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『限界費用ゼロ社会』(2)「息苦しさ」と「のびやかさ」の分水嶺 [置賜自給圏構想]

マイナーだった「アプロプリエートテクノロジー(適正技術)運動」を、ハッカー文化と結びつけることで広範な文化的現象に引き上げたというスチュアート・ブランド1938ー)がこう語った。

《一方で、情報は高価になりたがっている。非常に貴重だからだ。適切な場所で適切な情報が得られれば、人生が一変する。その一方で、情報はフリーになりたがっている。情報を引き出すコストはつねに下がる一方だからだ。そこで、両者の葛藤が起こる。》156p

情報は「私的」に囲い込まれることで高価になりうる。しかしその一方で、どこにでもだれにでもタダで自由に流れてゆくというのが情報の自然のありようだ。高価であろうとする志向とフリーの方に流れようとする志向の絶えざるせめぎ合い、情報はいつもそこで揺らいでいる。


知的労働の結果としてその価値を保護するということなのだろうが、著作権法という法律は、フリーになろうとする情報の本性を殺してまさに「私的」に囲い込む、嫌いな法律だ。そもそもその人が書いたものはたまたまその人を介しているだけで、書かせているのはその人を取り囲む文化の総体、もっと言えば、その人を今そのとき生かしている、あるいは共に生きている、言ってしまえば「霊」と言ってもいいようなもの、そんな気がするので、あえてそうして生まれたものを「おれのもの」と言って囲い込むのは、その「霊」のようなものに対して申し訳ない所業なのではないか、そんな感覚からすると、著作権法はまちがっている。(吉本の「自己幻想」感覚からはまた別に考えます)


個人情報保護法が施行されたのが平成17年だからもう11年になる。個人個人をさらに孤立化に追い込もうとする法律だ。この法の根っこにあるのは、万が一の悪いことを想定してやまない性悪説だ。結果するところ相互不信が加速する。息苦しくてしょうがない。


こんなことを思っていて思いうかんだのが今日の表題「『息苦しさ』と『のびやかさ』の分水嶺」だった。「のびやかさ」を求めて解放へと向うのが自然の流れである。「情報」は「限界費用ゼロ」の象徴的存在なのだから。「のびやかさ」を選びたい。そうして開けてくる時代をリフキンは「透明性の時代」とよぶ。

 

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『限界費用ゼロ社会』(1)「希望」が「確信」に変わる [置賜自給圏構想]

リフキンAccenture-Outlook-Interview-Jeremy-Rifkin-president-TIR-consulting-new-economic-paradigm-Sustainability-main-jp.jpg暮れからかかって読み進めてきたジェレミー・リフキン著『限界費用ゼロ社会―<モノのインターネット>と共有型経済の台頭 』(NHK出版 2015/10/27)を今朝読み終えた。実は最終章と特別章を読み終える前に、書いておきたい気持ちに抗しきれなくて、昨晩アマゾンにレビューしてきた。最後まで読み終えた今書けばまたちがった書き方であったはずだが、昨日書いたあれはあれでよかったと思う。書き終えて「『希望』を『確信』に変えてくれた本と題した。漠然と思いつづけてきたことを「その通り!」と言ってもらえた気がして読み終えた。この本についてはいっぱい書き置きたいこと、書かねばならないことがあるが、とりあえず昨日アマゾンレビューに書いたのを写しておきます。

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置賜は「我国ノ高明ノ気、是ニ於テカ窮マル」の地 [置賜自給圏構想]

このブログの縁で、置賜自給圏推進機構会員Yさんの訪問を受けた。現在は白鷹町在住だが、その前は日航乗務員として世界中を駆け回られたという。退職後ふるさとに戻って12年、悠々自適とお見受けした。その方から、安達峰一郎(明治21869- 昭和91934が山形県中学師範学校予備科4級、15歳の時に書いた「斎藤馬陵先生米沢二帰ルヲ送ルノ序」という文章をいただいた。以下、紹介文を含めた全文。

