのものを遠巻きにしてあれこれ言い合っているように思えてならない。はからずも、1ヶ月前にちょっと紹介しておいたhttp://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-04-02本の感想をまとめながら、宗教とは、そして信仰とは何なのかについてひとつの見方が言葉になった。

   *   *   *   *   *

毎日少しずつ大事に読んできた田中末男著『宮澤賢治〈心象〉の現象学』を読み終えた。再読である。再読でもこんなに新鮮だったのはなぜだろうか。一回目もしっかり鉛筆で傍線を引きながら読んでいた。二回目は鉛筆を持たなかった。傍線を引くとしても、一回目と同じ箇所に引いただろう。 

≪従来、賢治の理想像として「雨ニモマケズ」の「デクノボー」が称揚され、あたかも個性を磨耗させ、砂粒のような「滅私奉公」的、ないしは「自己犠牲」的人間を志向していたかのような理解がなされてきた。これは誤解もはなはだしい。賢治ほど旧来の因襲の中でがんじがらめにされながら、必死でそれから脱出しようとした人間もいない。それがふたたび前近代的人間像に逆戻りしようとしたなどとは考えられない。なんのために「唾し はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」と呻吟したのか。まさしく、一人ひとりが、それぞれの顔と個性をもち、それを互いに尊重し合えるようなそういう世界を実現しようと生涯にわたって祈願し、また身を削ってきたのである。≫(p.258)

読み終えて、心底このことに本気だったにちがいない賢治像がくっきりと浮かび上がってきた。


根底をなすのは法華経との出会いである。著者は言う。

 

≪賢治にとって法華経のもつ決定的意味は-父親との確執における戦略的要因を度外視すれば、これが賢治の内に〈根源的エネルギー〉を解放したことである。
ちなみにこの根源的エネルギーは、のちに「農民芸術概論綱要」において「宇宙意志」という名が与えられる。あるいは仏教的に「まことのちから」ともいっている。もちろん、わずか十八歳の青年に法華経の精神が明確に理解されたとは思えない。だが直観的に賢治はその真髄を掴み取った、というよりそれに閃光のように打たれたといったほうが適切かもしれない。≫(p.44)

賢治はその境地を≪「もし風や光のなかに自分を忘れ世界がじぶんの庭になり、あるいは惚として銀河全体をひとりのじぶんだと感ずるときはたのしいことではありませんか。」≫(p.117)と兄清六宛の手紙で語るのだが、賢治のいわゆる「心象スケッチ」とはそのことを実体験するための具体的方法であった。著者は次の詩句を引く。

≪「ああ何もかももうみんな透明だ/雲が風と水と虚空と光と核の塵とでなりたつときに/風も水も地殻もまたわたくしもそれとひとしく組成され/じつはわたくしは水や風やそれらの核の一部分で/それをわたくしが感ずることは水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ」(「種山ヶ原」下書稿)≫(p.117)

これは神の境地ともいえるのではないか。ここでいう「神」とは、人と隔絶して在る神の謂いではなく、いわば人と地続きの神の境地である。本来、神とは「信ずるべきもの」ではなかったはずである。「信ずる」という言葉には、人と神との間の隔絶がある。賢治が実際に体験しえた神の境地は、いつしか人にとって遠のいてしまったものであり、遠のくにつれて人は神の境地への憧憬を言い表すために「信ずる」という言葉を生み出したのではなかったか。賢治は、法華経的感覚を原動力とし、心象スケッチという方法を体得駆使することで、人が忘れてしまった人の根源にある神性への道を拓いたのではなかったか。

「心象スケッチ」とは何か。著者はこの著でそれを丹念に「スケッチ」した。そして言う。

≪「中の字の徽章を買ふとつれだちてなまあたたき風に出でたり」
 この中学入学時にうたった歌が―実際には少しあとからの創作といわれるが―賢治の短歌の、したがって創作活動、ひいては賢治の実存そのものの原点である。この「なまあたたき風」を「すきとほつた風」に浄化しようとしたのが、賢治の生涯であったといえる。≫(p.227-228)
≪「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。(中略)/けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。」(『注文の多い料理店』序)
「すきとほつたほんたうのたべもの」――このことばに心象スケッチの、いや宮澤賢治の営為のすべてが結晶化されているといってよい。欲望をそのまま肯定するのでもなく、逆に頭から否定するのでもない。欲望を透明なエネルギーに浄化する装置が<心象スケッチ>であった。欲望ゆえに悩む。その欲望をバネにして飛翔する、これが賢治のやり方であった。≫(p.240-241)

この著は等身大の賢治像をダイナミックに浮かび上がらせることに成功している。著者の明確な方法意識によって。その方法が現象学である。この著には、賢治の<心象スケッチ>を現象学の流れの中に位置づけたもうひとつ本領がある。

≪「ですから、これらのなかには、あなたのためになることもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからにこともあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。」(『注文の多い料理店』序)

