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mespesadoさんによる経済談義(157)「桜を見る会」の件 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

《「桜を見る会」の件は、いくら何でもスジが悪すぎる》。まったく、攻めるに事欠いて、がアリアリ。野党の存在価値が根底から問われている事態なのに石破さん、悪相がますます悪相になっているとも気づかずに、「安倍総理は説明責任を果たすべき」とどこかで語っていました。スジ悪以上にスジ悪》の果て、「陰極まって陽生ず」に期待か。やすえちゃん、頼むよ。

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mespesadoさんによる経済談義(156)「強欲経済」の終焉は近い? [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

①「東西冷戦」とはそもそも、「発展途上国」に犠牲を強いる代理戦争を起こすための理由づくりだった。《「先進国は、第二次大戦直後の一時的特需の味が忘れられないから、この特需を継続させるべく東西代理戦争がわざと引き起こされた」》「冷戦崩壊」とは、代理戦争の「やらせ」がバレだしたのと、高度成長の終焉によって「(強欲経済の目的である)金儲け」の方法が、「実物経済」から「マネーゲーム」に重点移動した結果。その際、日本は「マネーゲーム」の格好の餌食となった。「失われた20年」は東西冷戦」の終焉によってもたらされたとする考え方に対する、mespesadoさんの別の角度からの異論》です。納得。「強欲経済」の終焉も見えてきます。

②「緊縮」vs「反緊縮」のせめぎ合い。二階さん、ガンバレ!》。ダメな立憲民主の中にあって、石垣のりこ議員ガンバレ!→https://www.asahi.com/articles/ASM7C4S5RM7CUTFK00C.html

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mespesadoさんによる経済談義(155)経済=経世済民 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

隣雲文庫前でDSC_1781.jpg社会科学は自然科学と違って「人間社会を守る」という政治的に大きな目的がある》。経済「学」が忘れがちなところかもしれません。専門化して袋小路に迷い込むことになります。

大嘗祭を期して集った遠来のお客さん、安岡正篤先生ファンがおられたので結城豊太郎記念館へご案内。結城豊太郎先生紹介ビデオ、「経済=経世済民」すなわち「経済とは世を経(おさ)め民を済(すく)う」とあって、話題になったところでした。(→武田館長さんと臨雲文庫前で)

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mespesadoさんによる経済談義(154)「供給力」が第一義 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

わけのわからぬ「経済プロ」の世界から抜け出て、「あたりまえの感覚でだれでも納得の経済理解」へと回帰させる、mespesado理論のいちばんだいじなところです。
《たとえ貨幣が本位通貨性の時代であっても、貨幣の価値を決めていたのは国が持つ金の量などではなく、国家の供給能力だったはずで、松下さんも、「企業は儲けるべし。そして利益の大半を税金として納めるから国の財源ができるわけです」などと言わないで「企業は作るべし。そして作った製品を国民が消費できるから国民が豊かになるわけです」と言うべきだった。》
《グローバル企業の強欲さ》とは、《自らが供給したモノやサービスに見合う対価以上に貨幣を得ようとする強欲性》であり、その結果としての自分たちだけがカネの亡者になることに熱中する社会性のない企業》なのです。
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大嘗祭を前に [神道天行居]

今私が関わる認定こども園は創立68年目、私は創園してすぐ、叔母が保母さんになったのでそれまで通っていた保育園から無理やり転園させられました。人生で最大の転機だったように思えます。当時「キリスト幼稚園」と言われていました。祖父は神様仏様を大切にする人でしたが、キリスト教に対しても同じように考えていたのかもしれません。いたって寛容だったようです。卒園してからも中学生になるまで日曜学校に行って、クリスマスにはずっと精勤賞をもらっていました。そういう私だったのですが、いつの間にか「あなたの宗教は?」と聞かれると「神道です」と答えるようになっていました。十数年のブランクの後、「同窓会を作りたいので」という園長先生から言われて、それからまた園と関わるようになり、今は週明けの朝、園の朝礼に入れてもらって、讃美歌を歌い、聖書を読んで、主の祈りをしてきます。はじめは多少違和感もありましたが、今はキリスト教の神様も八百万の神様の中のおひとり、の感覚で溶け込んでいます。私にはだいじなひとときです。

今日なんでこんなことを書き出したかというと、「キリスト教団体、歴史研究者ら 大嘗祭にそれぞれ抗議」の記事を読んだからです。《一連の即位儀式について「憲法の国民主権原理や政教分離原則に違反し、戦前の天皇主権体制への回帰、天皇制美化などの問題点がある」と指摘した。9日に皇居前広場で開かれた「国民祭典」など各地の「奉祝行事」についても「国民を天皇賛美に動員し、憲法の規定による天皇の役割を超えた政治利用」と批判した。》