 

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齋藤篤信関係文書(山形県教育資料館所蔵)


安達峰一郎から齋藤篤信へ  明治17310

 明治15年9月、峰一郎が官費生として山形県中学師範学予備科に入学した。しかし、この予備課は同17年6月に廃校となるが、その前の3月にそれまでお世話になった師範学校の斎藤篤信(馬陵)先生が校長を辞め、米沢に帰られるのを惜しんで学生らが漢文で送辞を書いた。ここでは、峰一郎が書いた漢文の読み下し文のみを掲載する。なお、文中の「藻江」は最上川のことである。


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30年後の置賜(「光の子」原稿) [置賜自給圏構想]

卒園文集「光の子」、昨日が締切で原稿を出してきました。思いがけずこんな原稿になりました。書いてから納得しています。松尾さんの提言をつくづくありがたく思っているところです。ものごとを考える出発点を30年後に置くことの意義を、昨日からずっと実感しています。刊行物の原稿は発刊後にここに載せるようにしているのですが、今回はその原則を破ります。

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   夢をもつこと

 宮内幼稚園が「宮内認定こども園」に生れ変わった年度の記念すべき卒園生です。旧い園舎から新しい園舎に移った時のうれしい体験を、いつまでも忘れずにたいせつにしてほしいと思います。
  先頃、『スマート・テロワール』という本を書かれた松尾雅彦さんというカルビーの元社長さんのお話をお聞きしました。父親からかっぱえびせんの会社を引き継ぎ、三十億の売上を一千億にした方です。スマート・テロワールとは、できる限りの自給を目指す地域単位のことで、全国に先駆けて「置賜自給圏推進機構」が設立されて動き出しています。
 松尾さんは「三十年後の置賜がどうなっていてほしいか、その夢を描くことから始めなさい。」と語られました。二十四年前、私たち仲間が共に崇敬していた人から「自分の実力の百倍の目標設定」を迫られ、「二十一世紀置賜は世界の中心になる!」と宣言しました。あらためて振り返ってみると、その都度の行動は行き当たりばったりのように見えても、たしかにその方向に沿った道筋がたどれます。目標設定によって、気持ちの方向が定まり、自分なりに納得できる道を歩んできているのです。
 「三十年先」であったり「実力の百倍」であったり、少々途方もない方が、夢を描くにはいいようです。自分がほんとうに求めているのは何なのだろうか、ゼロの地点に立ち帰って出発できるのです。
 私が「三十年後の置賜」でイメージしているのは、物やサービスのやりとりが、ほとんど何でもタダでできる世の中です。なんでもお金に換算されてしまうようになっていますが、ものをあげたりもらったり、助けたり助けてもらったりのやりとりは身のまわりにまだまだあります。そんなやりとりを大事にしてゆくのです。「千人共働き」という言葉を聞いたのは南陽学園第二代理事長の石黒龍一郎さんからでした。「千人いればお互い助け合いながらなんとか生きてゆけるもんだ」というのです。それを二十二万置賜に広げるのです。
 小学校への一歩を踏み出すこの時、お子さんにとっても保護者の方にとっても、途方もない夢を描いてみるいいチャンスです。

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「スマート・テロワール」(4)「最も美しい村」 [置賜自給圏構想]


美しい村logo.gif

松尾さんはNPO法人「日本で最も美しい村」連合副会長の肩書きをもつ。『スマート・テロワール』を読むと、そもそもこの運動を日本に持ちこんだのが松尾さんのようだ。《地域社会を愛し、支えたいというのは、私の強い思いでした。日本の地方には美しい農村がたくさんあります。北海道の美瑛町もそうです。しかし、その美しい景観が経済発展のために壊されていくのを見て、大きな憤りを覚えていました。そんなときに「フランスで最も美しい村」運動を知り、そこに日本の村を再生させる可能性があるように感じたのです。》(96-7p)松尾さんが早速連絡をとったのが「パッチワークの丘」美瑛町浜田哲町長でした。2005年10月、浜田町長を中心に立ち上げたのがNPO法人「日本で最も美しい村」連合です。(「パッチワークの丘」のリンク先、写真家菊地晴夫さんは南陽市の出身でした!)

