第5回宮内七夕(8月7日) [熊野大社]
オミコクづくり [熊野大社]
今年のハコバヨイ、80歳(7月27日81歳になる)の頭取が十数年ぶりに箱を負った。そして私が、納所長の片平仁君とともに箱添(ハコゾエ)の役を務めた。本来は屈強な納所(ナッショ)の役割だ。片平君にしても60歳。彼は代々獅子冠事務所員の家柄で、若い頃は農青会員として参加、親が病いを得た十年ぐらい前から親に代わって事務所に入った。空白期間はあるが、獅子冠事務所のかつての形についてだれよりも知っている。屈強とは言えないが、農業と長距離選手としてならした体をもち、頼りになる。それにしても二人あわせて130歳のハコゾエ出現をだれが予想し得たか。箱を負う頭取とあわせると210歳。そこに至るにはそれなりのドラマ(葛藤)があったのだが、それにはふれない。
ハコゾエには若水汲みという重要な役割がある。ハコゾエはかつて2〜3回務めたことがあったが、屈強でもなんでもない私には遠い役割だったので、25日早朝の若水汲み、そしてその若水を使ってのオミコク(黒豆フカシ)づくりについてもほとんど経験がない。それを今年はつぶさに経験(観察)、記録できたのがありがたかった。
以下、黒江太郎著『宮内熊野大社史』(昭和51年)の「オミコク」の項。
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北条郷熊野の夏まつり「若衆熱気、雨飛ばす」 [熊野大社]
埼玉県白岡市の獅子博物館から [熊野大社]
祝!県知事賞「出番前」 [熊野大社]
須藤さんの作品は薄暗い屋内で祭りに出る支度をしている男性に窓から一筋の光が差した場面。大西さんは「自然の光が晴れの舞台に出る人を美しく照らした瞬間を生き生きと捉えた。静かな空間だがプリントの隅々から情感があふれている」と評価した。
大西さんは出品者が詰め掛けた2日間の公開審査について「山形の写真熱をうれしく思う」とし、作品レベルを向上させる要点として「写真の絵作りがパターン化しているようだ。技術だけではなく、自らの感性、個性をさらに掘り起こす努力が必要。名作を数多く見て学んでほしい」と話した。
県内の21~90歳の愛好家584人(昨年比41人減)が出品した計2444点(同100点減)から入賞12点、準入賞と努力賞各10点、入選466点が選ばれた。審査員と無鑑査認定者などの作品を加えた計523点を23日~3月20日、山形美術館で展示する(月曜休館、最終日20日は開館)。入賞・入選者名簿は20日付、入賞作品は3月初めの本紙で紹介する予定。須藤さん以外の入賞者は次の通り。
県写真連盟会長賞=江部誠吉(米沢)▽山形新聞社長賞=芳賀長悦(寒河江)▽山形放送社長賞=斎藤妙子(上山)▽山形美術館長賞=冨樫馨(酒田)▽県議会議長賞=早坂武弘(尾花沢)▽県教育委員会賞=須貝国男(山形)▽県生涯学習文化財団賞=石垣弘一(遊佐)▽山形市長賞=冨樫美穂(鶴岡)▽山形市議会議長賞=黒田清美(米沢)▽山形市教育委員会賞=高橋克巳(天童)▽県写真材料商組合長賞=小田原光穂(酒田)
『宮内熊野に獅子が舞う』全国発信。本日午後6時〜 [熊野大社]
②東京MXテレビ 3月11日(土) 12:00~12:55(関東圏)
第527回山形放送番組審議会でこの番組が取り上げられ大変好評だったということで、12月27日に山形県内YBCで再放送されました。今日の放映については今年の年賀状でも知らせたところでした。→
2. 開催場所 山形メディアタワー
3. 出席委員 長南博昭委員長 深山洋副委員長 大泉満佐子委員 田澤薫委員 髙橋勝幸委員 赤沼明男委員 松田道雄委員 井上智博委員
4. 議事
テレビ番組 『ダイドードリンコスペシャル 日本の祭り「宮内熊野に獅子が舞う」』
