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mespesadoさんによる経済談義(121)日本ならではのヴィジョン [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

mespesadoさんに前回記事『純粋機械化経済』からの引用に注目していただきました。ソサエティ5・0が評価されます。mespesadoさんの指摘から、日本の目指す方向(ヴィジョン)がさらに見えてきます。日本でなければできない、そういうヴィジョンです。

1.緻密な製造業に裏打ちされたソフトウェアの開発》
2.モノの供給力が高まるということはオカネも必要でなくなるということ》もっと楽に、もっと便利に生活できるような技術開発に目を向けた方がよい。その方が誰かをディスるよりずっと楽しいし、未来の人類からも感謝される》
ただし『純粋機械化経済』の方では、ソサエティ5・0を評価しつつも、悲観的な文章が出てきます。《AI ・ITを発展させて勃興する中国とは対照的に、日本は没落しつつある。アメリカ、 中国、インドといった超大国によって未来に繰り広げられる覇権争いの土俵に、日本は上がることすらできないだろう。/科学技術の振興に失敗し、巨大IT企業が存在しない日本は予選落ちのありさまで、今から人権を無視してデータ集めに奔走したところで勝てるわけがない。 我が国は、 このまま順調に推移すれば、覇権どころか次々と追い抜かれて「俊進国」の地位へと転落するだろう。》(49-50p)第三次産業革命期に、日本はアメリカに完全に敗北した。私たちの利用しているネット上のサービスは、フェイスブック、グーグル、アマゾン等々である。バソコンのオペレーティングシステム(基本ソフトウェア、OS) はマイクロソフトかアップルが提供したもので、スマホのOSは大半が、グーグルかアップルの産物だ。/この革命では、デジタル空間の勝負だから負けたが、第四次産業革命では実空間の勝負となるから、モノづくりに強い日本は有利ではないかという期待が抱かれている。 そうであれば、日本はこの革命で逆転できるだろう。/しかし、AIを含むITが実空間に進出し、ビットがアトムを支配するようになる第四次産業革命では、 ありとあらゆる局面でITが勝負の決め手となる。あらゆる産業がIT産業となるので、企業はIT企業にならなければ生き残れなくなる。 だとすれば、ITが不得手な日本はますます不利となる。(経済協力間発機構 (DECD)による2013年の国際成人力調査では、日本人の大人の読解力と数的思考力は、 OECD24ヵ国中ともに1位だ。にもかかわらず、「ITを活用した問題解決能力」は、11位とかなり順位が落ちる。・・・「加えて、10代の子供たちのバソュン保有率は主要国の中で飛び抜けて低く、 この先さらに日本人のITスキルが相対的に下がっていく可能性は高い。さらに、日本では経営者の平均年齢が高い。年輩者ほど先端的な技術についていくのは難しい傾向にあるので、日本企業はITの導入に対してしり込みしがちだ。例えば、クラウド会計ソフトの導入率は、 アメリカで40%、イギリスで65%であるのに対し、 日本は14%ほどである。/日本企業がAIを含むITを使いこなすのが苦手だとすると、 自動車産業のようなモノづくりの分野でも、 劣勢に立たされるようになるかもしれたない。》(50-52p)著者の危惧はここにあります。↓

《もはや日本は科学技術立国としてやっていけるかどうかの瀬戸際に立たされている。日本は科学技術の研究という最も付加価値を生むクリエイティブな営みに、時間もお金を費やさなくなっているのである。今のところ、改善しようという気配すらまるで感じられない。/こうした危機的事態については、 文部科学省だけでなく、予算を割り当てるとともに研究·教育行政に口を出す財務省や危機意識が足りない政府、私も含めた大学教員にも責任はある。/このまま何の手も打たなければ、日本そのものが「後進国」となるだろう。 何しろ、この頭脳資本主義が到来した時代に、頭脳を働かせて付加価値を生む研究という営みを減らして、他の作業にかまけているのだから。》(59p)

要するに、緊縮感覚の蔓延が日本をどんどんダメにしているのです。反緊縮は喫緊の課題です。

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376:mespesado:2019/09/16 (Mon) 10:27:32
はぐらめいさんのサイトの最新エントリー:
https://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2019-09-16から↓
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『純粋機械化経済』(井上智洋 2019.5)から。《第四次産業革命を製造業
に特化したインダストリー4・0と同一視して狭く提えるべきではない。/そ
の点、日本政府は内閣府を中心にして、「ソサエティ5・0」というヴィジョ
ンを掲げており、かなり広い視野を持っている。ソサエティ5・0というのは、
「超スマート社会」であって、狩猟社会(ソサエティー1·0)、 農耕社会 (ソ
サエティ2・0)、 工業社会 (ソサエティ 3 · 0)、情報社会 (ソサエティ4・
0) に続いて、これから到来する社会だ。/このヴィジョンは、経済発展だ
けでなく社会問題の解決にも軸足が置かれている。 高齢化や地城間格差、
環境破壊などの社会問題を、AI、 IoT、ビッグデータを用いて解決し、 持
続可能で豊かな社会を目指そうというわけだ。/日本人はヴィジョンを作る
のが苦手、というかヴィジョンを作ることの重要性にすら気づいていないこ
とが多い。 だが、ソサエティ5・0)は外国でも評価され受け入れられてい
る。 日本に輸出し得るようなヴィジョンが登場したことを、私は感慨深く
思っている。》(37-38p)
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 関連して、↓

Society 5.0【政府広報サイト】
https://www.gov-online.go.jp/cam/s5/

科学技術基本計画(平成28年1月22日 閣議決定)【PDF】
https://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/5honbun.pdf