サッカーJリーグの立ち上げにはカルビーが大きな役割を果したとのことで、松尾さんは「スマート・テロワール」をJリーグに対比させています。印象的な箇所があったので写しておきます。
《地域のサッカーを構成しているのはプレーヤー、地域のチーム、サポーターです。優秀なプレーヤーは広く世界を目指して切磋琢磨し、引き抜かれては他のクラブチームヘ異動します。それをまた地域のフアンが応援します。そうした地域に根ざしたクラブチームとしての連帯感がある一方で、ワールドカップ国同士の戦いです。世界中に雄飛していたプレーヤーが帰国し、祖国の栄誉を担って代表チームを編成します。ローカルとナショナルとグローバルの融合の姿がそこに見られます。
 一九九八年に初めて参加したフランス・ワールドカッブでは、日本はトゥールーズでアルゼンチンと戦い、残念ながら○対一で敗れました。しかし、試合後のトゥールーズ市庁舎前の広場には、戦いを終えた後の国やチームを超えたサポーターが同士の幸福な一体感が満ちあふれていました。ワールドカッブに出場できるとは、こういうことかと知りました。》(99p)そして言う。《ワールドカップがもたらす一体感は「最も美しい村」運動に通じるのではないか。そう私は直感しました。》(99P)

ここでの結論はこうです。

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『スマート・テロワール』(3) 「水田の畑地への完全転換」で開ける夢の世界 [置賜自給圏構想]

昨年9月のコメ概算金をめぐるニュースは、農家でなくてもショッキングでした。


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コメ概算金低調、農家から悲鳴 「言葉ない」「離農も」   20140913日 07:56


 JA全農山形が決めた2014年産「はえぬき」の概算金は8500円と前年の11千円を大きく下回り過去最低となった。日本一のブランド米を目指している「つや姫」も前年より1200円安い12500円で、他の主要銘柄も8千円台の厳しい数字が並んだ。県内の稲作農家からは12日、「予想以上の低さ」「このままでは農家をやめざるを得ない」と悲鳴が上がった。


 15ヘクタールで「つや姫」「はえぬき」などを栽培する川西町尾長島の小形耕一さん(59)は「言葉がない」と肩を落とした。国は主食用米の過剰傾向を受け、飼料用米の生産を促すが「飼料用米の受け皿がしっかり示されない現状では取り組めない」と話す。


 「低くなるとは聞いていたが予想以上だった」と話すのは村山市湯野沢の石川賢也さん(43)。来年以降も低い価格が続くようであれば「農家をやめざるを得ないだろう」と漏らし、行政の補助拡充を期待する。


 「あきたこまち」や「ひとめぼれ」を作る新庄市十日町の高橋保広さん(67)は「『農家をやめろ』という意味に捉えた。このままでは赤字で農家は皆途方に暮れる」と憤る。「政府は環太平洋連携協定(TPP)交渉妥結を目指し、米国や豪州に対抗できる大規模化を進めようとしているが、これでは大農家ほど経営が厳しくなる」と訴える。


 12ヘクタールで「つや姫」「はえぬき」などを作付けしている鶴岡市谷地興屋の草島孝男さん(68)は「リタイアする農家の農地を引き受けるなど来年以降の作付けを見直さなければいけない」と不安を隠さない。新規就農者への影響も懸念し「国は未来を担う若手や頑張っている農家への支援を手厚くしてほしい」と語った。


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『スマート・テロワール』(2)この本で世界は変わる! [置賜自給圏構想]

