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天童市美術館「吉野石膏コレクション」 [吉野石膏]

天童市美術館3Scan 24.jpg昨日の南陽市民大学講座、「吉野石膏 須藤永次伝」を承けての第二講で、天童市美術館に行ってきた。現地研修「吉野石膏コレクションを訪ねて」。天童市美術館は平成2年に県内初の公立美術館としてスタート、当初は天童市出身の画家今野忠一作品や村山祐太郎コレクションの熊谷守一作品が中心だったが、平成5年から「吉野石膏コレクション」の寄託を受けて、コレクションのうち日本絵画が展示されることになって大きくレベルアップした。油絵の場合は常時展示が可能だが、日本画の場合は絵具の耐光度の関係で年間80日間の制約があるとのこと。したがって「吉野石膏コレクション」は258点収蔵されているが、年間3回に分けて展示するようにしている。最近は貸し出しも多く、現在30点が香川県に出張中とのこと。8月22日〜9月8日まで「吉野石膏コレクション 近代日本絵画名作展」の第二期展示中。建設当初吉野石膏コレクションなど全く想定されていなかったわけで、外見はごく地味な美術館。
天童市美術館外観f0048546_691027.jpg天童氏美術館DSC_1432.jpg天童氏美術館 大観コーナーDSC_1433.jpg
今回展示されているのは表の通り。天童市美術館2Scan 23.jpg天童市美術館1Scan 22.jpg須藤永次、恒雄の時代は個人的所蔵だったが、永一郎社長の時代になって、会社としての本格的な収集が行われることになったという。公益財団法人吉野石膏美術振興財団がある。
池田良平館長によるツボを押さえた作品説明はほんとうにありがたかった。永一郎社長の持論が「絵は展示しただけでは美術館の意味がない。ちゃんとした説明ができなければ」だったという。
一通り聞いてから「なぜこの美術館に吉野石膏コレクションがあることになったのですか?」とお訊ねした。すぐ答えが返ってきた。「南陽市に美術館がなかったからです。」この答えのあまりの単純さにヘナヘナとなった。そういうことだったんだ。「当時山形美術館が県立美術館の役割を果たしており、永一郎氏の考えでは山形美術館に洋画と日本画両方寄託したいと考えられた。ところが山形美術館としては、印象派に特化した形で美術館としての特徴を打ち出したいという考えがあって、日本画の行き場がなくなってしまった。そこで当時公立美術館は当館だけだったのでここに収まることになった。もし永一郎社長が存命のうちに南陽で美術館を建てると言ったら、そっくり南陽に移っていたと思う」! 池田館長の言葉は重かった。
現在年間入館者は2万人ぐらいで横ばい状態。しかし最近ようやく知れ渡ってきて、各地から貸し出しの要望が来るようになっているという。10点から出発して今は258点、その価値は計り知れない。また行って池田館長の説明を聞きたい。
天童市美術館 横山大観Scan 25.jpg池田館長絶賛の横山大観「耀八紘」。「前にはっきりした岩山があって、それが一旦ぼかされてそのうち山の際が見えてくる。そしてキリッと現れる富士山。その高さ、その距離感。そこに日が昇ろうとしている。実に見応えのある作品です。」昭和15年ごろ。

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