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白川前日銀総裁は結城豊太郎をどう評価したか(3)日銀総裁の役割 [結城豊太郎]

《大勢は世の中の大きな動きで決まってくるかもしれません。しかし、その中でどういったコースを進むかについては、中央銀行がやはり大きな役割を果たすと、自分自身は信じたい》。白川氏は自らを結城豊太郎に重ね合わせて語っている。戦争への道をひた走る「時代の空気」に抗しつつ抗しきれなかった「悲劇の総裁」結城豊太郎。では、白川氏が今感じ取っている「時代の空気」とは何か。おそらく私がそうであった、「安倍批判から安倍評価へ」に至る以前の感覚、すなわち安倍首相を「戦争屋」としか見れなかった感覚なのではないだろうか、そんな気がした。白川氏は「いい人」にはちがいないけれども、「日本人虐殺の戦犯」批判にも甘んじなければならない。mespesadoさんの指摘、《今日のように供給過多で内部留保が多く企業の借金の必要が無くなった社会では、たとえ景気が向上したとしてもその結果「税収が増え」て「財政再建」する、というような経済ビジョンを描くべきではありません。》(878)自国の大きな「生産供給力」こそが本質です。》(971)を深く認識すべきなのです。暗い未来に向けてひた走っていた結城豊太郎の時代と今とでは、全く真逆です。そう思う。

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4.中央銀行と中央銀行総裁の役割
 ここまでは、結城豊太郎についてお話してまいりましたが、こうした一連のことは、中央銀行や中央銀行総裁の役割について、あるいは通貨のコントロールのあり方について考えさせるものです。ここからは、そうしたことについて少しお話をしたいと思います。
 結城総裁が現役で活躍した頃は、日本を含め、世界的に金本位制から管理通貨制に移行した時期で す。金本位制はお金の量を金とリンクするわけですから、お金が恣意的に発行されないという点で一定の規律を課す意味があります。しかし、お金の量が金の量 にリンクしていますから経済の大きな変動に伸縮的に対応することはできません。このため、時に大きな経済の変動が起こることもありました。そうしたことか ら、各国とも管理通貨制に徐々に移行し、現在は完全に管理通貨制となっているわけです。
 管理通貨制というのは、お金の量のコントロールを人間自身が自らの合理性に従って行うものです。いわば人知を信用する、人知に賭ける政策です。金本位制と比べると、「人間や社会が合理的に行動する」という前提が満たされるのであれば明らかに管理通貨制の方が望ましいものです。従って、多くの人が管理通貨制の方が望ましいと言っていますし、私自身もそう考えています。
 しかし、前提である「人間や社会が合理的に行動する」ということは、なかなか難しいことです。なぜ難しいかと言うと、まず将来を予測することが難しいと いうことがあります。例えば、バブルの時代に皆が「これはバブルである」と認識したわけではありません。また、バブルが崩壊した後、経済や金融がどのよう な状況になるのかについて、ほとんどの人が認識していませんでした。あるいは、リーマン・ショックの後の様々な金融の混乱です。先進各国では、日本をはじ め多くの国の経験をみていたにもかかわらず、全く同じようなことが起きているわけです。ことほど左様に将来を予測することは難しいものですが、さらに、予 測できたとしても、中央銀行は政府や社会の動きと全く独立に通貨をコントロール出来るかと言うと、それも難しいことです。
 管理通貨制に移行した後の歴史をみますと、上手くいった時期もあれば、そうでない時期もありました。金融恐慌を防ぐという意味では、我々は明らかに進歩したと感じています。私が総裁に就任した2008年にリーマン・ショックが起きました。大きな混乱でしたが、最終的に1930年代のような大失業は起きませんでした。これは、政府も中央銀行も非常に積極的に行動したためです。危機時にあって中央銀行は、お金を供給して金融システムの崩壊を防ぐことに全精力を傾け、そうした事態を避けることができたのです。これは、管理通貨制であったからできたことです。金本位制であれば、「金がないからできません」ということになってしまうわけです。
 インフレ率は どうかと申しますと、金本位制の下でのインフレ率と管理通貨制の下でのインフレ率を比べてみると、管理通貨制の下での方が明らかに高くなっています。それ だけお金が多く出ているということです。ただ、ここ10年程をみますと、日本だけではなく、世界全体でインフレ率が下がってきています。
 最近は、世界的にバブルとバブル崩壊の発生頻度が高まっていることがインフレよりも大きな問題となっています。多くのバブルはインフレ串が低いときに発生しています。日本のバブル、東アジアの金融危機やリーマン・ショックに繋がる時期は、いずれもインフレ率は低い状況でした。バブル――あるいは人間の欲望といったものーーをどうコントロールするかが大きな課題になっています。
 昭和初期から太平洋戦争に至る時期の通貨のコントロールを振り返って、いくつかのことを申し上げました。一つは、金本位制の下では迅速な通貨のコントロールができなかったということ。この点については、金本位制からの離脱という大きな変化がありました。二つめは、財政の動き。戦時体制に入っていく中で支出が増えていったことが、中央銀行による通貨のコントロールを難しくしていったということ。三つめは、日本銀行法の改正。通貨のコントロールに閲する法律自体が変わってしまったということです。
  こうした大きな流れを振り返ってみますと、私自身は、「時代」あるいは「時代の空気」が中央銀行に大きな影響を与えていると感じざるを得ません。国全体と して戦争の遂行が国策として決まっている中で、日本銀行だけがそうしたことと全く無関係に超然と金融政策を運営できるかと言うと、それはもちろんできない わけです。こう申し上げると、「時代」あるいは「時代の空気」が金融政策を決めていくということになります。しかし、 それはそれで極端な見方です。「時代」あるいは「時代の空気」が金融政策を決めるのであれば、そもそも中央銀行はいりませんし、だれが中央銀行総裁になっ ても変わらないということになります。コンピューターでもできるということになります。私は、決してそうではないと思っています。大きな流れは決まってい ても、その中でどのコースを歩むかということについて、中央銀行の判断、あるいは中央銀行総裁の判断が影響してくると思っています。政治であっても、行政 であっても、企業経営であっても、色々なことの積み上げの上で現在があるわけですから、全く白地で決定できるわけではありません。その意味では、大勢は世の中の大きな動きで決まってくるかもしれません。しかし、その中でどういったコースを進むかについては、中央銀行がやはり大きな役割を果たすと、自分自身は信じたいと思っています。
日本銀行総裁.jpg そうした観点から、先ほど述べた何人かの総裁について、時間と逆の順番で振り返ってみたいと思います。

