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宮内小学校公開研究発表会 [教育]

宮内小公開研研究紀要.jpg昨日一日、宮内小の公開研究発表会に最後の反省懇親会まで参加。地域総合型教育実践交流会の分科会「社学融合」のパネリストに依頼されていてのことだった。午前中の公開授業、事後研究会までじっくり見れたのがかけがえのない体験だった。8クラスで行われる公開授業、「一通り見て下さい」とのことで、たまたま覗いた3年生の算数の授業、はじめての分数の計算「1/5+2/5」をめぐっって、「3/10」の答えもあったところで思わず引きこまれた。授業者は四釜航介先生。平成7年生れで新採とのこと。緊張気味の先生に対して、あくまで屈託のない子ども達、その雰囲気がなんか羨ましい。毎日こうやって子ども達は過しているのか。昔は研究授業と言えば、子ども達も緊張してなんかシーンとした感じだったのではないか。宮内小公開研DSC_0416.jpg事後研究会で助言者の南陽市教委の指導主事安達心先生によると、数ヶ月前の授業は「授業以前」だったとのことで、そこでの厳しい指摘をしっかり受けとめてこの日の結果とのことだった。たしかに、先生の成長とそれを支えてきた子ども達、そんな構図が見えていた。助言者の安達先生の話で心に残ったのが、「低位者の学力は伸びているが高位者は伸びていない、小中一貫教育の中でどう取組んでいくか」。「学校の役割」という根本に関わってくる、そんな気がする。

午後の「社学融合」がテーマの分科会。『宮内よもやま歴史絵巻』発刊の経緯を語った。「10年間の蓄積をまとめたものだが、その意図するところのいちばんは、次の世代に宮内の歴史を伝えたい、今われわれがしなければもうそれっきり、そうはしたくない。もうひとつは、大河ドラマの主人公となった直江兼続、そのお母さんの実家が宮内に来た尾崎家であったこと。そのことを知って欲しくて始めた『南陽天地人絵巻』。宮内も日本の大きな歴史の流れに関わっていることを知ってほしい。ふるさとを離れて知った置賜のすごさ。吉本隆明にしても井上ひさしにしても、置賜との関わりを知ったのは、名前を知った後だった。平成3年言い出した『21世紀、置賜は 世界の中心となる!』。着々とそういう方向に進んでいる(と自分は思っている)。その中で教育の果す役割は大きい。田島賢亮先生を見よ。今から100年前、2年に満たない宮内小学校の教師でありながら、その影響は今に及ぶ。影響を受けたのは須藤克三芳武茂介小田仁二郎といった文化人だけではない、受け持ったクラスの級長が佐藤忠三郎さん、その息子が医療法人公徳会の佐藤忠宏理事長、NDソフトの佐藤廣志社長。」ということで、田島先生の言葉を紹介した。《私は、教育は「感化」であると信じております。・・・教師や大人に純情があり、熱情があり、若々しい鋭い感性があり、けがれない良心があり、同感があれぱ、必ず子供は感動を受けます。感動のないところに、感化はありません。》打合せの段階で、コーディネーターの八島先生(沖郷小校長)と、「宮内よもやま歴史絵巻」を小学生にどう伝えるかについて話していたのだが、時間がなくてそこまで踏み込めなかった。フロアーとの意見交換がもっと欲しかった。
てっ きり部外の多くの参加者もあると思って参加した懇親会の中締めの役をあてられていて、四釜先生の授業のことを語って万歳三唱と思っていたのだが,その前に その日の感想を言う時間を与えらて、話そうと思ったことを話してしまった。いよいよ中締めというところで、授業を見て思い出した斎藤喜博さんのことを語りたくなった。「40数年前私も 教育に関わっていたことがあって、その頃『授業の神様』とも言われた斎藤喜博という人がいた。その人の言葉に『教師の仕事というのははかないものだ』とい う言葉がある。どんなに必死に教育しても、その子どもがどう育つかはわからない。とどのつまり、将来この子どもがどうなるかなんてことは二の次三の次、当 面の今に必死になるしかない。今日の一日、その必死の姿を見せていただきました。宮内の将来、そして日本の将来は明るいと確信することができました。いい 一日ありがとう。」酔っ払ってそんなことを言って万歳三唱してきたところでした。

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