第5期科学技術基本計画における目標値・指標
https://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/sihyou/index.html

スマート社会計画「ソサエティー5.0」、肝はデータ【2016/4/12日経】
「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクター 新井紀子
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO99346090W6A400C1X12000/

 日本も内閣府(中心は経済産業省か)を中心に頑張っているようだ。これを見て二つのことに思いを巡らせた。
 一つはGAFAとか言って、世の中のイノベーションはいつも米国発で、彼らはスケールが違う、グーグルやらアマゾンやらは、既に世界中で空気のように使われるようになってきている、さすがアメリカ、それに比べて日本は…、となりがちなところ、最近は風向きが変わって、彼らの闇の部分が露呈するようになってきたこと。
 今でこそGAFAと言われているが、IBM、マイクロソフト、インテル、と、世界を牛耳る米国企業が次々に現れてきたけれど、確かに彼らのソフトウェアは抜きんでてきたけれど、肝心のモノづくりという点ではどうも違う。アップルのiPhoneでも、彼らは製造部門を持たず、自分たちのアイデアを製品化するために製造技術を持つ会社を買収することで問題を解決しているしかたやアマゾンのネットショッピングは宅配というブラック部門にその支柱を置いている。表面の華やかさに反して、所詮は西洋的な階級制を前提にしたビジネスの域を出ていないんじゃないか、と最近は思っています。つまり、ソフトウェアなどの中枢神経に相当する部分を自分たちが取り仕切り、それで得られる利益を独り占めし、その神経に従って実際に動く手足の部分は下々の階級の連中にやらせておけばよい。そういう残酷な一面が見え隠れするわけです。これは日本人の感性には本来合わない話で、我々の感覚からすると、中枢神経であろうが手足であろうが、体を維持するにはいずれも無くてはならない部分であり、どちらが偉くてどちらが下僕という発想はない。皆で共助共援、かつどの部分を請け負っても善い意味のプライドを持ち、他の部門には感謝こそすれ見下したり自分の利益のために平気で切り捨てたりしない。それが本来の日本の姿だったはずで、それが1970~1990年代の景気後退の誤った解釈で日本でも新自由主義が猛威を振るい、それまでの善き伝統が破壊されたのです。それが今、新自由主義発祥の地の米国でトランプによる製造業への回帰が始まり、価値観の見直しが始まっている。日本も古き良き価値観を見直す最大のチャンスです。こういう目で再度GAFAを見ると、彼らは規模拡大に貪欲過ぎるから過大評価されているところが大きいのではないか、彼らのアイデアと称するものも、既に誰かが考えたものであったり、時としてそれは日本人の発想に端を発するものであることも多いのです。日本人はアイデアがしょぼい。←よくあるイメージですが、実はアジアの端っこにある非西洋人をディスるために作られた誤ったイメージに過ぎないのではないか。そして緻密な製造業に裏打ちされたソフトウェアの開発。それこそ日本の得意とする分野ではないでしょうか。
 そして思いを巡らせたことの2つ目は、「反緊縮」との関係。我々は失われた20年とか30年とか言われ、その最大の原因は緊縮財政であり、それを強制しているのが財務省であるとか、いやその背後にいる金融マフィアであるとか言って、奴らを倒せ、という運動が最近になって盛んになってきたのはいいけれど、どうもネットで反緊縮に躍起になっている人たちを見ると、何か「いつか来た道」のように見えてしまう。緊縮派の有名人を見つけては彼らをボコボコに叩くことを生きがいにしている反緊縮有名人のツイート、MMTが出てきたと言って喜んだのもつかの間、MMTerとリフレ派という同じ反緊縮派同士の内ゲバ、果てはMMTer同士で解釈のちょっとした違いでバトルの応酬。あれれ?これって学生運動以来のサヨク内部での内ゲバとどこが違うの?それからウヨクとサヨクのお互いのディスり合いとどこが違うの…?もうそんなことにうつつを抜かしても何も進展しないでしょ?それよりも、反緊縮は何のためにやるの?気の毒な人を救うため?生産は過剰で消費したい人も多いのに消費できないという不条理を無くすため?確かにそれはそうだが、デフレとは言え、昔に比べたら、みんな便利な生活を享受してるじゃないの?積極財政にしてもっとカネを配れ、と言うけれど、モノの供給力が高まるということはオカネも必要でなくなるということ。なぜならオカネというのはそもそも供給量が不十分で全員が消費することが物理的に不可能だから、オカネ保有量の多寡によって消費できる人間の優先順位を付けるためのものだ、という見方もできるわけです。だとすれば、モノの供給力が今みたいに極限まで増えれば、消費者の優先順位付けなどする必要が無くなるわけだから、それに伴ってオカネに執着する必要性が無くなってくるのは必然の流れなわけです。そうなると、オカネを牛耳ることによって世界を支配したつもりになっていた金融マフィアも、政府のオカネの総元締めとして権力をふるってきた財務省も、その凋落は避けることができない。いくら彼らが積極財政を禁止しようとしても、その財政の現物であるオカネの意味が失われてくるのですから、もう最悪はほっときゃよい。今のマスコミが凋落するのと同じように、彼らもやがて相手にされなくなるでしょう。それよりも、我々はもっと楽に、もっと便利に生活できるような技術開発に目を向けた方がよい。その方が誰かをディスるよりずっと楽しいし、未来の人類からも感謝されるでしょう。
 こう考えると、内閣府主導、経産省主導のSociety 5.0、なかなかいいじゃないか。こういう流れ、大歓迎です。

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