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mespesadoさんによる経済談義(140)超重要な議論です! [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

《税金は単なる貨幣の回収に過ぎない” と、理解できるようになりたい》という「この世は焼肉定食」さんの切実な問いに対するmespesadoさんの答え。身体で理解(身につける)しておかねばならない超重要な議論です。

家計・企業会計(ミクロ)では、「収入が増える」は「オカネが増える」ですが、国の会計(マクロ)の「収入が増える」ことは「(流通する)オカネが減る」ことです。「税収」が増えると、それだけ市中から貨幣が政府によって回収されてしまうため、市中に流通している貨幣はミクロの場合とは逆に「減少」してしまいます。一方、「政府支出」が増えると、その分だけ政府から公共事業への支払額として市中に貨幣が供給されますから、これまたミクロの場合とは逆に市中の貨幣は「増加」します。》

国の会計(マクロ)では、オカネが増えすぎることでの過度なインフレを心配しなければなりませんが、日本の場合はその心配は要りません。日本のようにモノやサービスの供給力が限りなく沢山ある場合は、オカネが増えた分だけ買いたい量も増えますが、それに応じて生産量を増やすことが可能なので、実際に生産を増やせて、しかもそれがちゃんと売れるので、売る方も儲かるので、みんなハッピーになります。》

それなのに、そうしないで、増税によって国民の使えるオカネを減らそうという。どんどんオカネをつぎ込むべき災害時も相変わらずの「緊縮脳」でオカネはなかなか出回らない。家計・企業会計と国の会計とでは違うんだよ!ということが呑み込めなくなってしまっている日本人。個人原理の民主主義が、「国」を見誤らせている、ということのように思います。そもそも、オカネを集めてクニをつくったんじゃあない、はずです。

*   *   *   *   *

685:この世は焼肉定食 :2019/10/18 (Fri) 01:25:53
“ 同じ反緊縮でも、税金(国税)を財源だと思っているか、単なる貨幣の回
収に過ぎないと理解しているかでは、大きな違いがある。なぜなら、同じ消
費税減税もしくは廃止を主張するにしても、前者の場合だと「PB黒字化が
必要だ」という財務省のウソの洗脳から国民を目覚めさせることができない。」 ”
( >>684 mespesado 様 より )

多くの人は、税金(国税)を財源だと思っている…と思います。
“単なる貨幣の回収に過ぎないと理解している” Coooool な層はどれ位いるのかな?
そ〜ゆ〜自分も、 “税金は単なる貨幣の回収に過ぎない” と言うのが…、わかるような?
わからないような? で、これって簡単そうで単純そうで、でも、いざ理解しようと思うと
なかなか理解しづらいような…。 

インフレにならないように税金として回収する…?
それなら何で?今インフレにしたいのに財務省は回収する? 逆をやってどうする財務省!?
こ〜ゆ〜考え方でも良いんでしょうか?

ただでさえ少ない収入から税金を払っている庶民としては、どうしても徴税感がハンパないので、
なかなか「単なる貨幣の回収」と言う Coooool な考え方を理解するのは難しくって…。
ついつい↓こんな疑問↓が、浮かんでは消え…浮かんでは消え…。

・“単なる貨幣の回収”として回収された“(税)金”は、その後どうなるのかな?
・その(税)金の行方はいかに?  どのように使われているのかな? 
・それとも…税金として回収されたお金は、使わないで何処かにしまっちゃうのかな?
・政府の財源として、税金が色々な事に使われていると思っていたのは間違いだったのかな?
・財務省が渋々出す予算などなどは税金からだと思っていたのだけど、勘違いだったのかな?

なんて馬鹿みたいな疑問だぁwwwと、わらわれてしまうかもしれません。。。(⌒-⌒; ) 。。。
でも、財務省のウソには洗脳されたくないので、
“税金は単なる貨幣の回収に過ぎない” と、理解できるようになりたいです。。。_φ(・_・

699:mespesado :2019/10/18 (Fri) 22:11:15
>>685
> 多くの人は、税金(国税)を財源だと思っている…と思います。
> “単なる貨幣の回収に過ぎないと理解している” Coooool な層はどれ位
> いるのかな?
> そ〜ゆ〜自分も、 “税金は単なる貨幣の回収に過ぎない” と言うのが
> …、わかるような?わからないような?
> で、これって簡単そうで単純そうで、でも、いざ理解しようと思うとな
> かなか理解しづらいような…。 