○結城豊太郎総裁
 結城総裁の立場に立って考えてみますと、様々な抵抗は試みているわけですが、戦争協力、統制経済への移行、財政・軍需資金の弾力的な供給、日銀による国債の無制限引受け、という大きな流れは事実としてそこに存在していたわけです。大きな流れができていた中で中央銀行にできることには自ずと限界があるわ けです。例えば、結城総裁が「日本銀行は国債の引受けを止める」と言った場合、何が起こるかというと、とりあえず政府はたちどころに資金繰りに困ります し、軍需産業も困ってくるわけです。仮に結城総裁が「引受けは止めた」と言っても、すでに昭和17年の法律改正で日本銀行は全て政府の命令通りにやらなく てはいけないということが決まっているわけですから、その下で結城総裁は法律に従って解任されて、その上で今申し上げたような政策が遂行されていく可能性 が高いと思います。そう考えますと、大きな流れはこの段階で決まってしまっています。

○池田成彬総裁
 結城豊太郎の前任の池田成彬総裁については、病気のため在任期間が短かった(5ケ月半)ため本格的に論じることはできません。軍需産業に対する資金供給を円滑にする制度を導入しています。池田成彬総裁自身は慎重ではありましたが、そうした政策を行っています。

○深井英五総裁
 池田成彬総裁の前任の深井英五総裁は、興味深い人物です。先ほど高橋財政とその下での日銀引受けの話をしましたが、その当時深井英五は副総裁でした。実質的には総裁の役割を果たしていたと言われています。井上蔵相の下での金解禁の際の日銀サイドを務めたのが深井英五です。また、国債の日銀引受け開始に当たっての日銀サイドを務めたのも深井英五です。いわば、全く性質の異なる二つの政策に関与し ています。深井英五は大変な理論家で、色々な物事が分かっていた人物だと言われています。深井英五の下で国債の日銀引受けが始まるわけですが、深井英五自 身はその危険性について、十分認識していたと言われています。実際に景気が良くなり生産余力がなくなってきた段階で、高橋是清大蔵大臣に対して国債の発行 を抑制する必要があると言って、事実、高橋大蔵大臣は国債の漸減方針に転換しますが、先ほど申し上げた通りこれは失敗するわけです。深井英五副総裁が関与 した日銀引受けは、そのまま大きなインフレの原因になるわけで、深井さんはこのことを明確に自覚し、非常な悔悟の念を持ってこのことをみていました。彼は「回顧70年」という有名な自叙伝を残していますが、それを読むと「自分の最大の失敗は日銀引受けの形で国債発行を認めたことだ」という趣旨のことが書かれており、良心の呵責が感じられます。
 深井総裁は政府に対してものを言っていますが、強くは言っていません。自分は政府に対して進言するが、最終的に決定するのは日本銀行ではなくてもちろん政府ですから、進言はするけれども強くは言わないというスタンスでした。これはまた中央銀行と政府との関係を考える上で興味深い事例です。深井総裁がもし強く進言していたらどうなっていたかということを考えてみますと、強く進言しても例えば日中戦争拡大の流れが変わったとはとても思えません。そういう意味では大きな流れは多分変わらなかっただろうと思います。
 こう考えてみますと、大きな流れとそのなかで中央銀行ないし中央銀行総裁の役割という問題に戻ってまいります。私自身はこうした歴史を振り返ってみて、いくつかの教訓があると感じています。

■ 第一は、通貨の安定—―一般的に言いますと経済の安定——のためには、やはり政治がしっかりとしていないといけないということです。特に、財政バランスが中長期的に維持されるという信認がないと、通貨の安定、経済の安定は最終的には図れないということです。
