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「置賜発アジア主義」(最終回)むすび [アジア主義]

むすび

 戦前の対外的膨張ナショナリズムに同化させられたアジア主義とは異質な、もうひとつのアジア主義の流れが、この置賜から流れ出していることに気づかされ、その都度メモっていたものを一本にまとめてみました。

 なぜ置賜なのか、思い当たるのはやはり、謙信公に発し直江公を経て鷹山公によってしっかり根付かされた置賜のエートス(精神風土)です。雪の深い一本道で誰かが出逢ったその時に、自ら避けて人を通そうと思う心は素直な人間の自然にとる道であろう。≫「興譲館精神」)―― 何も難しくはない、要するに自然の情理に沿うことです。置賜発アジア主義とは、主義をことさら標榜したわけではなく、目覚めた日本が世界に目を向けた時、置賜の空気で育った先人達が自ずと歩んできた道行きです。振り返ると、一本の道筋がついていたのです。

 ではこれから先に見えてくるのは何か。

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 明治中期以降現在までの国民総生産の変化のグラフです。(貨幣価値変動は調整済 https://s.webry.info/sp/naga0001.at.webry.info/201610/article_6.html

 戦前の伸びと戦後の伸びではそのスケールがちがいます。この勢いで、豊かに、便利に、楽に、暮しやすくなったのです。さらに2045年にはAIが人間の知能を超える(シンギュラリティ)と言われ、それに合わせて想像を越えた生産力の発展が考えられます。

https://oshosina.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e75/oshosina/AIE381A8E6ACB2E69C9BE382AFE38299E383A9E38395.jpg

 生産力の発展が人間の欲望の進化を上回るようになれば、貧しさゆえの争いは無くなります。争ってまで他のところに「王道楽土」を求めなくてもよくなるのです。孫文の言う「王道」と「覇道」で言えば、あえて「覇道」を求める必要はなくなったと言えます。

  林房雄の言葉があります。

 《王道を信ずる者は敗北し、覇道の実行者が勝利者となる。・・・「王道」は常に自ら破れ、「霸道」は「霸道」によって自らほろびる。しかも「王道」は常に不死鳥のごとく灰からよみがえる。「王道」がついに「霸道」を倒して再び立つ能ざらしめる時は必ずくるはずだ。人間はこの夢を抱いて七千年の歴史の非情に堪えてきた。》と嘆じつつ、《私もまた「王道実現の夢」をいだきつつ死の床につく一人でありたい。》と記しました。(『大東亜戦争肯定論』)

 それから50年、宮内熊野大社の大祓詞で明けた平成30年元旦以来の世界の動きは、林が思い描いた「その時」に向けて着々と歩みだしているように思えるのです。(完)

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本文引用書以外で参考にした本

・中島岳志『アジア主義 その先の近代へ』潮出版社2014

・安藤英男『雲井龍雄全伝』光風社出版1981

   ・友田昌宏『戊辰雪冤 米沢藩士・宮島誠一郎の「明治」』講談社現代新書2009

   ・渡辺望『蒋介石の密使 辻政信』祥伝社新書2013

   ・劉傑『中国の強国構想 日清戦争後から現代まで』筑摩選書2013

    ・『平貞蔵の生涯』 平記念事業会1980

   ・ジェレミー・リフキン限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭』 NHK出版2015

    ・斎藤和紀シンギュラリティ・ビジネス  AI時代に勝ち残る企業と人の条件』幻冬舎新書2017

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「懐風」に寄稿した論稿の転載だが、書き加えた箇所がある。「(8)宮島誠一郎と宮島大八(詠士)」の章、以下の文章。

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 誠一郎は、嘉永3年(1850)から明治41年 (1908)までの詳細な日記のほか多くの貴重な文書を残しました。それらは、早稲田大学、国立国会図書館、上杉博物館 に「宮島誠一郎文書」として所蔵され、近年になってようやくその研究の成果が論文、著書として次々発表されるようになってきました。私には、宮島誠一郎こそ大河ドラマに取り上げるにふさわしい人物に思えます。日本の近代の出発を、「白河以北」の立場も加えた視点から見直すことになるだけでなく、誠一郎を軸に「雲井龍雄→曽根俊虎→宮島大八」の生き方、思いを追うことで、アジアユーラシア世界の明るい未来ビジョンが拓けてくるような気がします。

  宮島誠一郎研究の第一人者友田昌宏氏の【研究紹介】《宮島誠一郎(1838~1911)は、幕末、米沢藩の周旋方として情報収集や他藩との折衝に当たり、維新後は「朝敵藩」出身であるにもかかわらず明治政府に登用された。明治5年(1872)に 宮島が起草した「立国憲議」は先駆的な立憲政体論として知られる。戊辰戦争は彼にとっていかなる意味を持つ経験だったのか。敗戦を経て、いかにその国家構 想を紡いだのか。ここに宮島を追う私の旅がはじまった。また、ロシアへ警戒心を抱き続けた宮島は、清国公使と交わりを深め日清両国の融和にも尽力した。両国の対立に翻弄される宮島の姿は、激動の東アジア情勢を映し出す。》とし、宮島は19~20世紀の東アジアへと私を誘おうとしている。と記しています。今後の研究に注目されます。

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宮島誠一郎と宮島大八の生涯をたどれば、幕末の激動から大東亜戦争まで、日本の近代を見はるかす、文字通り一大大河ドラマとなるは必定。小説化に取組んでくれる方の出現を待ってます。ただ、女性をどう絡ませるかが問題です。


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