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石貨について〜suyapさんからの返信へ②〜 [思想]

打てば響く、気持ちいいsuyapさんからの返信です。

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807 名前:suyap 2019/06/27 (Thu) 22:34:01

>>797 はぐらめいさん

 >①それぞれの「石貨」の所有は定まっているのですか。
    ↑↑
はい。外国に持ち出されたりなどして(日比谷公園の石貨がその例)伝承が
廃れてしまったモノ以外は、それぞれの帰属はハッキリしています。

 >②個人の所有とコミュニティの所有があるのですか。
    ↑↑
はい。「結び」を作る際に、どういう対象に提供されたかによって決まります。

 >③所有の変更を当事者以外はどうやって知るのですか。
    ↑↑
その「結び」に関連する者の規模によります。小規模な家族単位で非常に
個人的な場合もあれば、数ヶ村が集うなかで行われることもあります。
結びの規模が大きくなれば、当然広範囲(島中)に知れ渡ります。
また小規模な場合は、関係者だけが知っていれば良いことです。
どうして関係者以外に告知する必要があるのですか?

 >「自分の日常体験に照らして、どうしたらヤップ人の石貨的ツールが発生
 >するのだろうか」というのが、今私にとっていちばん解きたいところです。
    ↑↑
異文化に「接する」そして「感じる」ためには、まず「自分の日常体験」を
捨てることが必要ではありませんか。でないと、なんでも自分の「常識」の枠
に押し嵌めて理解しようとすることになる...石貨について、多くの学者先生が
頓珍漢な解釈に陥ったように(笑)

*   *   *   *   *

少しずつ「石貨」についてのイメージが育つのを感じます。ただ、「手応え」というにはまだまだです。私にとって「手応え」とは、suyapさんになんと言われようが「自分の日常体験に照らして、どうしたらヤップ人の石貨的ツールが発生するのだろうか」が解けた時です。

そもそもなぜ「石貨」に関心が向いたかと言えば、「異文化への関心」では全くありません。私がmespesado理論に惹かれるのは、その先に「物やサービスのやりとりが、ほとんど何でもタダでできる世の中」が見えてくるからです。「オカネの要らない世の中」です。これは、カルビーの松尾雅彦さん(1941-2018)から「30年後の置賜をイメージしなさい」と言われて、明確に意識するようになったことです。

「オカネの要らない世の中」になるためには、「オカネが生まれた必然性」が解明されなければなりません。それが「石貨」に関心が向いた理由、というわけです。私の頭の中は、はじめっから「常識外れ」なので、suyapさんのご心配は無用と思います。

私とのやりとりと並行した亀さんとのやりとりで、《生まれ育った雰囲気というか、文化的背景というか、鯛は腐っても鯛です。/何十年と鯛の群れの中で生きても、あるいはひょんなきっかけで鯛社会の中で生まれ育っても、しょせん鰯は鰯、鯛にはなれません。》(808)とありましたが、ヤップ人と日本人との差は鯛と鰯ほどの違いはない、住む場所の違う鯛同士、そんな感覚で考えています。

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↑ほぼ同内容、「放知技」板にも書いてきました。→http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16675542/811/

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