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飯山一郎さん追悼集成 [飯山一郎]

23日夜の「祭はじめ」に始まり、26日の「総社祭」と獅子冠事務所の反省会で今年のお祭り終了。その最中で知った飯山さんの訃報でした。心筋梗塞経験者として他人事でない思いでしたが、私は私なりの「自灯明」感覚(明石原人さん)で生きています。医者の言う通りに生きていたら神社の石段を上ることもできません。今年は志願したわけではないけれども昨年に引き続き「箱添」役を務めました。頭取がお獅子の入った箱を負い、その脇を固める役です。3年前大動脈解離で生死の間をさまよった82歳の頭取共々無事生還です。頭取はむしろ病気の前より元気です。拝殿前でお獅子を舞いました。私も第三立場(タテバ)の鏡池前で舞わせていただきました。大丈夫、生かされている、この感覚を今年も得ることができました。

「放知技」板では飯山さんへの追悼の言葉が引きも切りません。それぞれに胸打たれる思いです。とりわけ読み返したい文章をメモっておきました。転載させていただきます。

*   *   *   *   *

故飯山一郎氏による、日本人の希望と力強い生き方を発信し続けた功績に感謝する。

                                    ・
1:堺のおっさん :2018/07/24 (Tue) 17:58:18
host:*.ocn.ne.jp
平成30年7月20日の未明に、飯山一郎先生が急性心不全にて永眠されました。享年72歳でした。
飯山一郎先生は以前にも心筋梗塞で入院されたことがあり、今回は三回目の発作でした。
2005年に心臓発作で倒れた時は生死の境を彷徨いましたが、病を強い意志で克服してきた13年間でした。

7月23日、ご遺族のご意向により家族葬にて葬儀がしめやかに執り行われました。
ファンの皆様からのご要望により、「飯山一郎先生を偲ぶ会」の開催を検討しております。
場所や時間などの詳細は後日改めて発表させていただきますのでご了承ください。
皆さまのご理解とこれまでのご支援に、心より深く感謝を申し上げます。

919:バナナ :2018/07/24 (Tue) 23:40:22
host:*.ocn.ne.jp
オマンゴロ~ノヴィッチ・ニコチンスキーちゃん屁
ユーモアと思いやり投稿
じいちゃんは喜んでたなぁ
んで
じいちゃんは笑ってたなぁ
正しきを追及すれば争いになるけんど
正しきを追及するなかの人情をなにより尊重してわいわいガヤガヤ
義理人情にユーモアとお色気とぷっと笑える艶(通夜)談義
じいちゃんは笑ってたとおもーなー
愛と笑いとなにより曖昧が健康ーーーーーって
言ってたかな?
言ってたよーな気がする言ってないよな気もする!
ま、いいや
テゲテゲ!

921:明石原人 :2018/07/25 (Wed) 05:29:02
host:*.zaq.ne.jp

:メンテ部長:飯山一郎:2018/04/19
新スレ立ち上げたぞ.
好き放題、勝手放題、何でも書いたらよろし!>阿呆ども
あ、♯2ゲット!www

懐かしい!!

自灯明と法灯明

現代の仏教指導者は、自灯明を全く理解していない。
どの仏教指導者も、自灯明をこう説く。
自分をしっかり持って頑張りなさいと。

違います。

飯山兄が、わたしのブログを読んで、甲田療法を推奨してくださいました。
2011年よりもっと前の話です。

その甲田先生がいつものように楽しい笑いの中で
健康のお話を皆さんの前でされたあとのこと。
あるおばちゃん(患者さん)が、不安げに尋ねました。

「先生がお亡くなりになったら、私ら誰を頼りに生きていったら
いいんですか。」

甲田先生がおっしゃられました。
「それは、自灯明・法灯明に頼ったらいいんや。」

「自灯明は自分の体に頼ること、自分で気持ちがいいなと思うことを
お灯明にするんやな。」「気持ちがいいと思えることは、自分しかわからんやろ。」
「それをお灯明にするんや。」