■ 第二は、全ての政策は繋がっているということです。従って、ある時点を取り出して政策を議論すると、政策展開の余地は自ずと限られてきます。それだけに、そのことは新しい政策をとるときには、その政策が最終的にどういった帰結をもたらすかをもよく考えなくてはいけないということを意味しています。
● 第三は、社会の合理性を過信してはいけないと いうことです。人間の社会は、長期的にみれば非常に合理的だと私自身は思っています。しかしそれは、「長期的にみれば」ということであって、短期的にみれ ば——この短期は結構長い短期ですが——非合理な反応を示すこともやはりあるという感じがします。先はどの国債の中央銀行引受けもそうですが、もし人間が (社会が)合理的であれば、問題が出たらその段階で引受けを止めれば良いということですが、なかなかそうなりません。そういった弱さを人間は持っているの だろうと思います。

 言い換えますと、「中央銀行はその気になれば何でもできる」という見方は正しくないと思っています。しかし、「それでは中央銀行は無力か?」と言うと、それも間違っていると思っています。そこで中央銀行はどういったことができるのかということですが、3つのことを申し上げたいと思います。

● 一つめは、大きな流れが仮に決まっていたとしても、どのコースを選ぶかという点で、将来が変わってくる面があります。そういう意味で、どのような制度を設計していくのか、政策を行うに当たりどのようなロジックを使うのか、どのような言葉を選んでいくのかといったことは、中央銀行として非常に大事だと思っています。
● ニつめは、金融政策に限らず経済政策一般についてそうですが、持続可能性という観点から将来のリスクについてもきちんと警告を発することが非常に大事だと思っています。中央銀行はどの国でもそうですが、その国の最大のシンクタンクでもあって立派なエコノミストをたくさん抱えている祖織です。最大のシンクタンクである以上、経済の持続可能性という点からみて発言をしていくことが大切だと思っています。
●  そして最後に、そうした発言をしっかり聞いてもらえるようにするためには、中央銀行自身が誠実に説明し行動していく必要があると思っています。中央銀行 の政策は1回限りではなく連続した行動ですから、中央銀行がどういう行動をしたか、どういう言葉を発したかは、人々の記憶に残るものです。中央銀行にとって最大の財産は信認です。信認がなくなると、どんな政策をとっても効かなくなってくると思います。

 結城総裁の業績をみますと、今申し上げた3つのポイントの中の最初のポイントとの関係では、大きな流れが決まっていた中で国債のシンジケート団引受けに対して抵抗を試みている、軍需産業に対する資金供給に関しても金融協議会を作っている、あるいは日銀法改正についても抵抗している、そうした努力をされたのだということが随所に感じられます。
  後の2つのポイントである「将来のリスクについて発言していく」「組織が誠実に発言し、行動していく」こととの関係で結城総裁が非常に力を入れたのは、人 材の育成だったと思います。自分自身39年間勤務した日本銀行もそうですし、多くの企業でもそうだと思いますが、結局組織は人だと思います。人を育てていく、あるいは人が育っていく文化をどう作るかが組織のリーダーの大きな役割だと感じています。

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