石貨について〜suyapさんからの返信へ③〜 [思想]
mespesadoさん、さらに堺のおっさんのありがたい参入によって課題の方向が、私にとって明確になってきました。
①私とsuyapさんとのやりとりから浮かび上がった課題:「オカネの要らない世の中」をどうイメージするか?
②mespesadoさんとsuyapさんのやりとりのテーマ:そもそも「石貨」とは?
③堺のおっさん提起の「里山」問題から:これから日本の「コミュニティ」の形は?(「べき」論ではなく、「自然の流れ」として)
①>おカネが介在しない共生社会は、関係性が濃過ぎてしんどくもある社会
「関係性」をしんどく感じるのは、そこに「勝他(=優劣)」感覚が入り込むからです。(→参考:https://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2012-10-08)「豊かさ」がその感覚を溶解させます。そうなっているのを、とりわけ若い世代に感じます。「勝他」感覚で生きてきた団塊世代も、すっかりまろやかになっています。
>安易な「同類」囲みは危険です。まして規模的数的に優位な側からのそういう見方は、劣位な相手にとっては脅威
私の受け止めは、「鯛:ヤップ人/鰯:日本人」でした。ただ、ヤップ人と日本人は「同類」であっても、男と女は「鯛と鰯(注・どっちがどっちでなく)」か、と家内なんかも浮かべつつふと思ったりしています。
②suyapさんから、↓ この言葉を引き出していただいたのがありがたいです。私にとっての課題解決にいい手がかりになります。
○キャッシュ/おカネは交換した時点で「関係性」が切れるもの
○ヤップの石貨など伝統的お宝は、交換を通して「関係性」を作るもの
○ヤップの石貨など伝統的お宝は、交換を通して「関係性」を作るもの
学生時代、『資本論」(長谷部文雄訳 大月書店版)を齧ったのを思い出しました。何にも覚えていないけど、「貨幣の物神化」だけは頭にこびりついていました。引っ張り出してみたら、第1部第1章第4節に「商品の物神的性格とその秘密」というのがあり、線がいっぱい引いてありました。「石貨」とどう繋がるかわかりませんが、再読してみたくなりました。
③南陽市吉野地区(荻・小滝)の「わらび園」は今も地区コミュニティで維持管理されています。また、学生時代聞いた小繋事件を思い出したところです。ただ、過去からたどる「コミュニティ」ではなく、これから自ずと発生する「コミュニティ」がありそうな気がしています。(過去のコミュニティのいい部分は、あるいは火種になるかもしれません。)
以上、まだまだ突っ込んでいきたいけれども、時間なのでここまでにします。
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