5. 議事の概要
本間社長の挨拶のあと、社側からは「視聴率調査の結果」「視聴者からの声」「今後の自社制作番組と編成」「テレビ・ラジオの10月改編」などについて報告をしました。
次にYBCのテレビ番組『ダイドードリンコスペシャル 日本の祭り「宮内熊野に獅子が舞う』の制作担当者が番組の企画意図などについて説明の後、番組を視聴合評しました。
委員からは、「冒頭の太鼓のBGMの迫力や活気と、神殿で行われる神聖で厳かな神事とのコントラストが良かった」「この祭りのことを知っている人も知らない人も興味をもって、来年には行きたくなるような作りだった」「30年前の映像を使うなど今と昔を対比させることで歴史の深さを知ることができ、説得力があった」「神事の行程を丹念に追うことで祭り全体の仕組みが分かった。貴重な映像資料にもなる」といった意見がありました。
一方、「今後の推移も気になる。継続して報道していくことで番組が生きる」「それぞれの神事の名前がすべてカタカナ表記だったのはなぜかなと思った」「拝殿や石段の場所、みこしの出る場所など熊野大社の見取り図のようなものがあれば理解しやすかったと思うといった意見も出されました。
日本最初の渡来仏像「善光寺如来」は置賜に在る!? [熊野大社]
山形新聞毎週月曜日連載の「ふるさとの文化財」、今週(1/30)は米沢市・法音寺の「金銅五鈷杵・金銅五鈷鈴」だった。《米沢市御廟I丁目にある法音寺は上杉家の菩提(ぼだい)寺で信州善光寺(長野市)から伝わったという善光寺如来を秘仏として祭る。如来尊善光寺の本尊とされた貴重仏像だが、上杉謙信と武田信玄による川中島の合戦(1564年)の際、戦火を避けるために謙信が保護、後に上杉景勝が米沢に移したとされる。この如来尊と一緒に伝来した善光寺如来尊付属宝物があり、その一部が密教法具の金銅五鈷杵と金銅五鈷鈴。》とある。この機に「善光寺如来を秘仏として祭る」ことの重大さをあらためて認識すべき時であると思う。なぜなら、6世紀(BC552)、百済の聖明王より欽明天皇(539-571)に仏像や教典などが贈られた事実をもって日本への仏教伝来とされるが、その時の仏像がその「善光寺如来」なのである。「貴重仏像」その極みである。その後仏教受容をめぐって蘇我対物部の争いが起り、物部氏ら廃仏派によって難波の堀江に捨てられていたのを、信濃の本田(多)善光(若麻績東人とも)によって拾われた。信濃に運ばれて自宅に安置していたが、後に皇極天皇(女帝/642-645)によって善光寺が建立され、その御本尊として安置されるようになったと伝えられる。(『善光寺縁起』に皇極天皇が地獄に堕ちていたのを善光が現世に呼び戻したという話があります。善光とは善光寺を創建した人です。/蘇我氏と物部氏が仏教導入で争い、難波の堀江に捨てられた仏像を信濃に持ち帰ったのが本田善光です。ところが、善光の長男の善佐が突然亡くなります。悲嘆にくれる本田夫妻を、阿弥陀如来(難波の堀江から連れ帰った仏像)が不憫に思い、地獄の閻魔に命令して、善佐を蘇らせることになりました。/善佐は「この世」へ戻る道すがら、“鬼に引き立てられて地獄へ堕ちていく高貴な女性”とすれ違います。尋ねると、なんとそれは皇極天皇でした。生き返った善佐から話を聞いた善光は、阿弥陀如来に女帝の助命を願います。そしてめでたく女帝は蘇生されました。皇極天皇は善光・善佐の手柄を褒め称え、善光の家の場所に、立派な如来堂を建立する詔を発せられました。これが「善光寺」の始まりです。http://blog.livedoor.jp/mappkakr-kaikatudo/archives/67441112.html)
謹賀新年 [熊野大社]
