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mespesadoさんによる経済談義(142)「超重要!」のつづき [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

「超重要な議論です!」のつづき。今回もいつも通り淡々と述べられるmespesadoさんですが、鳥肌立つようなすごい議論です。「近代国家」にとって「税金とは何なのか」が、理屈でなく、くっきりとしたイメージを伴って理解できます。

「放知技」板のmespesadoさんの議論をこのブログに転載させていただくのは、誰のためでもない、こうすることで私自身mesさんの議論をじっくり読むことになるからです。淡々とごく当たり前のことを言うように書かれるmesさんですが、その背景には「産みの苦しみ」があるはずです。そうしてはじめてたどり着ける「真実」、すなわち「だれにも納得できる」地平です。mesさんは前人未到の世界を切り拓いておられるのです。今回の議論、ひとりでも多くの方にじっくり読んで腑に落としていただきたいです。そのことで自ずと世界は変わります。

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713:mespesado :2019/10/19 (Sat) 10:17:36
>>699
 補足です。私はそこで
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■ミクロの場合■
 収入が増える → オカネは増える
 支出が増える → オカネは減る

□マクロの場合□
 収入が増える → オカネは減る
 支出が増える → オカネは増える
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という「ファクト」を力説しました。先入観のある相手の注意・関心を向けるには逆説的な、一見常識の正反対のファクトを提示させることが有効だからです。
 しかし、次に来る反応は「そんなバカなことがあるか!」です。いくら、上のファクトを理屈で説明して、その理屈そのものの穴が見つからなくても、オカネは経験でよく知っているからという意識がある相手は、その自分の経験から来る常識に反したことを言われると、「うまいこと胡麻化して騙しているのではないか」とまず疑い、「アブナい話にはかかわるな」の本能が発現して、話題を変えようとすることでしょう。
 なので、やはり次に放つべきは、「一見常識に反しているように見えるが、その常識がここでは通用しないということを腹でわかる、腑に落ちる」ように持っていくことです。
 この場合、どうして相手は腑に落ちないのか。それは、オカネに限らず、例えばバケツに水を入れる場合、収入(バケツに入れる水)を増やせばオカネ(バケツに溜まる水)が増えるのは当たり前で、それが減るなんてクダラない冗談としか思えないからです。
 そこで、腑に落ちる説明としては、「マクロの場合、『税収』って言葉を使って、いかにも税が『収入』みたいに呼ぶけど、これって誰の収入?」って訊いてみるとよい。「国家の収入でしょ?」と答えが返ってきたら「国家と言っても意味が広い。その場合の国家って、『日本政府』のこと、それとも『日本国民』のこと?」と畳みかけてみましょう
 そうなんですよ。『税収』は『日本政府』にとっての「収入」であって、『日本国民』にとっては「支出」なんですよね。
 同じく『財政支出』は『日本政府』にとっての「支出」であって、『日本国民』にとっては逆に「収入」なんです。
 これに対してオカネが「増える」、「減る」と上で説明したときの「誰のオカネが『増え』たり『減っ』たりするのか」というと、『日本国民』のオカネが増えたり減ったりすることを意味するわけです。だから、上で「□マクロの場合□」として書いたものは、「誰にとって」という部分を追加すると、

□マクロの場合□
 『日本政府』の収入が増える → 『日本国民』のオカネは減る
 『日本政府』の支出が増える → 『日本国民』のオカネは増える

ということになる。つまり「誰にとってか?」が矢印の左右で違うから、バケツの例とは一見真逆に見える結果が得られたわけですね。言ってみれば、

 『バケツ』に入れる水が増える → 『水道の貯水池』の水量は減る

という事実を二重括弧の中身を隠して

 入れる水が増える → 水量は減る

と書くと、正しいことでも一見逆説的でウソに見えるのと同じことです。
 財務省がよく言う「国の借金を国民一人当たりに直すと~」のレトリックも、実は「国の借金」が「日本政府の借金」のことで、「国民一人当たり」は「日本国民一人当たり」で、対象が違うんだからそんな概念を考えることがナンセンスなのとまったく同じ話です。
 とにかく「国家」という「抽象的で曖昧な」概念を扱う時は、胡麻化される可能性が高いですから特に用心が必要です。

