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『神になりたかった男 徳田虎雄』(3)希望  [徳田虎雄]

徳洲新聞300409 2.jpg徳田虎雄にとって30年間の政治への関わり、「ムリ、ムチャ、ムダ」にまみれた揚げ句が、2013年騒動だった。徳洲会は解体寸前まで追い込まれた。あれから5年、徳洲会は、「ムリ、ムチャ、ムダ」を切り捨てつつ再生を果たした。「徳洲新聞」から政治色は消え、どの紙面からも医療福祉面での前向きな姿勢が伝わってくる。4月9日号トップには「2,795人が新たな仲間に」の勢いある見出し。実は、徳田流「ムリ、ムチャ、ムダ」を赦し、裏で担保しているのが「医療福祉の実績」だった。「病院が必要なところがあれば、どんどん借金してどんどん建てるべし。必要なものはだれも潰せない。」それが徳田感覚だった。とはいうものの、現場でのカネにまつわる苦闘は並でない。綱渡りの連続。それがこの著につぶさに記されている。そして2013年にもろもろのつけが一挙に噴出した。しかし結局、徳田理念は貫徹を見た。4月9日号「直言」、福島安義副理事長は↓こう結ぶ。トラオ精神は健在と見た。
徳洲新聞300409 1.jpg徳洲会は創設者の徳田虎雄前理事長が1973年1月に大阪府松原市に徳田病院(現・松原徳洲会病院)を設立したところから始まりました。”生命だけは平等だ”という理念を掲げ、「いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会」の実現を目指し、活動してきました。離島・へき地にも病院をつくり、今日があります。/ 今年で徳洲会創立45周年を迎えましたが、この間、多くの職員が理念の実践に努めてきました。病のため夭折された職員もおられます。草創期の岸和田徳洲会病院(大阪府)の内科医であった井村和清医師も、そのひとりです。井村先生の残された著書のなかに、いくつかの詩があります。「あたりまえ」、「3つの不幸」、「3つの悲しみ」などです。「3つの悲しみ」という詩のなかの一部、最後の段落を紹介します。私たちは井村先生の思いを心にとめて、日常の業務に励みたいと思います。/「みっつめは、病気をしている人の気持ちになって医療をしていたつもりでも本当には病気をしている人の気持ちになれないという悲しさ。ですから、患者さんに対してはできる限りの努力を一生懸命していただきたいのです」/ 皆で頑張りましょう。》

以下は、『神になりたかった・・・』から、徳洲会の存続が決まる最終場面。

*   *   *   *   *

 東京霞ケ関、祝田通りを挟んで日比谷公園に面した中央合同庁舎五号館に厚労省の内局が入っている。新聞や雑誌が連日、徳洲会事件を書き立てていたころ、ある医師が厚労省を訪ねた。旧知の官僚と対座した医師は、おもむろに切り出した。
 「徳洲会が大変なご迷惑をおかけして、まことに申しわけありません。医療界全体の危機と感じて、うかがいました。徳田家の人たちや、元事務総長が何かをしたのか、われわれは知りません。司直の手で真実が解明されるのを待つしかないと思います。
 ただ、これだけは申し上げたい。いま、この瞬間も六七病院、約二万七〇〇〇人の職員たちが全国の地域で懸命に医療を支えています。医師や看護師たちは膨大な数の患者さんを診ています。北海迫、東北、関東、関西、九州、奄美や坤縄のへき地、離島でも全力で医療に取り組んでいます。それは紛れもない事実です。よく『組織ぐるみ』と言われますが、人と全を動かしていたのは徳田さんとファミリーです。医療の現場は、与り知らぬところです。病院や介護施設の現場はひたすら、生命を款いたい、患者さんを治したい、治らなければ見守りたいと愚直に取り組んできました。だから徳田家の人や幹部の動機がどうであれ、あれだけ巨大な組織になったのです。誰が上に立とうが、医療は医療なのです」
 官僚は、医師の目をのぞきこんで口を開いた。
 「徳洲会は、民間で一番大きいけれど、むしろオンリーワンですね。あれほどの規模で、日本の北から南まで意思疎通できるのは珍しい。学閥のピラミッドと関係なく、先生方が後進を育てているのもオンリーワンでしょう。介護関連施旋の評判も届いています
 「日本中で毎日走っている救急搬送の三十数回に一回は徳洲会の救急車が出勤しています。七〇年代の救急たらい回しの時代から営々と救急医療に取り組んできた結果です。現実に徳洲会は医療の基盤をなしています。徳洲会の職員たちは、誰もが徳田さんの語る理念を愚直に信じて働いてきました。どうか、徳洲会の医療を、患者さんと職員を守っていただきたい
 と医師は語った。
 官僚は、黙って聞いていた。
 「徳洲会は徳田本人はもとより徳田一族と完全に縁を切る、経営には一切タッチさせない方向で事態の収拾を図ろうとしています。創業家との絶縁という大手術をもって、医療組織としての徳洲会を生き永らえさせたいのです。どうか御理解いただきますようお願い申し上げます」
 官僚は「次がありますので」と言って、腰を上げた。徳洲会は徳田とファミリーを経営の要職から完全に外した。莫大な”対価”が徳田家に渡った。徳洲会内の創価学会集団からも政府に陳情が行われたと言われる。
 医師の陳情が効いたかどうかはわからない。ただ、国税庁は管轄する特定医療法人沖縄徳洲会の「特定」の資格を取り消し、法人税の軽減が廃止されたが、厚労省は木下会、鹿児島愛心会の「社会医療法人」の認定を外さなかった。             ’
 ならば、厚労省は徳洲会を守ったのか。半分は当たり、半分は外れている。厚労省が守ったのは厚労省自身であろう。社会医療法人の認定を取り消せば、経営的うまみが消え、木下会や鹿児島愛心会の医療、介護事業は立ち行かなくなる。地域に張りめぐらせた救急、外来、入院から高齢者介護に至るネットワークは寸断され、機能不全に陥るだろう。
 そうなれば、徳洲会に代わって誰が地域の医療を背負うのか。民間病院に余裕はなく、都道府県や国の公立病院はただでさえ赤字まみれで、採算性の低い医療や介護事業には参入できない。認定を取り消して、もしも徳例会の中核病院が閉鎖に追い込まれたりすれば、地域の医療は破綻し、厚労省に貴が及ぶ。厚労省は徳洲会を守ったようで、じつは自らが築いた体制を守ったのであった。
 徳田王国が崩れ去り、生き残ったのは……徳田が立ち上げた現場の医療だった。
(308-311p)

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