これはつぎに問題にする現象学的精神につながるものである。メルロ=ポンティによれば、その精神はつぎのようなものである。

「それが自分の意図にあくまで忠実にとどまるちょうどそのかぎりで、それは自分が一体どこに行くかをけっして知らない、ということになるだろう。こうした現象学の未完結性と、いつも事をはじめからやり直してゆくその歩みとは、一つの挫折の徴候ではなくて、むしろ不可避的なものであって、それというのも、現象学は世界の神秘と理性の神秘とを開示することを任務としているからである。」(メルロ=ポンティ『知覚の現象学』序文)

このような精神は、自己誠実性に基づくその不可知性といい、未完結性といい、またその冒険的投企性といい、すべて宮澤賢治の精神と共通するものである。≫(p.306-307)
≪宮澤賢治は現象学的用語も手続きもなんら知ることはなかったが、いわば天性の「現象学的観方Phänomenologisches Sehen」(ハイデッガー)を体得していたということができる。≫(p.320)

ではその「現象学的観方」とはどのようなものか。

≪「けれども、一郎が眼をさましたときは、もうすつかり明るくなってゐました。おもてにでてみると、まわりの山は、みんなたつたいまできたばかりのやうにうるうるもりあがつて、まつ青なそらのしたにならんでゐました。」(「どんぐりと山猫」)
『注文の多い料理店』の本文の第一頁からこれである。詩人の永瀬清子は、賢治は「はじめて見たやうに自然を見てゐる」と表現したが、たしかに純粋で囚われのない眼差しでものごとを見て、そしてそれをそのままスケッチしていったのである。これはメルロ=ポンティの「生れいづる状態」、すなわち意味の発生する現場で捉えようとする現象学的眼差しを先取りした表現である。草野心平は、「古来詩人の名誉のひとつは対象にいのちを与へる最後の言葉を最初に発見することであらう。」と述べたが、賢治の言葉はその比類なさにおいて、その名に値する「詩人」といえよう。≫(p.325)

具体例があげられている。

≪ 「  林と思想
そら ね ごらん
むかふに霧にぬれてゐる
蕈(きのこ)のかたちをしたちいさな林があるだらう
あすこのとこへ
わたしのかんがへが
ずゐぶんはやく流れて行って
みんな
溶け込んでゐるのだよ
   ここいらはふきの花でいつぱいだ」

この心象スケッチは、フッサールなら意識の構成作用といいかねないところである。対象はたしかに「林」であるが、それが「霧にぬれてゐる」と「蕈のかたちのちいさな」との修飾をうけることによって、実在性が括弧に入れられ、あたかもメルヘンの世界の出来事のように立ち現れてくる。それは「わたしのかんがへ」が「ずゐぶんはやく流れて行って/みんな/溶け込んでゐる」からである。心象という眼差しを通してみると、見慣れた世界は別の様相を呈する。しかし単なる夢想的な世界ではない。「現実」界か、さもなくば「夢想」界か、という二者択一「以前」の次元に降りていっている。世界が生成する現場に立ち会っているのである。≫(p.324-325)

著者は先に引いた兄清六への手紙「苦痛を享楽できる人はほんたうの詩人です。もし風や光のなかに自分を忘れ世界がじぶんの庭になり、あるいは惚として銀河全体をひとりのじぶんだと感ずるときはたのしいことではありませんか。」を再度引きつつ、

≪「苦痛を享楽する」、すなわち苦痛によって否定的に媒介されることによってより高次な段階へと弁証法的に止揚されるのである。
心象は志向性、というより脱自性をその本質としている。・・・賢治はその心象によって、その脱自的可能性を最大限発揮し、ほとんど透明化することができた。いわば、水晶の玉をそこに万象が映現できるほどにまで磨き上げたといえよう。心象自体なにもない。だからこそすべてがそこに立ち現れることができるのである。
心象スケッチは、一種の還元作用であったが、それは意識の無化作用、透明化作用といってもよい。それは意識を純化して、無意識にまで降りてゆく。しかしこの無意識は、すきとおった風が吹く清浄無垢な境地である。≫(p.338)

著者は反故の手紙のなかからつぎの言葉を掘り起こして最後をしめくくる。

≪「ただひとつどうしても棄てられない問題はたとへば宇宙意志といふやうなものがあつてあらゆる生物をほんたうの幸福を齎したいと考へてゐるものかそれとも世界が偶然盲目的なものかといふ所謂信仰と科学とのいづれかによつて行くべきかといふ場合私はどうしても前者だといふのです。すなわち宇宙には実に多くの意識の段階がありその最終のものはあらゆる迷悟をはなれてあらゆる生物を究極の幸福にいたらしめやうとしてゐるといふまあ中学生の考へる点です。ところがそれをどう表現しそれにどう動いて行ったらいいかはまだ私にはわかりません。」(昭和四年末頃、252c下書四)≫

とはいえ、賢治はたしかにその端緒には達しえたのではなかったかと、この著によって気づかされたのである。


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