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E.Y君への弔詞 [弔詞]

12月17日、中学の同級生E.Y君の訃報。最後に会ったのは20日ほどまえ。かつてYの住まいだったこども園北側の土地を譲ってもらうことにして契約の日取りを20日に決めてきたのだった。「大丈夫、大丈夫、元気になれる」と言って別れてきた。そう確信しての声がけだっただけに、息子さんからの電話での訃報は思いがけなく、辛かった。胃がんからリンパ腺に入り、胃を2/3切断してその後は抗がん剤治療、発見時レベル3、以来3年の闘病生活だったという。中学を出て定時制へ通いつつ、宮城興業(株)へ。57年間勤務、営業部長を務めた。会社に捧げた生涯だったのは葬儀からもうかがえた。子どもの頃から亡くなるまで、顔かたちがそのまま、いい顔だった。

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弔詞
 律義な君らしく、社会に出てからは私を君づけで呼ぶので「Eくん」と言わねばと思ってきましたが、中学時代に戻って「E」と呼ばせてもらいます。
  中学時代、君は鉄棒の並外れた見事さでヒーローでした。鉄棒で鍛えた筋骨隆々の体は鉄人でありスーパーマンでした。毎日夕方まで小学校の鉄棒にぶらさがっ て身につけた、そんな記憶があります。EのEらしさは、決して恰好よく見せる為にその体をつくったのではなく、とことん鉄棒にのめりこんだ結果のその体で した。だから私が知る君は子どもの頃からずっと爽やかな空気を漂わせていました。それは社会に出ても変わらなかったし、家庭でもそうであったのだと思いま す。初めて高畠の家を訪ねたときから、屈託なく迎えてくれる孫さんの軽やかな身のこなしに、かつての君を見たように思ったものでした。いい家庭にちがいな いと思いました。昨日、君の枕元で聞いた息子さんの話から、うらやましいほどの父親への敬愛の思いが伝わってきました。いかにもEらしい親子に思えまし た。息子さん、白布を顔にかぶせながら、「笑っているようだ」とつぶやきました。息子さんの君への思いがあらためて君に伝わってうれしかったにちがいあり ません。
  ここ半年ほどの間、君が生れ育った黄金町の土地をこども園に譲っていただくために、何度か高畠の家を訪ねていました。最後に会ったのは二十日ほど前でし た。「大丈夫、大丈夫、元気になれる」と言って別れました。そう確信しての声がけだっただけに、訃報の電話は思いがけないことで、ショックでした。私の前 で身体の辛さを表に出すようなこと一切ありませんでしたが、今思えば、かなり無理を圧しての応対だったのだと思います。黄金町の土地は、いちばん気にかけ ていたことだったのかもしれません。契約の段取りも決まり、責任を果たした安堵の思いが伝わりました。君の生涯の最後にこういう形で関われたことの縁を思 います。写真で見せたように、あの土地に西から入る市道が整備され見違えるようになっています。春になったら駐車場に整備する予定です。有効にたいせつに 使わせていただきます。
  宮内中学校第十六回卒業三年四組四十八人、かつて鉄棒での君の勇姿を畏敬のまなざしで見ていた面々、わかっているだけで十一人が逝っています。Eが十二人 目になります。フォレストヒルズたかはたで余生を送る九十一歳のY子先生はじめ、いずれみんなそちらで会うことになりますが、残されたもの、君が成し得た ようにそれぞれ十分現世での務めを果たせるよう見守って下さい。衷心より御冥福を祈りつつ、とりあえずのお別れといたします。

  平成三十年十二月十九日

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