「そして時々、私がしゃべったこと・健康の本を読んでそれを取り入れたらよい。」
「それが法灯明やな、ええかな。」

不安げな顔をしていたおばちゃんがほっと安心した顔になりました。

不安になっている患者さんに
「自分をしっかり持ちなさい。がんばりなさい。」なんて
訓示を垂れたら、余計に不安になる。

自分の体については、誰よりも自分が一番知っている。
それを灯明にする。誰にでもできる。

飯山兄がなくなった今、やはり自灯明・法灯明。

納得することは、自分しかできない。
思い上がったり、不遜にならず、
自分に納得できることを灯明にすればよい。

そして、飯山兄が残した楽しい膨大な「てげてげ」を法灯明にすれば、
道は自ずと開ける。

そんな気持ちで、飯山兄を偲ぶ。

しかし、しばらくは、なかなかそうは、いかない。
でも、みんなで花を咲かそう。

「てげてげ」で種は、まかれた。・・・法灯明
乳酸菌、断食、太陽凝視、ぽんぽこ笑店。・・・法灯明

納得する。・・・自灯明
まき方、やりかた、試行錯誤・・・自灯明

花が咲く。
みんなで鑑賞しあう。知識・技術の交流。

まずは、飯山兄を偲ぶ会参加。

83:堺のおっさん :2018/07/25 (Wed) 13:49:08
host:*.ocn.ne.jp
数多くの皆様からの哀悼の書き込みが寄せられています。
生前の交友の広さがうかがい知れます。
どうぞ、思いのままに書き込んでいただきたいと思います。

3.11以来、志布志には10,000人もの来訪者があったそうです。
その数にも驚かされますが、すべての来訪者に丁寧な対応をされたそうです。
故飯山氏に面会された方のほとんどが、その人間性に魅了され、
常識にとらわれない世界観に衝撃を覚えたはずです。

また、誤解や悪意の誹謗も数多く経験された。
これも記録的な量に及ぶと推察されます。

しかし、そんな意見に対し生き方まで含めた対応をされたのも
記憶に新しい所です。

分かる人にはわかる! わからない人にはわからない。
これは議論を尽くす気がないということでもなく、
議論の目的が勝った負けたでもなく、
他の意見を受け入れないということでもなく、
実は個々人の意見と生き方が、
密接につながっているという事実に
着目したからではないでしょうか。
意見を変えるには生き方が変わらないと変わらない。

そこで生まれたのが賛否両論でもあった「ビンボ~人」。
「貧乏人」でもなく、「ビンボー人」でもない造語。
資産や収入に対して定義するものではなく、
前向きな生き方をできるかどうかを問う「ビンボ~人」

座敷牢という斬新な仕組みを考案したのも同じ発想からでしょう。
罵詈雑言を浴びせあうだけのネット掲示板にも新たな手法を確立された

故飯山一郎氏は、3.11を生き抜いた多くの日本人に
前向きな生き方をしてほしいと。
すべてはこの一点から打ち出されたものであったと思います。

前向きな生き方を選んでいこうという日本人が
てげてげ、放知技、文殊菩薩の読者から大勢生まれている。
これ以上の供養はない。皆様に感謝です。

88:こはく:2018/07/25 (Wed) 14:32:17
host:*.aitai.ne.jp
83の堺なのおっさんの「どうぞ思いのたけを…」というのを見て、
抑えていた悲しみが一気にきました。

飯山先生が残してくれたものを、私は実践できるんだろうか?
安曇野や長野で講演会されたこともあったのに、なぜ行かなかったのだろう?
等々、悔やんでいます。
皆さんのコメント見ながら、今しばらく泣かせて下さい。

311があった時、飯山先生、ことの重大さに数日考えこんでおられたそうです。
そして「周囲を元気づけなきゃいけない!明るくならないと!」と今のスタイルになられたんです。とYさんからお聞きしました。  

あの明るさ、あの元気さは、私達へのエールだったんですね。
今年のお盆は、EGを偲び、迎え火をとくと致します。

99:堺のおっさん :2018/07/25 (Wed) 20:01:41
host:*.ocn.ne.jp
>>96 福井のいなだ様
ごもっともなご質問というか…。
結論から言いますと、西洋医学の救急蘇生法が
生命維持をできる状況ではなかった。
故飯山氏の最後の言葉は、薄れいく意識の中で発された。

「救急車は絶対に呼ぶな!」

この命令に反して救急車を呼び、
一通りの措置を施していただいたのですが、
結果は蘇生に至りませんでした。
一時間に及ぶ心臓マッサージなど、
お医者様は手を尽くされた。