なんとか改めねばと思いつつ、大晦日ギリギリまで仕事に追いまくられていた頃の名残りで、年賀状は大晦日の晩から書き始めて年が明けてから投函するのが通例だった。今年は熊野大社の総代ということで2時からの大祓式、夜中の除夜の鐘、新年参拝参列があることから、30、31日に投函を終えていた。これで実に清々しい気持ちで新年を迎えることができた。「本来年賀状は年が明けてから」というのが屁理屈であったことをあらためて認識させられた次第。
2時からの大祓式、参列者50名ほど、われわれ総代以外地元の人は誰もいない。みんな遠くからの方々とのこと、神社のがんばりの成果でもありありがたいことだが、地元の人にも大祓の意義を知ってもらう努力も必要と思う。茅の輪くぐりをやるようになって何年経つだろうか。6月と12月、大晦日のこの行事も定着した。
夜の11時半頃神社へ向う。宮町通りの通行規制で粡町を通る車が一年でいちばん多くなる。粡町通りのイルミネーションはこの日だけは夜通し輝く。16、7年前「雪洞(ぼんぼり)まつり」の時につくった「粡町商店街」の幟12本を久しぶりに引っ張り出して通りをかざった。複数の型でつくったスクリーン捺染の幟。デジタル化した今となっては記念碑的アナログ製品。当時を思って感慨深い。
まだ通りを歩く人はほとんどないが、石段まで行くともうゾロゾロ。太々神楽100年祭に向けた幟が立つ。30日の夕方納めたものだ。仕事納めとなった製品。
除夜の鐘を撞くのは初めての経験。順番を待つ列が続いている。「宮内熊野に獅子が舞う」の主役佐藤秀一君、毎年108番目の札をもらって、納めの鐘を撞いているという。私は総代ということで、10番札をもらって待つ。
午前0時と同時に今年の一番鐘は近藤洋介代議士だった。近く(南陽市金山)に住む鈴木憲和代議士の姿もあって、山形二区の両代議士が揃って熊野大社で新年を迎えた。当社の霊験あらたかの象徴か。初めて鐘を撞いたが、いい音を出すにはコツが要るようで、満足した出来ではありませんでした。それにしてもこの音で宮内じゅうに響くのだから、その威力を思い感銘。
『宮内熊野に獅子が舞う』全国発信へ [熊野大社]
②東京MXテレビ 3月11日(土) 12:00~12:55(関東圏)
第527回山形放送番組審議会でこの番組が取り上げられ大変好評だったということで、12月末に山形県内YBCでの再放送が決まっています。現在日程調整中とのことですので、決まり次第お知らせします。
『宮内熊野に獅子が舞う(承前) ダイドードリンコの「祭りの哲学」 [熊野大社]
(この記事の写真はすべて「祭り写真館」から転載させていただきました。)
『宮内熊野に獅子が舞う』を見た方から感想をいただくことが多い。とりわけうれしかったのが、毎月一日の熊野大社月例祭でお会いする高畠町の方の「宮内の人はほんとうに神様を大事にするんですね」という感想だった。前回の記事、《それにしても今回の番組、「お祭りは基本的に御神事である」という視点を外さずにつくっていただけたことが何よりもよかった。スタッフの皆さん、ほんとうにおつかれさまでした。そしてほんとうにありがとうございました。》と結んだが、それは実は、ダイドードリンコさんの「祭りの哲学」に由来することに気づかされた。というのは、メモ替わりに使っているボイスレコーダーをたまたま整理していたら、ダイドードリンコさんと山形放送さんの担当方々が宮内にお出でいただいた時の録音が出てきたのだが、それを聴いてあらためて、今回の放送内容がそもそもダイドードリンコさんの祭りについての考え方、捉え方に由来することを思わされたのだった。山形放送さんがそこをきっちり受けとめての番組づくりだった。北野達宮司の発言もよかった。。以下眼目部分。