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AIシンポジウム(6) AI、「現場」の現実 [IT社会]

AIシンポジウムの主催者である山形県人工知能コミュニティから《4/4(木)は、「人工知能の現状と未来回」ということで、3/10(日)に開催しましたシンポジウムの内容を踏まえ、人工知能と山形のこれからについてディスカッションを行いたいと思います。》との案内が来ていた。当日予定が急に空くことになったので行って来た。参加者は会場であるオビサンの社長、社員はじめ18名。予定より多いとのこと。遅れて行ったが1時間ほど先日のシンポジウムのダイジェスト放映。

そのあと円座になって、それぞれの思い交換。「まずAIありき、それをどう活用するか」のレベルでの話。たとえば、「職場の机配置をどうすればいちばん合理的か」とか「AIで選挙予測したいが、うまくデータが集まらない」とか、それはそれで課題なのだろうが、こちらが知りたいレベルの話とは噛み合ない。わかったのが「AI、『現場』の現実」。リーダー格の大垣敬寛氏の最後のまとめ、「AIの目指すところは『最適化』ということ。そのことによって空いた時間をどう活用してゆくかということがこれからの課題」。せっかく行ったので、問題提起のつもりで私の思いもぶつけてみた。言葉足らずだったと思うので、整理してみたい。

高岡染店チラシE9AB98E5B2A1E69F93E5BA97E38381E383A9E382B723.11E38080E8A1A8.jpg私自身、昔ながらの技術習得で出発した染物屋。18年ほど前、必ずしも先を見通したわけでもなく大型プリンターを導入した。この段階では特殊加工の生地に直接プリントす るもので、色も薄く堅牢度も弱く、従来の染めに取って代わるレベルではなかった。それから2年ほどして昇華転写で染めたサンプルを見せられて、思い切って 新しいプリンターを導入した。プリンターの他、転写機やそのための場所確保も必要で、その借金で苦労したが、試行錯誤の末、両面染めができるようになった ことで、従来の染めの80〜90%がデジタル化された。腕のいい職人だったら切り替えられない。技術的に中途半端な自分だったのから可能だったといえる。 「速くて きれいで 丈夫で長持ち しかも安くて デザイン自由 1枚だけからOKです」。従来の染めからみればまさにユートピアの実現だった。(3Dプリンターが大きく取り上げられるようになった頃、この経緯を書いた。→ 「3Dプリンター革命」(1)〜(4)https://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2013-05-13

この「デジタル化」をそのまま「AI化」と言い換えていいのかどうかはわからない。ただ、今「AI化」がこうして取り上げられるとき、自分のこの革命的体験が土台にある。そして今、宮内の将来を「近未来実証特区」に沿うような形で先端を進もうとするとして、地域全体それに向けてワクワクできるようなものがあるとしたらそれは何か。それを知りたくて3/10の「AIシンポジウム」に参加し、今日もここに来た。正直言って、シンポで紹介された農業でのドローン活用、キュウリの選別レベルでは物足りなかった。この先、AI化がとことん達成されたとして、それがどういう世の中なのか、その世の中になるために今どういう取組みをすればいいのか。そこがいちばん知りたい。

実はこの答えが、「AIの目指すところは『最適化』ということ。そのことによって空いた時間をどう活用してゆくかということがこれからの課題」(大垣リーダー)ということだったのだが、この答えは私からすれば「時は金なり」の発想であり、かつて『国際金融資本がひた隠しに隠すお金の秘密』(安西正鷹 成甲書房2012)を読んで検証批判したことだった。以下、その議論から。(つづく)

*   *   *   *   *

 この本の内容に厚みがあるのは、時間泥棒の「灰色の男たち」と戦うファンタジー『モモ』を手がかりにお金と時間がリンクして、誰しも思い当たる現代われわれの実存問題にまで踏み込んでいることによる。

 「時は金なり」、この言葉の起源は古代ギリシアにまで遡るが、フランクリン登場以前は、「お金が大事と思うように、時間もムダにしてはいけないんだよ」という比喩的な関係であって、そこでは「時間はお金より貴い」という思想を内包していた。《人は全財産を失った場合、それを努力で再生できるかもしれない。だが、過ぎ去った時は永遠に取り戻せない・・・。》207p)ところがフランクリンの「時は金なり」は「時=金」である。このことを著者は「人類の思想史に破壊的で不幸な一大転換をもたらした」(206p) と言う。どういうことか。「灰色の男たち」は、お金が蓄積されると同じように、時間も蓄積されると説いてまわる。しかしいったい、そうして貯め込まれた時間とは何なのか。過ぎ去るはずの時間が過ぎ去らないないでどこかに在る。とすると、「今在る」自分は何なのか。そこに見えてくるのは、実存感覚の喪失、そして現代人を覆う漠たる不安。《現実世界の「灰色の男たち」は時間とお金の性格を歪めて不安と恐怖を大いにかき立てる。社会進化論は、「進めば進むほど(—働けば働くほど)、進歩(—生活向上)する」と耳元でささやく。競争社会は、他者との不断の対立と闘争で勝利し続けなければ生き残れない、休息は敗北だ、と恫喝する。/こうして人々は心にさざめき消えることのない焦燥感に駆られ、少しでも長く働き、少しでも 多くのお金を獲得しようと齷齪せずにはいられなくなるのである。》210p

 「今」の喪失は、自己の拠って立つ場が見えなくなることだ。今ある場所はいつも「不十分」でしかない。ほんとうの場所は別なところに在る。いつもいつもせき立て られるようにして毎日が過ぎてゆく。一方、お金は本来、暮らすに間に合えばいいはずだった。「暮らす」とは人と人とがつながって生きてゆくことだ。人と人 とがつながっていれば、お金はなくてもそこそこ生きてゆける。人はずうっとそうやって生きてきた。それが狂うようになったのは、お金が利息を生みだすようになってからだ。それからお金は、貯め込むことで利益を生みだすようになった。そうして人が本来生きるには何の関わりもなかった金融業が生れ、それに支配 されるようになったのが今の世の中だ。

 「お金をムダにするな」 なぜ? 「ムダにせず貯めなさい」

 「時間をムダにするな」 なぜ? 「いつかの時に備えなさい」

 「時は金なり」の格言の指し示すところは、「”今を生きる”ことを二の次、三の次にしなさい」ということか。その行き着いたところについての著者の警告が切実に迫る。

《「時間の脅迫」の観念とその裏に潜む利子蓄積の圧力。その正体が分かっていない親に急かされる子供は、効率的かつ合理的に生きることが正しいと思い込み、自覚のないままに貧しい一生を送るのである。》238p(つづく)


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