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安藤昌益は「神道思想家」に近い! [安藤昌益]

「宮内の歴史」講演会チラシ表.jpg『安藤昌益の実像—近代的視点を超えて』(山崎庸男 農文教2015)に目を通した。6日の講演会資料作成のため山形県立図書館に足を運んで見つけてきた。「案の定」だった。《昌益の立ち位置は明確である。異国の儒教聖人、釈迦を糾弾する「康正ノ神道」を擁護する、「神道思想家」に近い昌益の立ち位置・姿である。》(218p)とあった。

安藤昌益を検索して地に潜む龍というサイトに巡り会った。(一)「狩野亨吉による発見」、(二)「戦後の昌益発見史」「昌益理解の深化」、(三)「研究者評価」「神山仙確と昌益」「転真敬会」、(四)「北千住と門人たちの謎」「炎の言 断片」、(五)「百科全書派 昌益」「版元 小川屋源兵衛」「暦論」、(六)「多くの名を持つ昌益像」「息子 周伯」「江戸アジト 千住掃部宿」、(七)「昌益研究史」「仏教批判」「安藤家」「京都修学」「入寺」「医師修業」(勝手に標題をつけてみました)。2016/01/07で途切れているが、まだ続くかもしれない。

(三)「神山仙確と昌益」の、昌益の最側近神山仙確が『自然真営道』の序に記した昌益の人物評によって、昌益の人となりが眼前するように伝わってきた。
いわく「良中先生は私の師である。先生には師もなく弟子もいない。道をたずねれば答え、私事をたずねても答えてくれない。故に私は道をたずね、その答えを採録して自 分の師としている。先生の人となりについて言うなら、先生の知見は、聖人・釈迦・老子・荘子・厩皇子(聖徳太子)にわたっているが、この人たちが思い至ら なかったこと、知らなかったことを指摘するが、古い書物についてはそれらの一句たりとも語らない。神知速行、まことに活真人というべきである。先生の人相 は貴からず卑しからず、顔は美でもなく醜でもない。その精神は自然真営の妙道に通じており、つねに直耕を尊び、古来聖釈の徒が不耕貪食して天道を盗み、私 法をつくり世を魔界となして禽獣に堕落せしめることを悲しみ、自然真営道の妙道を書につづり、永く無乱平安の世になさんと願っている。先生の平常は少欲 で、朝夕の食事は飯汁のほか、別の菜は一切食わず、酒は飲まず、妻以外の女性と関係をもたない。人を賞めず他をそしらず、自分を高ぶらせず卑しめず、上を 羨むことを知らず、下を見下すことも覚えない。尊ばず、いやしまず、へつらわず、むさぼらず、家計貧しからず、富まず、借りず貸さない。四季の贈答は世間 の風習にまかせ、これに心をわずらわすことはない。 世間の人が自分を賞めれば、私が愚になったかと憂い、他人が自分をそしるのを聞けば、私は誤っていな いと悦び、誹や頌は愚賢聖にのみあることで、真人には無縁であると知る。 先生は一眼で、他人の心奥や行状まで知ってしまうこと、まことに妙である。道の 外は教えず、また習うこともせず、自他をいつくしまず、親しまず、うとんぜず、憎まず、見えすいた孝もしないし、不孝もしない。歌舞慰楽は耳目にいれる が、心を奪われることはなく、問えば何一つ知らぬことはなく、問わなければ一言も教えない。が、備道-自然に備わる道-については、問、不問にかかわら ず、これをすすめて止むことがない。…無始無終の天下万国に、こんな人があったことを聞かない、視たこともない、皆無でないとしても、まだ聞いたこともなく、これからも存在するとは思えない。だがこれが吾が師である。」》
そしてこれを読んだとき、明治22年生れの祖父がいつも言っていた(ような気がする)「じねーんと」という言葉がよみがえってきた。ものごとあわててもどうにもならないことはどうにもならない、いずれじねーんとなるようになるものなのだから・・・、そんなニュアンスが込められていたと思う。「気揉まねで、じねーんと」。『自然真営道』の「自然」とはその「じねん」だったのだ。そして至ったのが、山崎庸男著『安藤昌益の実像』の以下の論。明日の配布資料に《補遺》として挟むことにしました。
*   *   *   *   *

