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女大関 若緑 [宮内よもやま歴史絵巻]

 相撲甚句「女大関若緑」

ハア〜生まれは山形宮内で 娘のときから力持ち
  親に黙って家出して 選んだ道が相撲取り
好きこそものの上手なれ 一番人気の大関よ
  引退してから愛媛県 北条の町に住みついて
苦労の荒波乗り越えて みんなに若さんと慕われて
  お家繁栄店繁盛 取上げ相撲の巡業で
前田山の計らいで 男相撲の土俵上
  前代未聞の女あり その名も〜女大関若緑

女大関 若緑Scan 26.jpg遠藤泰夫著『女大関 若緑』(朝日新聞出版サービス 2004)、その要約が ↑の相撲甚句(著者作)。

「宮内の歴史の一資料として」とNさんから昨年渡された。新たに「よもやま歴史絵巻」に加えるために読み始め、一気に読ませられた。読みどころはいろいろあるが、巡業場所とはいえ前田山(高砂親方)の計らいで、女性禁制であるはずの大相撲の土俵に上がらせられたくだりが圧巻。昨年公開女大関パンフ記事08141526_5b727620cadd4.jpg映画『菊とギロチン』のパンフレットに著者の文章が2pにわたって掲載されていた。(クリック拡大してなんとか判読可能?)

そもそも『菊とギロチン』のモデルとなった「石山女大相撲」を創業した石山兵四郎は天童市高擶の人。エログロ化を嫌い、上は肉襦袢、下は半股引にまわし。男づきあいはご法度だったという。日体大リポジトリに「興行としての女相撲に関する研究」(金田英子 1983)がある。  22-2-97-102.pdf   (1.06MB)
秋野太作著『私が愛した渥美清』(付 早坂暁氏訃報)の記事を書いたことがあるが、その早坂曉脚本のテレビドラマ「女相撲」は、大関若緑がモデルとなっている。《四国の風早町に花緑親方率いる女相撲の一行がやってきた。海外巡業をしたこともある実力者揃いの一行だったが、時節がら今回の興行をもって解散することになっていた。女相撲はやがて千秋楽を迎え、故郷のある力士たちは帰って行ったが、町に残る者もあった。次の年の12月、日本は真珠湾攻撃を行い、アメリカと戦闘を開始した。平和な町にも、戦争の足音が忍び寄ってくる・・・。( 1992年放送文化基金賞本賞・1992年テレビジョンATP賞優秀賞。花緑親方役の木の実ナナは第18回放送文化基金賞演技賞を受賞)》とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%9B%B8%E6%92%B2
さっき確認してきたのだが、この若緑(本では遠藤志げの→まつの?)の姪が同級生で、小学校入学時ちょうど前の席、何を言われたのかの記憶はないのだが、振り向いて何か言われて、以来「おっかない女の子」だった。若緑の写真を見て似ていなくもない。
↓ 「大関 山形 若緑まつの」とある。
女相撲番付a0279122_812488.jpg

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