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mespesadoさんによる経済談義(139)資本主義の根本エートス [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

《資本主義の強烈な支持者は、その手に入れたい希少価値のモノが「お金」なのだ。つまり、逆に言うと、「お金というものは、希少価値で無ければならない。」だから、お金というものが「いくらでも刷って増やせるもの」であっては困る》

なぜMMTの主張が広がりにくいのか。その根本は、「資本主義の根本エートスと相容れないから」との指摘です。「何のためのオカネか、考えてみよう」というmespesado理論出発点の再確認に思えて、以下を発掘しました。→mespesadoさんによる1億人のための経済講座〈Ⅱ〉(番外編2) mespesadoさんの思考の原点

そもそも日本には、世界一(農業も工業も)の品質の製品が、国民全員に行き渡って余りあるほど溢れているというのに、何で景気が悪くて手に入らないで不満足な消費しかできない人がいるのか、ということが不思議で仕方がありませんでした。/その原因を一言で言えば「貧富の差」なわけですが、「貧富」とは何を比較して言っているのかというと、持っている「オカネ」の量の差に他なりません。/そこで考えたのが、それじゃあ、経済活動からこの「オカネ」を消去して眺めてみたら?というアイデアでした。》http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16340424/301/

埼玉知事選のN国党立花氏、当初の目論見通りには行ってないようで、時代は「資本主義的エートスからの解放」という、もひとつ先に進んでいるのだと思います。「反緊縮」も、力まずに、正面突破とは別の方向から考えると案外展望が開けてくるのかもしれません。

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677:mespesado :2019/10/17 (Thu) 07:25:17
>>676
 今、西田昌司氏の『財務省からアベノミクスを救う』を読んでいますが、安倍政権下でPB黒字化を決めたのを「何でそんなバカなことしたんだろう」と思っていたんですが、その理由が書いてありました。
 つまり、安倍さんが以前に消費税10%への引き上げの延期を公約に衆議院を解散した際に、自民党の議員が財務省に完全に取り込まれていて、自民党の大多数が反対したため、バーター条件としてPB黒字化を約束し、しかも自民党内に財政再建に関する特命委員会を設置させられた、ということらしいです。
 野党は「PB黒字化は安倍政権のときに決定したんだぞ。安倍政権が緊縮を主導してるじゃないか」などと批判して安倍政権打倒ののろしを上げていますが(これは反緊縮界隈でツイッターで騒いでいる連中も同じ)、全く裏事情を知らないで敵を見誤っているとしか言いようがありませんね。
 それにしても財務省の奴ら…(怒)

684:mespesado :2019/10/17 (Thu) 22:16:48
>>682 >>683
 立花さんは、「税金の無駄遣い」という表現を使っている。加えて、「消費税を5%に戻す」と主張するのは良いが、そう主張する根拠として「消費税率を下げた方が沢山買い物をして消費が増え、かえって税収が増えるから」とも言っている。このことからもわかるように、立花さんはやはり「税金は財源だ」と思っているように見える。
 同じ反緊縮でも、税金(国税)を財源だと思っているか、単なる貨幣の回収に過ぎないと理解しているかでは、大きな違いがある。なぜなら、同じ消費税減税もしくは廃止を主張するにしても、前者の場合だと「PB黒字化が必要だ」という財務省のウソの洗脳から国民を目覚めさせることができない。後者の事実を国民に突き付けたとき、初めて洗脳から目覚めさせることができる。今、政治で一番求められているのは、目先の消費税減税なんかではなく、今後の消費税増税の阻止とか、積極的な財政出動を国会議員に認めさせること。その目的のためには、「税金は財源ではない」のだから「そもそもPB黒字化は必要ないのだ」という事実を、国会議員や、それを選ぶ国民に真に理解させ、納得してもらわなければならない。
 だから、その点では立花さんには残念ながら期待できない、ということになる。じゃあ、なぜ立花さんみたいな人はMMTのいうような「オカネはインフレにならない限りいくらでも刷れる」という不換貨幣の本質を語らないのか。それには実は根本的な理由がある、と思う。
 別スレで焼肉定食さんが要約したように、立花さんはこうも言っている↓

> 格差のある社会がダメだと言っているのではなく、適切な競争による格
> 差は必要。
> 嘘やダマシにより出来上がった現在の格差はいけない。

 これは、新自由主義者とまでは行かなくても、共産主義が(それどころか社会主義すら)大嫌いな、米国流の資本主義を強烈に支持する人達に共通の意識であり、彼らはハッキリ言うと、「お金が好き」なんである。いや、もうちょっと正確に言うと、「お金を獲得する競争が好き」なんである。
 これはオリンピックで金メダルを取りたいアスリートや、タイトルを取りたい囲碁、将棋のプロも同じで、要は「量が限られた、希少価値のモノを手に入れるための競争が好き」ということである。事実、金メダルはその金が値打ちがあるからというよりも、「1位は一人しかなれない」という希少価値に価値を見出しているのに他ならない。囲碁や将棋のタイトルや、それからノーベル賞だってそうだろう。これらはいずれも数に限りがある。
 つまり、資本主義の強烈な支持者は、その手に入れたい希少価値のモノが「お金」なのだ。つまり、逆に言うと、「お金というものは、希少価値で無ければならない。」だから、お金というものが「いくらでも刷って増やせるもの」であっては困るのだ。
 米国や欧州で、「オカネはインフレにならない限りいくらでも刷れる」というMMTのようなことを主張するのがいつも左派なのは、以上のような理由であるに違いない。

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