(社)置賜自給圏推進機構の事務局から、120日の「元カルビー社長 松尾雅彦氏を囲んでの意見交換会の件」の案内が入ったのはその前々日。松尾さんについては「飯豊・農の未来賞」の最優秀論文「いよいよやってきた、豊穣の地飯豊町活躍のチャンス!30年かけて、めざすは『アルカディア』」を読んでいたのでぜひ話を聴きたくて行ってきました。ほんとうに行ってよかった。12月に発刊されたばかりの『スマート・テロワール』を買ってサインをいただいてきました。

 

昨年8月、置賜自給圏推進機構が社団法人として正式に発足し、部会ごとの活動が始まっていました。私は「地産地消部会」に入れていただいて、2回の会合に出席してきました。10人ぐらいの集まりですが、いいメンバーがそろって、さらに座長役の舟山康江さんのさすがの仕切りで中味の濃い内容でした。ただ、先の展望があるかというと、まだまだ心もとない暗中模索の状態で、「自給圏構想はせいぜい枠外でのあがきなのだろうか」というのが正直のところでした。『スマート・テロワール』の次の記述に重なります。

 

《「どんなにシビック・アグリカルチャーが広まったとしてもグローバル・フードシステムを代替することはないし、いわゆる、グローバル・フードシステムの外で、あるいは、その内部で、マイナーかつ例外的なサブシステムとしての地位に甘んじて存在し続けるだけではないか。・・・グローバル化の擁護者たちはこういうだろう。『昔はよかった』的な懐古趣味に陥っても、世の中は変えられない。もう昔に戻ることも、グローバル経済を止めることもできないのだから。」》81p

 

しかし、松尾さんの話を聞いて、状況はがらっと変わりました。

 

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『スマート・テロワール』(1) 書評 [置賜自給圏構想]

スマート・テロワール.jpgAmazonレビューに投稿してきました。

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読む前と読んだ後では「世界」が変わる!確実に
★★★★★

隅から隅までよく行き届いた啓発の書でした。

 「スマート・テロワール」とは、
地域内でのできる限りの自給を目指す地域ユニットのことです。川勝平太静岡県知事によれば、「美しく強靭な農村自給圏」ということです。
読み進める中で、いま日本がかかえる3つのムダが浮かんできました。その3つのムダの有効利用が、著者の説く「スマート・テロワール」の実現によって解消に向かうであろうことがよく理解できました。

摂取カロリーと供給カロリーの比較推移.jpg
○「食べ物の1/3は口に入ることなく棄てられる」ムダ
 1970年代日本は、食料の「供給不足時代」から脱却して「供給過剰時代」になりました。しかし、《我々が食べる量は毎年減っているのに、マーケットに投入されている食べ物の勢いはとどまることを知りません。消費カロリーと供給カロリーの差がどんどん広がっているということです。消費されているのはわずか三分の二で、それ以外の三分の一がロスや廃棄されていることを意味します。》(29p)
○「100万ヘクタールの農地が過剰状態」のムダ
《全国で水田は270万ヘクタールありますが、その内約100万ヘクタールの水田が過剰で休耕田や耕作放棄地になっており、、維持するために莫大な国費をかけています。》(34p)農業
の進歩で反収増加(200kg→600kg/100年間)の一方でのコメ需要は半減、過剰水田の有効活用策はなおざりのまま、金に飽かせた補助金づけ。農家はいつのまにかユデ蛙。
○「160万人が『つとめ』を果せない」ムダ
 ニート(若年無業者)数60万人、さらに40歳以上のひきこもり推定100万人とも。
 
《食料品の場合、30%が捨てられています。利益の追求を至上目的にしたあげく、労働時間は増えて、休暇も取れず、作った商品は捨てられるという本末転倒な事態に陥っているのです。》(190p)娘が、専門学校時代のアルバイト先(学生食堂)で、食べ残しや売れ残りが惜しげもなく捨てられるのを見て「耐えられない」と辞めたのを思い出しました。その娘、義務教育はずっと学校に不適応、「困った娘」でした。ニートの多くは市場経済的利己主義への不適応、今の世の中では役立とうにも役立てない、がんばろうにもがんばれない。