安藤昌益の「身分制批判論」再考
 
  近世思想史上の安藤昌益像は、例えば「封建的な身分制度を根本から否定した我が国で唯一の思想家」(『日本人名辞典』新潮社、一九九一)「封建的な身分制 度を批判し、徹底した平等主義にもとづく理想の社会『自然の世』を主張」(『日本人名大辞典』講談社、二〇〇一)「昌益の思想の特色は、何よりもまず、徹底した平等主義の主張に見出される」(『日本近世人名辞典』吉川弘文館、二〇〇五)とある。
 これらの昌益像は、狩野亨吉の昌益発見以来多くの研究者によって確認され、現在までこの評価は変わっていない。「不動の通説」といってよいであろう。しかし、筆者はこの通説には否定的である。はじめにその論点を提示してみよう。
⑴  昌益没後の門人が残したとされる八戸資料『転真敬会祭文』には、当時の身分制社会に対する批判的な記述はない。この八戸資料について、『全集』(⑯下41)では、「昌益の革命的な社会思想は、ほとんど風化し、平板な生命哲学に堕しつつある」と記述する。大館一関家文書の『掠職手記』『石碑銘』の資料から も、昌益の身分制批判、人間・男女平等論の主張は確認できない。不思議である。門人たちが昌益の思想を理解・賛同したならば、門人たちの資料に何らかの痕跡が残るはずである。
⑵  刊本『自然真営道』(以下『刊自』)には、「人倫世二於テ上無ク下無ク、貴無ク賤無ク、富無ク貧無ク、唯自然・常安ナリ」(⑬200〜201)「万万人 ニシテ自リ然ルー般ニ無上・無下・無ニノ世人ヲ以テ、君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友ノ五倫ヲ分カチ立テ、士・農・工・商ノ四民ヲ立テ、是レ何事ゾト言フ ニ、君相ヲ以テ己レ衆人ノ上ニ立チ、不耕ニシテ安食・安衣シ」(⑬203)の記述がある。

現代人は、この記述から、昌益の人間平等論・身分割批判の主張を読みとっている。ところが当時の出版規制に触れず出版されている。不思議なことである。幕府の出版条目(享保七〈一九二二〉年)には、「自今新板書物之儀、端書、仏書、神書、医書、歌書、都て書物類其筋一通之事は格別、猥成儀異説等を取交作り出し候儀、堅可為無用事」(『御触書寛保集成』九九三頁、岩波書店、一九三四)とある。『刊自』は見事出版にパスした。出版物を事前検閲する本屋仲間行事は、内容が理解できなかったのか。あるいは内容が日本のことではなく、異国に間する記述と見たのか,筆者は、ここには近世人と現代人の理解・解読のズレがあると思っている。
⑶ 昌益は江戸時代の身分割社会を激しく批判した唯一の人物と評価されている。しかし一方では、『統道真伝』の「万国巻」(『万国ノ産物・為人・言語ノ論」)で、「日本国ハ(中略)他国ノ物ヲ用ヒズトモ、凡テ不自由無シ。業事ハ耕貪・織着シテ産物能ク生ジテ敢テ不足無ク、今ニモ他国ヨリ来ル迷世・偽談ノ妄教ヲ省キ去ル則ハ、忽然トシテ初発ノ転神国ノ自然ニ帰シテ、永永飢饉・寒夏・干秡・兵乱等ノ患ヒ無キ安住国ナリ。千年ヨリ以来、日本国ニ於テ数々寒夏・不穀・干秡・火災・兵乱等ノ患ヒ有ルハ、漢土ノ聖法、利己ノ為メノ誑衆・惑世・惑談ノ妄教、及ビ天竺ノ仏巧、利己ノ為ノ盗道・誑世・迷衆・虚戯ノ偽教ヲ用ヒテ、自然ニ具ハル所ノ初発・小進・廉正ノ神道ヲ無(なく)シ、金銀通用ノ賁(かざ)リ貪リ栄耀ヲ業ト為シ、不耕貪食ノ他邦ノ聖・釈ノ妄教ニ泥ミ」(⑫82〜83)と述べる。ここには日本国・日本社会を本来的には肯定し、「他邦ノ聖・釈ノ妄教ニ泥」む自国を憂うるが、昌益の立ち位置は明確である。異国の儒教聖人、釈迦を糾弾する「康正ノ神道」を擁護する、「神道思想家」に近い昌益の立ち位置・姿である。
  (山崎庸男『安藤昌益の実像—近代的視点を超えて』農文教2015)

   

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