715:mespesado :2019/10/19 (Sat) 10:48:01
>>713
 更に補足です。
 「国家」と言っても「日本国民」のことを指す場合と「日本政府」のことを指す場合がある、という話をしました。
 しかし、「国の借金ガ~」という話題のとき、基本的に「国家」とは「日本政府」のことを指します。だから、「□マクロの場合□」をこの基本に従って書き直すと、実は次のようになってしまいます↓

□マクロの場合□
 日本政府の収入が増える → 日本政府のオカネは「増える」
 日本政府の支出が増える → 日本政府のオカネは「減る」

というわけで、今度は矢印の右側の「増える」「減る」が最初に紹介したものとは逆になってしまいました。このように書き直すと、「ほら、やっぱり日本政府にとっての税収が増えたら日本政府のオカネが増えて善いじゃないか」という反応が返って来るのではないでしょうか?
 そこで次のステップが必要になります。
 「『日本政府』のオカネが増えて何かいいことあるの?」
 こう畳みかけるのです。ちょっと相手は戸惑うでしょう。だって、オカネが増えるのが善いことなのは、ミクロでもマクロでもどっちでも正しい、と既に説明したとおりだからです。
 実は『日本政府』という概念をもう少し一般化して『国家の統治機構』に置き換えます。昔の王様がいてこの王様(とその家臣たち)が国を統治していた時代には、「国家の収入」とは、王様一族にとっての収入でした。この場合の「国家の統治機構」は一般の家計と何ら変わりがありません。国家の中に王様一族という「生活者」が居り、彼らは自分の収入、つまり「税収」で生活して、彼らの生活費の支出が「国家の支出」でした。
 ところが、この仕組みが変わるのが近代国家です。中世のような意味での「王様」は最早存在せず、「国家の統治機構」というのは、国家の運営を司るための機能そのもののことを指すようになります。つまり、この時点で既に「国家」の内部には「生活者」という概念が居なくなっているわけです。 
 つまり、「国家の統治機構」は、内部に生活者が居ない単なる「箱」になっているのです。もちろん立憲君主やら大統領やら首相やら国家公務員という存在はありますが、彼らは最早「国家」の「内部」にいる「生活者」などではなく、普段は「国民」の一部であり、国家統治機構に雇われて仕事をしているだけです。ですから彼らの生活のための「収入」である「給料」は、国家予算という「国家統治機構」にとっての「支出」の一部に過ぎません。
 要するに何が言いたいかというと、近代国家における「国家統治機構」というのは、その中に「生活者」が含まれていないのだから、この「国家統治機構」それ自体がオカネを貯めたりオカネを稼いだりする必要なんて無い、ということなんです。だって、ただの「箱」なんですから。そこいらに転がっている段ボール箱を見て雨に濡れて可哀そうだからこの箱さんにお金を恵んでやろう、なんて奇特な人がいますか?それと同じです。
 つまり、「税金」というのは、集めたら即シュレッダーです。逆に「財政支出」はオカネを輪転機で刷って支出するだけです。ただ、現実には輪転機でオカネを刷るにはそれなりに新たに資源を使うので、もったいないから税金として回収した紙幣をシュレッダーにかけるかわりに、これを再利用して資源の無駄遣いを省こう、ってだけの話です。
 というわけで、近代国家において、「国家の統治機構」を家計や企業と同じように考えるのは、国家というものを王様が居た時代と同じように考えている、という意味で全くの時代錯誤であり、このことを理解できない人には「貴方、いったい何時代に住んでるんだ、ってことですよ」と丁寧に教えてあげることが大切です。

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