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日本の不幸と救済への方途(みち) [置賜自給圏構想]

昨晩、おととい届いたCIA秘録』の第12章「自民党への秘密資金」の章を読み、今の日本が全くそのままの路線をあたりまえのこととして歩んでいるという現実に、救いがたいどうしようもなさに落ち込んで眠りについたのだったが、今朝『井筒俊彦』(道の手帖)の表紙に「中島岳志」の名前を見つけて「『東洋の理想』の行方 大川周明と井筒俊彦」を読み、ぞくぞくした思いになって、この思いを書き留めておかねばと書きはじめました。


ぞくぞくしたのは最後の結びを読んだからです。「大川周明は朝鮮支配を肯定し、中国のナショナリズムを見誤っている。」とした竹内好の論を受けての文章です。


《しかし私たちはもう一歩先を問わないといけないであろうと思います。大川の考えた「宗教」と「政治」が一体化するのは具体的にどういうことなのか。それは本当に全てが危険な道なのか。大東亜戦争のようなものを必然的にもたざるを得ないものなのか。また、他方でそうでない道がありえるのか。私はそうではない道がありえると思っています。しかしそれは二十一世紀の今、最も可能性のあるヴィジョンの一つでありながら、最も危険なヴィジョンでもあるでしょう。しかしこれこそが井筒俊彦と大川周明の二人が立ち、そしてこれから先を示す地平なのではないかと思っています。》

 

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現代文明の根本課題を「外需と内需」という切り口で抉り出すすごい文章(マドモアゼル愛さん) [置賜自給圏構想]

置賜自給圏構想を考える上で、この上ないヒントになるいい文章を読んだところです。大事な文章に出会うと、いつもはそれに関連する記事のコメント欄にメモっておくことにしており、今回は8月3日の置賜自給圏推進機構設立総会 の記事のコメント欄に載せようと思ったのですが、置賜自給圏を考える上で読むほどにありがたい文章で、ぜひより多くの方に読んでいただきたく新たな記事として紹介させていただくことにしました。

マドモアゼル愛さんは「人生相談」(山形放送ラジオ午前11時から)でおなじみです。ラジオで聞いていると穏当な方ですが、文章はラジカルです。「急進的」というより「根元的」という意味合いの強い「ラジカルさ」です。「なるほど!」と心底うならされる文章を書かれます。そういう文章をこれまで何度か本文の中で紹介したりコメント欄にメモらせていただいています。いま探したらこれだけありました。
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2011-03-27
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2012-01-13
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2012-05-10
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2012-08-19
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2013-05-06
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2013-09-10
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2013-11-23
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2014-03-19

「外需と内需」という切り口から、現代文明の問題点を剔抉(てっけつ/えぐり出す)、さらにこれからの新文明のありかたを展望した文章です。あらすじがわかる
ポイント、以下の通りです。

 

《真の内需中心の文化と経済が達成された暁には、この世は確実にユートピアになります。》


《外需文明が今、行き詰っています。外に物を売ってもうけてきた企業がどんどん苦しみ出しています。


内需なら人の喜びと幸福と直結しない限り成り立たない文明、文化、経済となるので、行き詰りはありません。 


内需でしか、本当には儲けることなどできないのです。イノチと直結しない物やサービスなど、どんな価値があるというのですか。すぐにばれてしまうものばかり。》


《内需の最大のものは、故郷の自然の復活かもしれません。美しい郷土を再びよみがえられせることができたら、観光業がこれまでと違ったレベルで再生できるでしょうし、自然の復活は地球が求めているものです。》 


まさに「置賜自給圏構想」が求めているところなのではないでしょうか。

じっくり読んでいただけたらと思います。 

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