毎週日曜学校に通ったと言っても遊び半分で、どれだけキリスト教がわかっていたかわかりませんが、プロテスタントの教会で、「イエスの奇跡」については淡白だったように思います。個人原理の戦後民主主義にそのまますっぽり収まる考え方だったような気がします。そんなことも思いあわせつつ、キリスト教団体自体が「イエスの奇跡」についてどこまで本気に思っているのか、今回の記事で思ったのがそのことでした。毎月一日朝の熊野大社月例祭、明治天皇御製10首を5首ずつ詠みますがその中に、「わが國は神のすゑなり神まつるむかしの手振(てぶり)わするなよゆめ」があります。そうして今在る日本であり、われわれなのです。そのことに敬虔であるべきです。

一連の即位儀式について「憲法国民主権原理や政教分離原則に違反し、戦前の天皇主権体制への回帰、天皇制美化などの問題点がある」と指摘した。9日に皇居前広場で開かれた「国民祭典」など各地の「奉祝行事」についても「国民を天皇賛美に動員し、憲法の規定による天皇の役割を超えた政治利用」と批判した。
キリスト教団体、歴史研究者ら 大嘗祭にそれぞれ抗議
キリスト教団体、歴史研究者ら 大嘗祭にそれぞれ抗議
キリスト教団体、歴史研究者ら 大嘗祭にそれぞれ抗議
キリスト教団体、歴史研究者ら 大嘗祭にそれぞれ抗議
先師友清歓真先生が大嘗祭について書かれたところをあげておきます。

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川合ひさ子さん、河北工芸展でJAL賞! [青苧]

華北工芸展川合ひさ子DSC_1705.jpg川合ひさ子JAL賞DSC_1706#1.jpg

おめでとう!「河北抄」でも取り上げられています。↓

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 きょう開幕した河北工芸展の入賞者の中に、懐かしい人の名前があった。南陽市の染織家川合ひさ子さん(70)。山形県の月山を題材にした「手織り紬衣(つむぎころも) 月山の祈り」でJAL賞に輝いた。
 染織だけでなく、川合さんは「青苧織(あおそおり)」復活のキーパーソンとしての顔も持っている。青苧はイラクサ科の植物で江戸時代「越後縮(ちぢみ)」など高級衣料の原料として珍重され、米沢藩が栽培を奨励した。別名「からむし」とも言われる。
 戦後、栽培が途絶えていた青苧の存在を知り、地元の農家と一緒に再現に尽力したのが川合さんだ。青苧織を使った製品は、全国伝統工芸品推奨品に認定されるなど高い評価を得た。
 製品作りに取り組む川合さんの様子をかつて取材した。生木100キロから1キロも取れない貴重な繊維で織られる作品は、清涼感に富んで美しかった。
 自ら立ち上げた「青苧工房」は昨年30周年を迎えた。「最近は小学生の放課後学習で、青苧を使ったミサンガ作りを教えています」と川合さん。文化伝承へ傾ける情熱は、以前と少しも変わらない。(2019年11月06日水曜日)

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mespesadoさんによる経済談義(153)諸論①〜④ [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

《未来の日本を担う人材が、未来に希望を持ててない》政府に対して、お金を出せ、そして俺達の口座に振り込め!と圧力を掛けるだけで良い》反緊縮の問題は原理的には実際可能なのに、大多数の人が思い違い(錯覚)をしているからできないだけ》という議論の展開

《日本でMMTを広めようとしている人たちは、・・・説得したい対象の一般国民よりも、自分達の方がMMTの権威にそまってしまって、自分で考えることを放棄してしまっている・・・ここは、MMT到来以前の原点に戻るべきでしょう。》

《DSに表面的に隷属するかのような政策を強行採決はするが、中身で逆転させて国益を守る高度な戦略(TPPへのチーム甘利を使っての逆転劇が好例)が今の日本には必要です。こんな能力を持った政治家は今のところ安倍総理しかいない》

④サヨク感覚もウヨク感覚にしても、「自分を一段上に置いて他を見下ろす快感」が原点のような気がしました。だれにもある感覚なので、そこに自覚的かそうでないかが大切なのだと思います。無自覚なままだと、《反対者をシャットアウトする形でそれをアピール》という袋小路に入ってしまいます。自分の中にも審神者(サニワ)が必要のゆえんです。「霊性」「神性」への第一歩かと、ふと思いました。そういえば、私が神道天行居の先師友清歓真(ともきよよしさね)という人に惹かれたのがここでした。その霊統を引き継いでおられたのが、私にとっては熊野秀彦先生でした。

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山口富永著『昭和史の証言ー真崎甚三郎・人その思想ー』を読む(1)上海事変(1932) [政治]