 人間っていうのは、身近なものについては理屈で「理解」するより先に体感と経験で「判断」する、という特質があります。
 なぜなら、人間が生きていく上で日々、時々刻々やらなきゃならないことは沢山あるので、その各事項をいちいち理屈で考えて理解しながら実行したのでは脳のキャパを超えてしまって自分の体が制御不能になってしまうからでしょうね。
 しかし、人間は必要な時には理屈で考えて行動することもある。それじゃあ、経験や体感で行動する場合理屈で考えて理解してから行動する場合をどういう基準で切り替えているかというと、普段扱いなれているものは前者の基準で行動し、馴染みのない対象を扱う場合は後者の基準で行動する、というように人間というものは切り替えているように見えます。
 実際、大抵の場合はこういう使い分けでうまく行くんです。
 ところが中には例外があって、「オカネ」にまつわる話がその例外の典型的な例なんですね。
 オカネというものは、我々にとってあまりにも身近なモノです。だから、オカネに関する話は大抵の人が自分の体感と経験でものごとを判断します。
 ところがオカネには「ミクロ」の観点「マクロ」の観点があって、我々がいつも体感しているのは「ミクロ」な観点のオカネの方です。
 このミクロの観点では、「収入」が増えれば「オカネは増え」、「支出」が増えれば「オカネは減り」ます。こんなことは、我々は誰でも子供の時からず~っと経験しているから、考えるまでも無く当たり前だと思っています。だって、我々が身近なオカネへのかかわりの世界では、家計にしろ企業会計にしろ、この原則が当たり前に成り立っているからです。
 ところが「マクロ」の観点では、これが正反対になります。
 「税収」が増えると、それだけ市中から貨幣が政府によって回収されてしまうため、市中に流通している貨幣はミクロの場合とは逆に「減少」してしまいます。一方、「政府支出」が増えると、その分だけ政府から公共事業への支払額として市中に貨幣が供給されますから、これまたミクロの場合とは逆に市中の貨幣は「増加」します。つまり

■ミクロの場合■
 収入が増える → オカネは増える
 支出が増える → オカネは減る

□マクロの場合□
 収入が増える → オカネは減る
 支出が増える → オカネは増える

↑というわけで、マクロにおいては、我々の経験であるところのミクロの場合とは収支とオカネの増減の関係がまるっきり真逆になっているわけです。
 つまり、同じ「オカネ」のことを考える場合でも、我々が体感しているような「ミクロ」の場合には体感や経験で判断してもよいが、我々が体感していない「マクロ」の場合には、ミクロの場合の体感でそのまま判断するのではなく、逆に頭でしっかり考えて、理屈で判断しなければ間違うよ、ということなのです。
   ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
 というわけで、↓の質問に半分は答えたことになると思っているのですがどうでしょう?

> インフレにならないように税金として回収する…?
> それなら何で?今インフレにしたいのに財務省は回収する?
> 逆をやってどうする財務省!?
> こ〜ゆ〜考え方でも良いんでしょうか?

 で、残りの半分、すなわち「インフレにしたい」云々の部分ですが、これは上記でオカネの増減が我々の幸不幸とどういう関係にあるかという話にかかわってきます。
 ミクロな場合、すなわち個人の家計や企業会計の場合、オカネが増えれば増えるほどハッピーですね。これは、オカネがあればあるほどたくさんのものが買えますし、イヤな仕事を我慢して稼ぐ必要もなくなるからです。これはこんな理屈をいちいち考えなくても、我々の体感で判断できるとおりですよね。
 それではマクロの場合はどうでしょう?
 国がオカネを沢山持っている、すなわち市場に貨幣が沢山流通しているということは、モノやサービスの供給力以上にオカネがあると、いくらオカネがあっても提供できるモニやサービスは上限がありますから、セリが生じてモノやサービスの値段が吊り上がってしまいます。つまりインフレになってしまうわけですが、しかし日本のようにモノやサービスの供給力が限りなく沢山ある場合は、オカネが増えた分だけ買いたい量も増えますが、それに応じて生産量を増やすことが可能なので、実際に生産を増やせて、しかもそれがちゃんと売れるので、売る方も儲かるので、みんなハッピーになります。
 逆に、オカネが少なすぎるとどうなるかというと、モノやサービスをいくら生産しようと頑張って働いても、国全体の貨幣が不足していますから、オカネを持つ人が少なくなり、モノを買える人が少なくなるので必要な売上を得ることができません。その結果、生産しても生産しても所得は増えず、結局せっかく生産供給力が有り余っているのに消費が十分できず、皆不幸になってしまいます。
 つまり、日本のような供給力が十分ある国では、マクロにおいてもミクロの場合と同じで(ただし同じなのは結論だけで理由は異なる)、オカネは少ないのが「悪」く、多い方が「善い」のです。
 ということは、ミクロとマクロでは収支とオカネの増減の関係が逆で、今説明したように、日本ではオカネの増減と国民の幸不幸の関係はミクロとマクロで同じ。となれば、この2つの事実の論理的帰結として日本では収支と国民の幸不幸の関係はミクロとマクロで真逆である、つまり、ミクロでは収入が多ければ多いほど、支出は少なければ少ないほどハッピーなのに対し、マクロでは収入(=税収)は少なければ少ないほど、支出(=財政支出)は多ければ多いほどハッピーになる、ということになります。
 財務省の官僚どもが、こうした理屈が自分たちの利権に反するので、この結論を無理やり否定するために、上で述べた「インフレ」の害をことさら誇張して力説し、「マクロではオカネが増えるとインフレになるから悪なのだ」と反対の結論に持っていこうとしますが、残念ながら、日本は供給力が大変大きいため、ヘリコプターでお札を大々的にばら撒くと言うような「円の信用をわざとなくす」ようなバカげたことでもしない限り、インフレになんてなりません。彼らは途上国のような供給力に限界がある国の例をことさら取り上げてハイパーインフレになる~、とウソのプロパガンダを吹聴しているだけです。

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