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「上杉鷹山公を大河ドラマに」 [上杉鷹山]

白根沢投書.jpg齊藤投書.jpg山形市の白根沢良徹さんという方が「上杉鷹山公を大河ドラマに」とがんばっておられる。御自身は山形市生れだが、お父さんは米沢出身。米沢市粡町の白根沢家は鷹山公提唱の米沢織を最初に手がけた家で、白根沢家には鷹山公手植えの松があるという。その白根沢さんが「鷹山公を大河ドラマに」を思いたち、米澤新聞に投書したのが一昨年の9月。その投書コピーを独力で全国発信しておられた。そうした折、昨年6月、「白鷹山に伝国の辞の碑をつくる会」会長齊藤喜一さんの「鷹山公の精神を世界に」の投書が山形新聞に掲載なった。それを見ておおいに力を得た白根沢さん、宮内を訪ねて齊藤さんと会うことになったのが昨年夏だったか。白根沢さんはかつて「新しい歴史教科書をつくる会」等で旧知ということもあって、私も関わることになった。「齊藤さんを一度家にお連れして」とのたっての願いで14日、齊藤白根沢家を訪問、その熱意にあらためて触れてきた。私自身は、鷹山公は大河ドラマにはどうかという思いがあり、いまいち積極的になれないでいたのだが、そのための時間を割いて山形まで行くにはそれなりのインセンティブが必要なわけで、山形美術館の「長谷川コレクション展」に行ってきた。

DSC_0862.JPGよくもまあこれだけのものが山形に在ったんだ!という驚きが大きい。長谷川家は18世紀末期から財を成した日本一の紅花商人。明治になって第八十一国立銀行(1878〜)頭取となり、その後、両羽銀行(1897〜)を経て山形銀行(1965〜)となるが、代々その頭取を務めてきた。現当主長谷川吉茂氏による展示解説「長谷川家と美術コレクション」に《長 谷川家の当主はいずれも美術に造詣が深いか、コレクターとして特筆すべきは初代直則の妻マサ(1832-1922)と三代目吉三郎である。当時のコレク ターは単に好き嫌いといった趣味で作品を蒐集した訳でない。貨幣価値が大きく変動した時代である。美術工芸品は財産の目減りを防ぐ有効な手段であり、いざ となれば換金して家を守る覚悟が必要であった。また本物でなければ価値がないだけに真贋の鑑定は慎重であった。》とあるのに納得した。

実は、自分の気持ちを大河ドラマに向かわせるのに、もうひとつの思いが育ちつつあった。暮れから書き始めている「懐風」(米沢御堀端史跡保存会)の原稿、「置賜発のアジア主義」について書いているのだが、宮島誠一郎を軸にした一大ドラマ展開の可能性がある。米沢藩の「戊辰雪冤」に発して、視野は大きく東アジア、ロシアに向かう。時代にもぴったり合うのではないか。その前史として鷹山公にも登場してもらえる。そんなことを思って、ひとりゾクゾクし始めているということもあったのでした。

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