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長白山行(12) まとめ [メモがわり]

「もしどこへでも行けるとして、どうしても行ってみたい場所はどこですか?」と問われたら、「白頭山」と答えていたかもしれない。実際にその場所に行ってみるまで行くことが信じられなかった今回の旅だった。行って帰って、とにかく出来る限り記録しておかねばならないと書き始めて、12回を重ねた。書いてる中で、「なぜ白頭山なのか」の答えも見つかった。旧参の同志にはわかりきったことなのかもしれないが、私は初めて得心した。このことがわかって、友清先師の文章がまた別の輝きを発し出したように思える。

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長白山行(11)白頭山天池⑨ [メモがわり]

「北坡山門」の画像検索結果旅の行程に戻る。

瀑布をめざすDSC_1811.jpg西坡山門からと北坡山門、2コースから長白山に登り、2度とも晴れた天池を拝し十分満足しきっていた。しかしさらに、この日は長白瀑布行が組まれていた。一旦ジープで北坡山門まで下り、バスに乗り換えて平行する西側の道路を登って瀑布登山口に着く。そこから1500mぐらいあるらしい。せっかくここまで来たからにはと、長老二人には下で待ってもらい、艾さんに同行してもらって3人は出発。しかし私も竹さんも400mぐらい登った聚龍泉温泉の休み場まで来たところでダウン。元気のいい古森さん一人先に進んでもらうことにした。瀑布を遠くに望める場所もある。艾さんに缶ビールを買ってもらって、昨日の晩餐の残りのピーナッツを取り出して腰を下ろす。ここからちょっとした日中交流が始まった。

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長白山行(10)白頭山天池⑧ 豊受大神のこと [神道天行居]

なぜ豊受姫神なのか。『古道神髄』より。《豊受姫神は愛の女神であり、仁慈の女神であり、平和の女神である。この大神を天行居で地上霊的気線の要点の一たる白頭山天地に奉斎したのは天行居の大理想が皇道の大義に基く世界恒久平和にあるからである》。さらに、《人間世界に於て極めて尊いものの一つに愛といふものがある。その愛の中でも母の愛ほど純真で崇高なものはあるまい。母の愛は全く犠牲的な愛であり無条件の愛である。それを詳しく語れば一大冊子を成すであらうが実に母の愛といふものは底の知れないものである。/ 私は其の母の愛を考へる毎に、必ず畏れながら豊受姫神様の犠牲的な、無条件な大きな神愛を思はざるを得ぬ。豊受姫神様の愛が、地上の人々の母の愛としてあらはれて居るのではないかと考へる。》そして伊勢の内宮、外宮を鑑み、《畏れながら天祖天照大御神の思召しによって豊受姫神の御宮を皇大神宮に並べて造営せしめられ、祭儀の如きも殆ど皇大神宮同様に奉仕せしめるやう神勅を下し給へる神慮は吾吾如きものが彼れ此れ評議すべきことではないが、天祖の大神徳の愛の方面の御表現が豊受姫神の愛の御神徳で地上の生類みな其の洪大なる恩頼を蒙らざるものはない。》 さらにその後につづく文が《内宮と外宮との或る霊的交渉が太古神法の根幹をなせるものであるが、そのことは其のことの輪郭だけでも到底語るわけには行かない。》で、要するに豊受姫神様は、地上に於いて母の愛として顕現する愛の女神である、ということであろう。そしてなぜそうなのかは、太古神法に関わるのでそれ以上の詮索は無用ということなのだろう。正直なところ、隔靴掻痒感がぬぐえない。そこを補強してくれるのが『秀真伝(ほつまつたえ)』と、私には思えている。

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