真崎大将写真.jpg10月13日に「『近衛上奏文と皇道派ー告発 コミンテルンの戦争責任』(山口富永)」の記事を書いた。それから間もなく、ほんとうに偶然だったのだが、薄暗くて普段は見ることもない本棚の隅から、山口富永著『昭和史の証言ー真崎甚三郎・人その思想ー』が「読んでくれ」とばかりに現れた。日本義塾出版部発行平成20年1月28日付納品書が挟まっていた。その頃、太田龍さんの「週刊日本新聞」を欠かさず読んでいた。しかしこの本を買った記憶は全然ない。アマゾンでも日本の古本屋でももう手に入らない本だ。初版が昭和45年5月、昭和58年11月まで5版を重ねている。発行所が政界公論社。今はもうない。発行者が高橋是人、この本を発行するためだけの社名だったのかもしれない。なんとか復刊の途はないものかと、読み終えて切に思う。

序にあった清水謙一郎氏の言葉がずっーと響き続けた。天下は一人を以ておこり、一人を以て亡ぶ、という。この言葉は、真崎大将を偲ぶとき私の胸にぴたりと迫ってくる。》(32P)名宰相管仲について蘇洵が言った言葉として伝わる。清水氏は、昭和10年真崎教育総監更迭に際して差し上げた手紙以来、真崎大将とはその生涯にわたって親交があった。著者山口富永氏の恩師であり、大将と著者の縁は清水氏による。

唯物史観の対極と言っていいこの言葉、真崎大将の弟勝次からも発せられている。「歴史」としての解釈以前、というか、生の「歴史」そのもの、「歴史の当事者」が真崎甚三郎という人物だった。真崎甚三郎という人物を追うことで「歴史の実態」が見えてくる。なぜ「大東亜戦争」になったのか。その解明の鍵となるのが第一次上海事変。

まず弟勝次の述懐、

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mespesadoさんによる経済談義(153)「日本の危機」とは何か [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

野党議員の皆さん、↓に気づいてください!

《「韓国や中国が技術の腕を上げてきている」ことに危機感を覚え、真に国を憂えるなら、やることは中国や韓国への迎合ではなく、日本の技術力を上げて世界における日本の優位性を維持するように日本の産業を支援することではないのか?》

そのためにも「緊縮脳(節約脳)」から解放されてください!

やすえちゃん、大丈夫?

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「大嘗祭の本義」(折口信夫)(3)「神話世界」へのリンク [『古事記神話研究』]

折口の考え方に対して、京都 建勲神社宮司の講話のような批判がある(平成2年11月10日)。曰く、《大嘗祭の性質につきましては従来色々の説がありましたが、昭和3年に折口信夫博士が真床覆衾、天皇霊継承説を唱え、「大嘗祭の核心は天皇を天皇たらしめる根源的な威力である天皇霊を新しい天皇が大嘗祭でふとんにくるまって身につけられる秘密の儀式である」としました。・・・/ 私はかねてから、この学説に、一種の胡散臭さを感じておりましたが、先日、宮内庁の藤森長官が大嘗祭の内容を公表する考えはないが、誤った世評は正さねばならないと発表され、この折口信夫説はその根拠を完全に失った形となりました。》そして要するに、《国民がこぞって今度の天皇陛下の御代もいい御代でありますようにと色々なお供え物を持ち寄り、陛下がそれを神様にお供えし、後、お下がりを皆で直会でいただくというものであります。》と、一見わかりやすく着地する。しかし、折口の目が向かうのはそうではない。《大嘗祭は、平安朝に固定して、今日に及んだもの故、神代その儘、そつくりのものとは考へられない。吾々は、其変化のうちに、隠れて居る所を見たい》 昔のままのやり方そのまま今に伝わっているとは限らない。しかしそこからなんとか「本義」を読み取りたい。折口の文章から伝わるその思いに惹かれて最後まで読んだ。大嘗祭についての、理屈ではないイメージがたしかに自分の中に形づくられたのを感ずる。葦津珍彦が言っていた。古代人は、古代の論理で思考した。柳田国男の民俗学などでは、それをプレ·ロジックと云ふ。プレ·ロジックの思考法には、もちろん多くの欠陥もあり弱点がある。プレ·ロジックで思考したことには、 迷信や誤りも少なくない。しかし古代の神道や宗教を知るのには、プレ·ロジックを知る必要があるばかりでなく、そこには、往々にして現代ロジックよりも勝るものもあると私は思ふ。》(「皇祖天照大御神ー神道神話」)神代以来の最も重要な儀式を今に伝える大嘗祭は、「神話世界」にリンクする最高の手がかりなのだ。現在感覚で簡単にわかったつもりになってはなるまい。
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