故飯山一郎氏はすべての西洋医学を否定はしていません。
しかし、最後の「救急車は絶対呼ぶな!」という命令は、
自分の最後は自分で決めるという意味も込められていたんだなと。
つまり、自分の体は自分が一番よく知ってるよ。
3回目はほぼダメだろう。
その時期を自身でコントロールすることはできないが、
それが起こってしまった以上、潔く受け入れるしかない。
そうした、命令であったと思います。

最後の最後まで、自身の生き方に忠実であったと思います。
翌午後、ご子息が駆けつけてくださり…
「13年もよく生き延びた。奇跡です。」
「非常識な健康法を実践したことも決して間違っていなかったと思う」
「父らしい生き方であったと、むしろ志布志の皆様に感謝したいくらいです」
こう言葉をかけていただき、何もできない無力感に沈み切っていた
居合わせた数少ないメンバーもすくわれた気持ちでいっぱいになりました。
我々は、自身の最後を見事に自身で理解し、
じたばたするな! どうしようもないことも世の中にはあるんだ!
それはそれで受け入れろ! これが鷲の最後のメッセージだ!

ああすればよかったのかもしれない、前兆はなかったのか、
最近無理しすぎていたし、止めればよかった…など等。
後悔とも、反省とも、言いようのない割り切れない感情に
沈み切っていたのですが、
結局、故飯山一郎氏の判断を尊重することが正しかったと思います。

しかし、現実の現場ではそれは許されません。
命令に反し救急車を呼び病院に搬送したのですが、
処置の甲斐なく、結局ご本人の判断通りになったのです。

心臓の機能が弱いため、(普段は軽く心臓に持病があるんだ、ハハハと)
第二の心臓と言われる下半身、特にふくらはぎを鍛えたり、
血流に人一倍気を使ったりした理由はお分かりになると思います。
そして、自身の最後を見事に自身で判断しきった!
見事であったと…。

ただ、その時期だけは人知の及ぶ範囲ではなかった。
まだまだやりたかったことも山ほどあったと思いますが、
それよりも大事なことを最後に実践されたのだ。
そのように私は思い至り、改めてすごい人物であったなと。
眠るような表情のなきがらを見ながらしみじみと感じ入りました。

あっぱれ、飯山一郎!
138:明賀 雄二 : 2018/07/26 (Thu) 23:04:30 host:*.ocn.ne.jp
飯山が死んだ?  フェイクニュースだと言ってくれ!
飯山とは立大法学部に入学して同じクラスとなり、すぐに気が合い友達になった。
1年生ゼミも同じで、クラブも一緒の人間研究会に入った。
べ平連デモも初回から二人で欠かさず参加した。
充実した大学生活の思い出には、常に飯山がそばにいる。
明るく、愉快な男だった。一見軽そうに見えるが、すごい読書家で無茶苦茶に頭がよかった。
数学にも強く、まだパソコンが出現する前から、コンピューターに関わり、フォートランなどコンピューター言語を独学していた。
親切心が旺盛で、誰からも好かれていた。裏切ることのない誠実な男だった
中国の砂漠を農地に改造する構想を初めて聞いたときはスケールが大きすぎて信じがたかった。でも説明を聞いているうちに「飯山ならできるかもしれない」と信じるようになった。
若々しい夢を持ち続けた、うらやましい人生だった。彼を慕う人達に囲まれ、豊かな晩年だったようだ。
十年余り前、訪ねてきてくれ一晩呑んだ。「心臓に障害があって、もう先が長くないんだ」と告白され愕然とした。
「大事に体をいたわれば、長生きできるだろう」と愚にもつかない慰めしか言えなかった。
その後、志布志に居を据え、目覚ましい活躍をし、常識破りの健康法で黒光りする引き締まった健康体に変身した。それにすっかり騙され、心臓の病気はすっかり忘れた。私より長生きするとすっかり思い込んでいた。
こちらも年金生活に入り、いつでも会いに行けると高をくくった。まさかこんなことになるとは。
父と母が亡くなった時と同様の喪失感に襲われた。もう、飯山はこの世にいない。耐え難い心細さを感じる。
家族を愛し、仲間を大切にし、国の行く末を真剣に考えた。幅広く深い知識、類まれな実行力、本当に惜しい男を失った。彼が日本や韓国、中国で植えた夢はいつか大きな花を咲かせる。そんな気がする。世間が、彼に感謝する日がきっとくる。
もう一度、人懐こい笑顔で「お前相変わらずバカだな」という声を聞きたかった。
オレもそう長くないだろう。あの世で再び会えることを楽しみにしている。

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